タンザニアからの手紙 No.13 マウンテンゴリラに会いに行く その2
金山 麻美(かなやまあさみ)
それは、細長い木によじ登っているゴリラの背中だった。私たちがいる場所から盆地状に低くなっていて、その低い場所は、すこし開けた場所となっていた。潅木の間から、何本かの細長い木が伸びていてゴリラたちが何頭かがその上のほうに貼り付いていた。木の根元にもちょっと大きめなゴリラが座っている。思慮深そうな表情をしていると感心すると、次の瞬間、鼻をほじったりもする。座っているゴリラと私たちの距離は7mあるかないかくらい。私たちトレッキング参加者はやっと人と人がすれ違えるくらいの幅の足場の中でゴリラと対面する自分のポジションを見つけるのだ。そしてシャッターの音が続けざまに響きだした。
マウンテンゴリラのグループはシルバーバックという大きな雄に率いられている。 マウンテンゴリラの一家はだいたいが血縁関係なのでシルバーバックはいわば一家のお父さん的存在のようだ。雄のマウンテンゴリラは12歳を過ぎたころから背中の毛が一部分白っぽくなるのでそう呼ばれている。日の光を浴びて銀色に光る毛並みが美しい。(Hグループには2匹のシルバーバックがいた。第1位オスと第2位オス。マウンテンゴリラの場合は、2頭の間に親子か兄弟などの血縁関係があることが多いそうだ)
彼らの登っている木は、ガイドのジョンによるとイチジクの木だそうだ。まだ緑色の丸く小さい実をもぎ取ってむしゃむしゃと食べていた。かなり大きなゴリラも木の上に登っていた。シルバーバックのようだ。太めの木の枝の上に寝転んでいる2歳くらいの子どもゴリラもいる。全部で6、7頭いるだろうか。他のメンバーは藪の向こう側にいるということだった。ときどき藪の葉たちがシャワシャワと動く。
日本人の同行者の一人、Tさんは望遠のとてもいいカメラを持ってきていた。わたしは中途半端な性能のデジカメ持参。でも、他の人のシャッター音を聞きながら、ちょっとでもいい写真を撮らなきゃと少し焦った。シャッターチャンスを逃すな!何のために?このページのためなんだけどね。
生後2週間半の赤ちゃんゴリラを連れたお母さんゴリラが姿を現した。またまた響くシャッターの音。記者会見のようだ。赤ちゃんはお母さんにしがみつくようにして抱かれているため、後姿しか見えない。でも、小さな頭、ときどき見える細い指先の愛らしいこと。お母さんが木登りをする時は、しっかり母の胸にしがみつくことのできる立派な手なのだ。
2歳ほどの子どもゴリラはお母さんゴリラからちょっと離れた枝の上でイチジクの実を食べていた。でも、母の近くからあまり離れようとしない。地上に降りた時はしっかりと母の背中におぶさっていた。それを見守るシルバーバック父さんの優しそうな瞳も忘れられない。シルバーバックは子どもたちとも遊んであげることもあるいい父さんなのだそうだ。
資料*によるとゴリラの子どものうち、約30パーセント強が6歳まで生きられないということだ。厳しい自然の中で、出会った彼らが強く生きていけることを願う。
もう一人の同行者Hさんは使い捨てカメラしか持って来てなかった。最初から写真は2の次でゴリラたちにちゃんと挨拶しよう、彼らをよく見ようというスタンスなのだ。どっちつかずの私。でも、どちらにしろ私の腕では素晴らしい写真など撮れないのだから…と、途中でデーターが満杯になったこともあり、それからはゴリラたちに二つの目をじっと注ぐことにした。でも、子どもゴリラがこっちを向いたりすると、ああ、写真に残したい!なんて思ってしまい、要らないデーターを探して消し、再び撮り始めたりしてしまうのだった。心に残せばいいのにね。
シルバーバック(2番目のだと思う)がイチジクの実をいっぱいくわえて木から下りてきた。大きく揺れる木。でもその揺れのせいで、くわえていた実を半分くらい落としてしまった。欲張りすぎ!
