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  • 執筆者の写真白川

タンザニアからの手紙 No.1 モザンビーク・その1

金山 麻美(かなやまあさみ)

 今回から装いも新たに?題名を変えてお送りいたします。今後もよろしくお願いします。

 お正月明けに一週間ほどモザンビークに行ってきました。 モザンビークの北のほうの海岸沿いの町ペンバと世界遺産にもなっているモザンビーク島です。(詳しいことは根本利通が2月1日にアップします)  初めてのモザンビーク!!

  *言葉のこと*

 ポルトガルの植民地だったので、公用語はポルトガル語になっています。ペンバあたりはまだタンザニアにも近く、タンザニアとモザンビークとの国境にまたがったエリアに生活しているマコンデ人たちもいるので、結構スワヒリ語が通じるかなと期待していました。

 マコンデ彫刻の店は私たちが訪ねただけでも3軒はあり、彫師がいる店もありました。でも売っているのはマサイ人や人々が折り重なるように柱になっているウジャマーというモチーフなどほとんどがタンザニアにあるようなものばかり。なぜモザンビークでマサイ?唯一奴隷船に乗せられて首を鎖でつながれている彫刻がタンザニアでは見かけたことはなく、彫りもよかったのですが、いかんせん高かった(1250,000メティカシュ。約65米ドル)ので購入せず。  彫師たちはタンザニアと行き来している人も多いらしく、スワヒリ語が通じました。

 今から思えば、ペンバでもっと積極的にスワヒリ語で話し掛けてみればよかったのですが、挨拶などへたくそなポルトガル語でしていたので、機会を逸してしまった感があります。  レストランの若いウエイターさんなどでも、おしゃべりできるとまではいかないけど、こちらの言っているスワヒリ語を分かってくれる人もいたし、身振り手振りで意思疎通を図っていたホテルのフロントのおじさんもこちらがスワヒリ語が分かると知ったら、「Umeshakula chakula?」(ご飯は食べたのか?)など、スワヒリ語で話してきたので、もっと早く知っていれば…と。

   しかし、公用語がポルトガル語というのもなかなか大変そうだなと思ってしまいました。普段はそれぞれの民族語で会話をしているようですが、たとえば、テレビなどでも、タンザニアではCNNやBBCのニュースが流れるところを、ポルトガルの放送局のニュースが流れます。もちろんモザンビークの地元の放送局のニュース番組もありますが、もちろんポルトガル語。ドラマなどもポルトガルで制作されたドラマがたくさん放映されていました。公教育で使われている言葉もポルトガル語だというし。  こうやって独立後も旧宗主国の影響はめんめんと続いていくのね…と思ってしまいました。タンザニアはスワヒリ語があって本当によかったなとも。言葉は文化ですものね。  もっともモザンビークの人たちもこれから長い時間をかけてポルトガル語を自分たちの側に引き寄せていくのでしょうけれど。  1975年に独立したまだ若い国ですから。私より若い!

 次回はモザンビークの女の子のファッションのことについて書きます!!

(2005年1月15日)

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