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  • 執筆者の写真白川

タンザニアからの手紙 No.17  エジプト旅日記ー1

金山 麻美(かなやまあさみ)

1月6日

 懸念されていたナイロビでの50分の乗り継ぎが、飛行機の遅れがなかったためにうまく行き、ほぼ予定通りの22時半過ぎにカイロ空港に到着した。  お願いしていたカイロの旅行会社ナイルメロディのMさんが「根本ご一家様」と漢字の入ったカードを持って出迎えてくれた。すらっと背が高く銀縁の眼鏡がしぶいロマンスグレーのエジプト紳士。  飛行機の乗客たちがセーターに分厚いコートを持っていたので、カイロの寒さを心配していた。長袖のシャツに薄手のフリースしか持って来ていなかったから。  空港の入国審査に並ぶ人がほかにいず、ビザも入国もとてもスムーズだった。

 一歩空港の外に出ると、かろうじて白い息が出ないくらいの寒さで、手持ちの服装でもそれほど寒さを感じない。冷たい空気が心地よいくらいだった。  Mさんによるとだいたいこの時季はこのくらいの気候だということだった。  ピカピカのミニワゴンにはなんとナイルメロディの日本人スタッフWさんもいた。エジプト在住25年の御仁である。この時間までほかの仕事があったので、たまたまだそうだが、日本語でいろいろ質問できるのは心強い。ドライバーは笑顔のやさしく恰幅のよいSさん。

 四車線から六車線ある広広とした道路を私たちの車が行く。Wさんによると日中は渋滞がすごいが、この時間帯はすいているとのこと。エジプト人は宵っ張りだそうで、まだみかんやりんごなどを並べた果物屋などが開いていた。  左右には歴史のありそうな古い建物が続く。アパートメントなども時代がかったような造りだ。どっしりと落ち着いた美しい町。それがカイロの第一印象だった。想像していた抜け目のない商売人や自称ガイドがぎょうさんいる喧騒と混雑の町とはだいぶ違った。夜だからだろうか?

  1月7日

 宿泊しているコスモポリタンホテルの建物は古い。自分で開け閉めしなければいけない旧式のシンドラー製のエレベーターで5階から降りる。恰幅のいいフロントの男性は「コンニチハ」などと片言の日本語で挨拶をしてくる。ロビーは狭いが、壁に暖炉のように設えた調度があり、プチ豪華な感じ。ホテルレベルとしては中級ということだった。

 本日はコプト教のクリスマスで祝日。コプト・キリスト教徒はエジプト人口の7パーセントだそうだ。

 朝の9時過ぎに町にでるとほとんどお店は閉まっていて、人通りも車通りも少なかった。これはエジプト人が宵っ張りというよりも祝日のためだろう。目立つのはツーリストポリスとかいう制服を着た警官たちである。大通りに出ると、要所要所に必ずいる。考古学博物館の周りには特にたくさんいた。Wさんによると若者の失業対策で警官を増やしたりしているらしい。でも、赤信号で道路を渡っても彼らは何も言わないし、車が立て込んで道路を渡れなくても助けてくれるわけでもない。  街中は4、5階建てはあるレンガ造りの古い建物が並んでいて、ちょっとヨーロッパの古い街並みを思わせるようだ。開いていた小さな店で500ミリリットル入りのミネラルウォーターと丸いエジプト風の平たいパンを一つ買った。言葉が通じないので手振りで。水が1エジプシャンポンドでパンが30ピアストル(100ピアストルで1エジプシャンポンド)だった。(次回からはエジプシャンポンドをポンドと表記する$1=5.7ポンドほどだった)  ケンタッキーフライドチキンとマクドナルドの店は街中でよく見かけるが、いわゆるスーパーマーケットというものを全然見かけない。スーパーに入れば、だいたいの物価やどんな物がここで手に入るのかわかるのに…。どこで何がいくらくらいで買えるかというのがわからないというのは不安なものだ。

 午後はいよいよピラミッド観光!ナイルメロディに車をお願いしてある。昨晩と同じSさんが運転手だ。休日というのにWさんもホテルまで来てくださり、これからの観光のポイントのレクチャーをしてくださった。  12時にホテル発。30分くらい比較的空いている道路を行くと遠くの方にピラミッドの四角錐が見えてきた。手前のビルディングとピラミッドの組み合わせは、ちぐはぐで妙な感じだ。  その後10分ほどでギザのピラミッドのエリアに到着。到着直前まで民家やビルのある地域であった。砂漠の中に忽然と現れるピラミッドをイメージしていたのだが。チケット(大人50ポンド)を買ってエリアの中にはいるとクフ王のピラミッドが眼前に。あまりにも近すぎて大きな石が積み重なっているだけの存在にしか見えない。拍子抜けというか感動がなかった。

 観光客は結構いてピラミッドの石の上に登って写真などを撮っていた。クフ王のピラミッドの中に入るのは競争率が高くて大変ということだったが、別売りのチケット(100ポンド)売り場が見つからず、Sさんに聞くと隅っこの方にポツンとある小屋がそうだった。まだ窓口も閉まっているし、誰も並んでいない。わたしたちが一番だ。

