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  • 執筆者の写真白川

タンザニアからの手紙 No.18  エジプト旅日記ー2

金山 麻美(かなやまあさみ)

1月8日

 午前9時ころ歩いて考古学博物館へ向かった。昨日と打って変わって博物館周辺は大渋滞。道路を横断するのがとても大変だった。  博物館に着くと門の前から中庭にかけて観光客でいっぱいだった。出遅れたかと心配したが、チケット売り場は空いていて、チケット(50ポンド)はすぐに買えた。団体客が多く、個人の客は少ないからだろう。入り口付近は荷物チェックなどもあるので、大混雑だったが、それを抜けると、それほどでもなかった。まずは2階のツタンカーメン王に会いに行こうということで階段を上がった。

 ツタンカーメンの黄金のマスクのある部屋には、まだそれほど人がいず、それぞれの陳列ケースにかぶりつきで見ることができた。黄金のマスクや棺が光輝いていたが、それよりも細かい装飾が施された身に着けるネックレスなどの宝飾品の数々に目を奪われた。とても3,500年以上も前の物とは思えない。シックでいてとても豪華だし、細工がすごいし、欠けているところやくすんでいるところがほとんどないのだ。どうやって誰がつくったんだろう。プロの誇り高き職人が数多くいたのだろうか。手にとってじっくり眺めたいと思った。一日眺めても飽きないだろうとも。

  虫の形をした石がたくさん使われているのも興味を引かれた。この虫はいったい?丸っこい愛嬌のある虫である。わたしには整った宝飾品の中で虫の部分にとても親しみとおかしみを感じていた。  それは動物ミイラのコーナーで判明した。スカラベ(フンコロガシ!)だったのだ。太陽(フン)を転がし、復活を象徴する尊い虫なのだそうだ。猫や犬やワニ(ナイルパーチもいた)などのミイラと一緒にこの虫のミイラ用の小さな棺がいくつも展示されていたのだ。さすがにミイラ本体にはお目にかかれなかったが、そのすぐ横にはまあるい太陽のようなフンを転がすお仕事中のこの虫のリアル写真が貼られていたのだった。

 フンコロガシを崇めていた古代エジプトの人たちを、とても好きになってしまいそうだ。 フンは命の源でもあるのだもんね。フンコロガシ=スカラベの姿がとても愛らしく格好良く思えてきた。

  フンコロガシと掲げる太陽。それにはその後、遺跡や墓に彫られた絵のいろいろなところで遭遇することになる。

 その他にもミイラになったラムセスⅡ世の白髪を見たり、黒い肌のヌビア人弓隊の40人くらいいる人形の背の高さや髪型や表情が微妙に違うのを見つけて喜んだり、ライオンのキュートな墓守像にときめいたり、読めもしないヒエログリフを見つめてたりしていた。 何せ広い博物館で、展示物も足元から天井に届くまでたくさんのものが置かれていたりする。切りがない。一日かけてもいいと思っていたけれど、2時間もするとかなり疲れてしまった。夫と子供たちは昨日の筋肉痛が出て歩き方がギクシャクしてきたし、息子はすわってばかり…若いのにねえ。元気なのはわたしのみである。

  お昼はカイロの中心街の食堂でコフタ(肉団子)サンドやスパゲティなどを食べる。2階席もあるけど、10人も入ればいっぱいになってしまうようなところ。スパゲティボロネーズの湯で加減はちょうどよかった。ミートマカロニは、くっつきあってサイコロ型になったマカロニの上にミートソースが乗っていてびっくり。英語のメニューもあったが、他の二組のお客は、エジプト人だった。

 午後は地下鉄に乗ってオールドカイロへ(1ポンド)。乗り込んだタフリール駅から4つ目で降りる。降りた目の前がもうオールドカイロの町の中心である。カイロ発祥の地といわれ、コプト教徒が今もかなりここに住んでいるらしい。  駅前にある聖ジョージ修道院にはコプト教徒らしいひともたくさん来ていて、肖像などに触れ、自分の額にふれるということを繰り返していた。明るい表情をしている人が多く、子供たちはとても楽しそうだった。一緒に写真を撮ったりした。ヒジャブを被っている女性は見かけなかった。

   両側を高い壁に仕切られた路地を歩いて8世紀にできたというシナゴーグへ。ここに現在はユダヤ人はほとんどいないらしいということだったが、黒い帽子と服を着て白い髭を長く伸ばしたユダヤ人らしき一団と出会った。シナゴーグには二組の韓国人の団体がいて、韓国人のコンダクターがいろいろ説明しているところだった。日本人の団体とは出会わなかった。

 エジプト最古のイスラム寺院といわれるガーマアムルを外から見て、最後にコプト博物館へ(40ポンド)。古い聖書やフレスコ画、コプト織などが見ものらしいが、キリスト教美術にほとんど関心のないわたしにはあまり惹かれるものはなかった。

 帰りの地下鉄ではなんと女性専用車両に遭遇。知らなかった夫は乗り込んですぐ、隣の車両に移ったが、図々しい息子は動かなかった。何もいわれなかったけど…。色とりどりのヒジャブを被った女性達でいっぱいの車両はにぎやかな花畑のようだった。他の駅で乗り込んでくる人たちは車両の存在を知っているらしく、女性車両のドアが開くと乗り込んでくるのは女性ばかりであった。

 歩きつかれてホテルに戻り、シャワーを浴びようとすると石鹸がない。枕銭というものを置いていなかったので、ルームサービスが意思表示をしたのだろうか?とちらっと考えた。たんに忘れただけかもしれない。フロントに電話するとすぐにもって来てくれた。  朝食のブッフェのメニューには果物や卵がなく質素だが、ホテル自体に不満はなかった。フロントの人も感じがいいし、立地条件はとてもいい。両替屋もオープンカフェもすぐそばにあるし。夜中は静かだが、繁華街は近いし。ただひとつ問題があるとすれば、シャワーにぬるま湯しか出ないこと。  入ったときにホテルの人に聞いたときには「お湯は出る」とのことだったが。たしかに多少は温かい…。暑い時期ならいいだろうけど、夜が冷えるこの時期にぬるいシャワーはちょっときつかった。だんだん慣れたけど。

   夕食はタフリール広場に面したクレオパトラホテルにある韓国料理の九龍へ。韓国料理なのに何故九龍?クレオパトラホテルがなかなか見つからず困っていると、をその様子を見たダンディな髭を蓄えたエジプト紳士が「どこへ行きたいのかね?」とエジプトなまりの英語で助け舟を出してくれた。方向指示も的確で、すぐに見つけることができた。  結構広い店内にいるお客はほとんど東洋人だった。エジプト人は年配のカップルが一組と日本人と一緒に仕事がらみの食事をしているらしい紳士がひとりだけ。韓国人が多そうだ。韓国人のお店のママがわたしたちにも最初、韓国語で話しかけてきた。  中国料理もあり、チャーハン、春巻きなどもおいしかったが、一番おいしかったのが、娘がとったコリアンヌードルだった。スープヌードルで、スープがとてもいい味だった。辛くないので娘向き。またステラビールを開けた。

                                            (2007年2月8日)

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