白川
タンザニアからの手紙 No.19 エジプト旅日記ー3
金山 麻美(かなやまあさみ)
1月9日
タクシーは黒い車体に白のアクセントでちょっといかつい感じがする。古い車が多そう。ナンバープレートはここの車が皆、そうであるように、アラビア数字で書かれている。車で移動中、覚えたてのアラビア数字で前に行く車のナンバープレートを解読していくのはいい頭の体操になった。
まず、イスラーム地区の観光メッカといわれている十字軍を破ったという要塞シタデルへいくことに。車を止め、シタデルと言っても運転手に通じず、その中にある有名なモスク、モハマド・アリの名を出すと、分かったというふうにうなずいた。
シタデルの前には観光バスがいっぱい停まっていた。高い要塞の壁の前を埋め尽くすような観光バス。平和なのはいいことだ。チケット(40ポンド)を買って要塞の中へ。
シタデルの一番の観光名所はガーマ・モハマド・アリだ。
シタデルの中は広い。筋肉痛の人々と一緒にゆっくり歩く。警察博物館はパスして軍事博物館というのに入ってみた。古い時代の戦いの様子などが分かるかと思ったが、近代兵器や制服などの展示が多く、また2階の展示場への階段が長かったので、「順路はこっちですよ」という係のお兄さんにお断りして逆行して途中で出てきてしまった。若い軍人が当番で係をやっているのかもしれない。
カイロで最初の大きなドームを持ったモスクであるガーマ・ソリマン・パシャを見学してシタデルを後にする。
ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンは入り口のところで靴を脱ぐ代わりに靴の上にカバーをかけてくれた。喜捨として4人で20ポンド払えと言われたので入り口のところの箱に入れる。飾り気のないスッキリした広い中庭が清清しい。古いせいもあるかもしれないが、モスク全体の感じが質実剛健といった雰囲気だ。
中庭からニョキっと突き出しているミナレットが見えた。
まず、少し登ると中庭が見下ろせる場所に出る。四角い中庭が切り取ったように現れた。巨人になった気分だ。
塔の外に設えた螺旋階段を登って行く。だんだん広がるカイロの町並み。
降りていくと鍵おじさんが待っていて手を差し出してくる。実は登る前から、鍵を開けたときからこうだった。どうせまた鍵を閉めなければいけないんだから、待っていてくれればいいのにね。細かいエジプト・ポンドがなかったので、ちょっと多いかな(もう喜捨はしているのだしね)と思いつつ1ドル札を渡した。
次はガーマ・スルタン・ハサンへ。イスラーム建築を代表する建物といわれる威風堂々とした大きなモスク。ここは14世紀半ばにマドラサ(学校)として建てられたそうだ。ミナレットは86m。先ほど登ったミナレットが約40mということだから2倍の高さだ。 「こちらにに登ればよかったね」という強がりの声も聞こえたけれど、さっきのミナレットに登っておいてよかったんでは? ここは入場券(20ポンド)を購入して中に入った。モスクの入り口へ向かう道には赤い絨毯が敷かれ、外側にもたくさんのランプが吊り下げられており、ちょっと幻想的な雰囲気をかもし出していた。中庭にある泉亭では身を清めている信者がいた。
タクシーに戻ると運転手の兄ちゃんは、道端のチャイ屋で買ったガラスのコップに入ったチャイを飲んでいるところだった。
ズヴェーラ門を抜け、婦人服や果物を上からぶら下げて売っているにぎやかな市場の通りを抜けた。
そろそろお腹が空いてきた。と、目の前に急に英語で書かれたメニューを差し出す人がいた。見渡すとそのあたりは観光客狙いと思われるオープンカフェ風レストランが何軒かあった。隣の店には何組かお客がいたが、メニューをくれた店には誰もいなかったが、せっかくだからとそこにした。
「隣のエジプトパンケーキというのが食べたかったなあ」
と息子は言っていたが…。
コシャリはサラダつきで豆ペーストのタヒーナやニンジンや大根のピクルスが出てきておいしかった。斜め向こうのテーブルの隅に置いてあったパンを取ろうとしたら、なんとマンゴジュースがひっくり返り、私の両足の太もも部分にマンゴ色のピュレがドバッと広がった。おおおおおっ。隣に座っていた息子がパッと自分の足を出してコップが落ちないようにしてくれたので(だから息子のズボンにもジュースが少しかかってしまった)コップは割れずにすんだが、それにしても…。お店のお兄さんがすぐに箱入りのティッシュを持ってきてくれた。ここでは布巾ではなくティッシュを使うのだね…とこの非常時にも考えていたわたし。黒いズボンをはいていたのがせめてもの慰み。これが白いズボンだったら目も当てられなかっただろう。上着にも少しついたので、レストランの洗面所で洗っていると、お店の人が粉の洗濯洗剤を持ってきてくれた。どうもありがとう、ほんとうに。おかげで、染みにならずにすんだ。 「マンゴジュースをもう一度持ってこようか?」と店の兄ちゃんが聞いてくれたけど、「スプライトにします…」と答えた。これならもし、こぼしたとしても被害は少ない。とほほのほであった。4ポンドほどチップを兄さんに渡して店を去る。