「ぷうう」という豪快な音の後に木の上からボトボトボトと落ちてくるものあり。大きいほうも小さい方も勢いよく降らしてくる。遠慮なんて全くないので見ていて気持ちがいいくらいだ。さすがに私たちのところまでは飛んでこないしね。木の下でグループのメンバーを見守るようにどっしりと構えていた最年長シルバーバックの上におしっこが降り注いだ。その途端、大きな体をパッと横にずらすしぐさはなかなか見事だった。
ゴリラたちの平和で愉快な日常はいくら見ても飽きない。私はほんとにカメラを持ってこなければよかったなあと思った。ひざを抱えて森の中に溶け込みながらいつまでも一緒にいられたら…。そういう夢を砕くようにジョンが「あと残り時間は5分だよ」とか告げてきた。ゴリラたちと一緒にいられる時間は1時間と決まっているのだ。「でも、ベストショットを追加するために特別に3分間だけ延長してあげよう」なんて勿体つけるジョンであった。
時間となり、後ろ髪を引かれるようにしてゴリラたちに別れを告げる。木の根元に座っていた雌ゴリラが潤んだ瞳でこちらを見てくれているような気がした。
荷物のところまで戻ると笑顔のポーターたちが「どうだった?」と言いながら出迎えてくれた。もちろん、とっても楽しかったよ。
来た道を車のところまで戻るとまだ10時30分。ポーターやジョンたちと記念撮影などをしてヘッドクォーターのある出発地点までもどってもまだ11時30分になったかならないかくらいだった。小屋の中に集まってノートに感想を書く。ジョンが参加者の名前入りの封筒を恭しく持ってきた。一人一人名前を呼ばれ、封筒を渡される。それは、ゴリラトレッキング終了証明書なのであった。まだ興奮冷めやらないが解散となる。ジョンやポーターたちに繰り返しお礼を言った。
やはりその日、3グループのうちで一番早く帰りついたのは、私たちHグループだった。歩いて片道10分以内のトレッキングというのはゴリラトレッキング史の中でも最短距離の一つに必ず入ることであろう。
その晩泊まったブホマホームスティードは公園の内側にあり、ヘッドクォーターから歩いても5分くらいのところだ。小高い場所にコテージが作られ、ブウィンディの深い森を宿す山々を見晴らすことができて気持ちがよい。ほかにその日、Mグループのトレッキングをした南アフリカ人3人組、明日Rグループのトレッキングに行くニュー人ランド人壮年夫妻、トレッキングには行かないでバードウォッチングを楽しむカナダ人の年配夫妻が泊まっていた。南ア人グループによると彼らは、かなり急勾配を約1時間半、ほぼノンストップで登ったそうだ。もう一つのグループも帰ってきたのが2時過ぎだったので、結構歩いたに違いない。私たちのは、ラッキーというか拍子抜けというか…のトレッキングだった。このために結構高い靴を買ったんだけどな。雨具も古着屋を巡りながら用意したんだけどな。
でも、明日もトレッキングに参加するTさんとHさんは初日が楽だったのでよかったと言っていた。(私だってもちろん、楽するのは大好きなので、よかったのだよ)翌日、彼女たちはMグループに参加し、片道1時間半の勾配を歩くことになる。でも、その日はゴリラがたまたますぐ近くまで寄ってきてくれたりして、すごく楽しかったそうだ。Tさんは、とびきりのいい写真も撮れたらしい。
実は、当日の朝、お二人の調子がいまひとつのようだったので、ブリィーフィングの前にMグループから、楽そうなHグループに変われないかなと打診してみた。(ガイドたちもMよりHのほうが楽だろうと言っていた)人数もまだ余裕があるようだったし。が、遅れてやってきたかなり年配の参加者がHグループ所属だったので無理となった。しかし、Hグループに参加した人に聞くと片道2時間近く歩いたそうだ。(そのかなり年配の参加者も頑張って歩いたらしい)ゴリラたちの行動、予想し難し?
その日、私は深い熱帯の森の中に吸い込まれるようなネイチャーウォークの旅に出た。 (つづく:8月1日アップ予定)
*資料(冊子)…「MGAHINGA GORILLA NATIONAL PARK & BWINDI IMPENETABLE NATIONAL PARK」Uganda Wildlife Authority発行
(2006年7月1日)