1時きっかりに窓口が空き、チケットを手に入れたわたしたち4人が午後一番で颯爽とピラミッドの入り口に向かう。入り口でカメラを預けろといわれ、ちょっと不安だったが、引換券をくれたため、預けた。入り口を入ってすぐ、急な登り階段になった。狭いトンネルのようになっているので、背をかがめて腰を折らないと登れない。最初からこんなきつくて体がもつのか?苦労して登って行き着いた先は棺おけがあるだけのがらんどうの部屋。棺おけは蓋もなく、空っぽであった。がっかり…。唯一良かったのは、一番乗りだったので、部屋にはわたしたちのほかは誰もいず、ゆったりと一息つけたことである。下りも膝が笑いこそしなかったが、なかなかしんどかったのだから。カメラはちゃんと返してくれた。

 ピラミッドを出たところで息子がヒジャブ(スカーフ)を被った可愛い女の子ふたりに呼び止められた。彼女たちは写真の撮れる携帯電話を持っていた。写真を撮ってくれというのかな?と見ていたらなんとそれぞれの女の子が息子とツーショットで写りたいというのだ。生まれて初めて?モテモテの息子。世紀の大記念、わたしもそのとき彼らの写真を撮ればよかったと後悔…。

 クフ王ピラミッドの苦難にも懲りず、娘が2番目のカフラー王のピラミッドにも入りたいというので、付き合うことに。夫と息子はパスした。クフ王のよりもトンネルが広く、登り降りは比較すると楽だった。チケットの値段も安い(25ポンド)。たどり着いた先の部屋にあるのはやはり棺おけだけだったが、中身はなかったものの蓋はあった。わたしたちの前に降りた白人のおばさん二人は途中で何度か立ち止まって、息を整えながら、「何で私たちはこんなことをしてるんだろう?」などと自問自答していた。全くだ。でも、探検気分で少し楽しかったのも確かだ。  カフラー王のピラミッドは上の部分に化粧岩というのが残っていて表面がすべらかに見えてちょっと美しかった。全体がその化粧岩で覆われていたらどんなに見栄えがいいことだろう。

 第3の一番小さいメンカウラー王のピラミッドは中には入れないので見るだけ。

 その後、女王の墓なども2ヶ所くらいあり、それには無料で入れた。カメラも持って入っていいということだったので、娘と息子が入って写真を撮ってきた。ボケボケだったけど。

 夫がツーリストポリスに拉致されて行方不明?になったりした。(観光客があまり気づかないレリーフなどに案内されてチップを要求されたということだ)  人のあんまりいない丘に上がると町と反対側に広がる砂漠が見渡せる。観光客用のラクダたちの背景に果てしなく広がるように見える砂漠。こんなところによくこんなものをそれも4,000年以上前に…とちょっと感慨にふけった。

 3つのピラミッドが見わたせるパノラマポイントで写真を撮り、絵葉書を買った後、クフ王の船と考えられる木造船が展示されている「太陽の船博物館」(40ポンド)に入った。復元された大きな船が展示されている。補修した部分も多いのだろうが、当時のロープがロープの形のまま残っていたのには感動した。

  いよいよスフィンクスへ。彼のそばに行くためには入場した時のチケットをまた見せなければならない。多くの人でいっぱいだ。日本人の団体客も2、3組いた。流暢な日本語を喋るエジプト人ガイドがついていた。  鼻が欠けたスフィンクスは愛嬌があった。さすがに実際に見るととても大きく、お尻まで回るのに数分はかかる?残念ながら片側からしか見学できないので、一周はできなかったが、斜め横から見た後姿(お尻!)がかわいかった。

 それぞれの見所が結構離れているので、車があって助かった。ラクダや馬でまわっている人もいた。歩いている人もいたが。

 拍子抜けの部分もあったが、ピラミッドとスフィンクスは堂々と胸を張っていた。そうだよね。4000年以上もの時を乗り越え、移り変わりを見つめてきたのだものね。  しかし、あすからの筋肉痛が心配である。

 夜は、フェルフェラというガイドブックにもよく載っているエジプト料理屋さんへホテルから歩いていった。間口は狭そうだが、店は奥まで広がっていて、客席も多く、外国人もたくさん来ていた。コフタや煮込みやカバブなど、そこそこおいしかった。冷たいステラビールもなかなかの味であった。ウエイターさんたちがとてもきびきびしていて注文してから料理が来るまでの時間がとても短かった。

 カイロは夜も人出が多く、にぎやかで安全だと聞いていたが、その通りだった。ホテルの近くには女性服の店が多く、ヒジャブを被った女性たちがお店を覗きながら冷やかしている。売っているのは上はともかく下は足首まで覆う長いスカートやパンツがほとんどだが、デザインは豊富でカラフルだ。店の偉そうな人は男性がほとんどだったが、奥のほうには必ずやはりヒジャブを被った若い女性の売り子さんたちがいた。  全身を覆い隠すような衣装を着ている人もいるが、カイロのほとんどの女性はヒジャブを被っているものの、足を出さない格好であれば、あとは自由といった感じで、おしゃれを楽しんでいた。パンツルックの人も多かったし、ボディコンのセーターを着ている人もときどき見かけたし。ヒジャブを被らないエジプト人女性はカイロでは見たところ、1割くらいだろうか。  手をつないで楽しそうに歩いているカップルもよく見かけた。女性が宗教上の理由で社会的に我慢を強いられているというふうには、全然感じられなかった。

                                            (2007年2月1日)

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