オレンジ色に染まる湿っぽい黒いパンツのおかげで、もうホテルに戻りたい気分だったが、まだ見に行かなければいけないところがあった。 イスラーム世界の最高学府があるガーマ・アズハルである。エル・アズハル大学の方は見学できないが、隣接のモスクは入ることができる。入り口で靴箱に靴を入れ、わたしと娘はスカーフを貸していただく。
おじさんはわざわざ鍵の閉まっている扉を開けたりしてモスクの奥のほうまで案内してくれた。最後にお礼を渡さなければいけないだろうと20ポンド渡すと、「これでは少ない」 と言う。聞かないふりをしていたけれど、何度も言うので仕方なく「もうこれしかないけど」とあと5ポンド渡すと「まあいいや」という感じで言わなくなった。ちょっと疲れる…。あのお金はモスクへの喜捨ではなく、おじさんの物となるのだろうか。下駄箱のところで靴を受け取ると、別の人が「靴の預かり代」と言って手を差し出してきたけど、渡さなかった。
晩御飯はファラキ広場のそばにある“庶民的”シーフードレストランを目指すが、見つからず。通り道にあったEmaraというこぎれいなレストランに入る。気取ったファミリーレストランのような雰囲気。わたしたちのほかには奥のテーブルに6人ぐらいのグループがいるのみ。テーブルにはすぐに案内してくれ、ミネラルウォーターの大きいボトルを持ってきたけど、メニューをぜんぜん持ってこない。先客がまだメニューを見ながらオーダーを悩んでいる状態なので、メニューの数が足りないらしい…。 メニューが来ると、野菜不足を心配してサラダ、あとはいつものごとくチップスやカバブ、コフタ、スパゲティなどを頼んだ。お酒はおいていなかった。
レストランのテレビではエジプト版の芸能番組をやっていた。その司会の若いねーちゃんの姿がすごかった。たてロールのつやつや髪で厚化粧のバービー人形といった感じ。目の周り、真っ黒。まつげ黒くて超長く、頬紅ばっちり。もともと彫りの深い顔立ちなので化粧でより迫力のある顔に。もうひとりの司会のねーちゃんも最初のひとよりは薄いけど、やはり目の縁はくっきりと黒かった。
ミュージックテレビやCMに出てくる女性たちも目の化粧が押しなべて濃い。
頼みもしないのにスープが出て来た。白いボールに入っているのは、透き通ったスープで、ついているライム(なんと切り身のライムがビニール袋に一つずつパックされていた)を絞って飲むらしい。温まってなかなかおいしい。このスープはお通しのように他のお客にもみな出しているようだった。 サラダはでかいキュウリとトマトのぶつ切りが皿にどんっと盛られていた。チキンカバブがおいしく、ぶつ切りサラダと共にアエーシというパンに挟むとよいコンビネーションだった。 いっぱい食べても4人で90ポンドちょっとで、お昼のレストランよりも安かった。
翌日はアブシンベル行きの飛行機が午前4時半発だ。ホテルを2時半には出発せねばならず、フロントにモーニングコールと朝食をホテルで取る代わりの弁当を頼んだ。モーニングコールはOKだけど、弁当は箱がないので、できないといわれる。コーヒーか紅茶なら部屋に運ぶけど、とも。もっと早く頼んでおけばよかったんだろうか。まあ、なんとかなるさ。
夫と私はホテルのバーへ。息子と娘はホテル内のお土産物やさんを覗いていた。 バーはほの暗くて、古めかしく落ち着いた感じがした。バーテンダーは年配のエジプト人の男の人ひとり。夫はウイスキー、私はビールにした。ビールもレストランで飲むより安かった。隣のテーブルのフランス人(たぶん)のにーちゃんがピーナツらしき物をつまんでいたので、「ピーナツ、ありますか?」とバーテンダーに言ったら、衣つきの揚げピーナツとポテトチップをどんっと持ってきてくれた。お勘定とられるかな?とちょっと心配したけど、杞憂だった。カウンターでは白髪のエジプト人紳士が透明なお酒をおいしそうに飲んでいた。
(2007年2月15日)