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  • 執筆者の写真白川

タンザニアからの手紙 No.19  エジプト旅日記ー3

金山 麻美(かなやまあさみ)

1月9日

 イスラーム地区へ行くためには、タクシーが手っ取り早い。しかし、地下鉄に乗るのと違って値段を乗る前に交渉しなければならない。タンザニアのタクシーもそういうシステムだけど、ここは名だたる観光地であるためにいっそう手ごわいかも…。  Wさんによるとホテルの前で待っているタクシーよりも流しを捕まえたほうが値段が安いだろうということだったので、大通りまで少し歩いて空車を待った。

 タクシーは黒い車体に白のアクセントでちょっといかつい感じがする。古い車が多そう。ナンバープレートはここの車が皆、そうであるように、アラビア数字で書かれている。車で移動中、覚えたてのアラビア数字で前に行く車のナンバープレートを解読していくのはいい頭の体操になった。

 まず、イスラーム地区の観光メッカといわれている十字軍を破ったという要塞シタデルへいくことに。車を止め、シタデルと言っても運転手に通じず、その中にある有名なモスク、モハマド・アリの名を出すと、分かったというふうにうなずいた。

    でも、最初の運転手は20ポンドと言う。Wさんによるとホテルの近くからシタデルまでは5から10ポンドと言うことだった。もう一頑張りしてみようと次のタクシーにトライ。最初、15ポンドと言ったが、10と粘ると、それでいいことになった。値段は英語で交渉した。古い車ではあるが、乗心地はまあまあのタクシーであった。

 シタデルの前には観光バスがいっぱい停まっていた。高い要塞の壁の前を埋め尽くすような観光バス。平和なのはいいことだ。チケット(40ポンド)を買って要塞の中へ。  シタデルの一番の観光名所はガーマ・モハマド・アリだ。

 たくさんのドーム型の屋根と先の尖がった細い二本のミナレット(尖塔)、一番高いドームは6、7階だての建物以上の高さがあるのでは。迫力のある堂々とした外観である。  靴を脱いで中にはいる。中も絢爛豪華。赤い絨毯が敷き詰められ、大きなシャンデリアがいくつも輝いている。天井を見るとドーム部分に緑と金色を中心に幾何学模様のゴージャスな飾りが施してある。絨毯に仰向けに寝転んで眺めたかったが、さすがにそれはちょっと憚られた。  ガーマの手前の広場からは、イスラーム地区のモスクを始め、カイロの町が見渡せた。

 シタデルの中は広い。筋肉痛の人々と一緒にゆっくり歩く。警察博物館はパスして軍事博物館というのに入ってみた。古い時代の戦いの様子などが分かるかと思ったが、近代兵器や制服などの展示が多く、また2階の展示場への階段が長かったので、「順路はこっちですよ」という係のお兄さんにお断りして逆行して途中で出てきてしまった。若い軍人が当番で係をやっているのかもしれない。

 カイロで最初の大きなドームを持ったモスクであるガーマ・ソリマン・パシャを見学してシタデルを後にする。

  さて次の場所に行くのにまたタクシーを頼まなくてはいけない。次の目的地ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン(9世紀後半に造られた建設当時の姿を留めたカイロで一番古いモスク)までの値段をシタデルの下に停まっていたタクシーと交渉する。ホテルからシタデルまで20分くらい走って10ポンドだったのに、5分もかからないであろう次の目的地まで30ポンドと言ってぜんぜん下げないのだ。話にならんと他のタクシーの運転手を探していたところ、  「この後、いろいろ周るのだろう?どこに行きたいのだ?」とエジプト訛りの英語で聞いてきた運転手がいた。こちらの希望を言うと「全部周って待ち時間も入れて60ポンドでどうだ」と言う。結局50ポンドで折り合った。少し高いかと思ったが、それぞれの場所でまたいちいち交渉することを考えたら、ここで決めたほうが楽そうだ。細くて小柄の30代半ばくらいの運転手。名前を聞くのを忘れてしまった。

 ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンは入り口のところで靴を脱ぐ代わりに靴の上にカバーをかけてくれた。喜捨として4人で20ポンド払えと言われたので入り口のところの箱に入れる。飾り気のないスッキリした広い中庭が清清しい。古いせいもあるかもしれないが、モスク全体の感じが質実剛健といった雰囲気だ。  中庭からニョキっと突き出しているミナレットが見えた。

「登るか?」と声をかけられた。見晴らしがよさそうである。登りたくなる。レイジー息子は登らなかったが、夫は筋肉痛を押して登ることに。鍵束を持ったおじさんと一緒にミナレットに向かった。

 まず、少し登ると中庭が見下ろせる場所に出る。四角い中庭が切り取ったように現れた。巨人になった気分だ。  塔の外に設えた螺旋階段を登って行く。だんだん広がるカイロの町並み。

 天気もいいし、気持ちいい。屋上に小屋を建てて住んでいるおじさんが見えた。ゴミ溜めのようなその屋上でヤギやアヒルを飼っているのだ。本人は悠然と日陰に座ってそれを眺めていた。ミナレットの天辺に立つと、遠くまで広がるくすんだ色の建物たちばかりでなく、路地で近所の人とおしゃべりをしているおばさんや、はしゃぎながら道を行く子どもたち、果物をいっぱい積んだ荷車を押す男など人々の日常生活も垣間見えた。

 降りていくと鍵おじさんが待っていて手を差し出してくる。実は登る前から、鍵を開けたときからこうだった。どうせまた鍵を閉めなければいけないんだから、待っていてくれればいいのにね。細かいエジプト・ポンドがなかったので、ちょっと多いかな(もう喜捨はしているのだしね)と思いつつ1ドル札を渡した。

 次はガーマ・スルタン・ハサンへ。イスラーム建築を代表する建物といわれる威風堂々とした大きなモスク。ここは14世紀半ばにマドラサ(学校)として建てられたそうだ。ミナレットは86m。先ほど登ったミナレットが約40mということだから2倍の高さだ。  「こちらにに登ればよかったね」という強がりの声も聞こえたけれど、さっきのミナレットに登っておいてよかったんでは?  ここは入場券(20ポンド)を購入して中に入った。モスクの入り口へ向かう道には赤い絨毯が敷かれ、外側にもたくさんのランプが吊り下げられており、ちょっと幻想的な雰囲気をかもし出していた。中庭にある泉亭では身を清めている信者がいた。

 タクシーに戻ると運転手の兄ちゃんは、道端のチャイ屋で買ったガラスのコップに入ったチャイを飲んでいるところだった。

 「飲み終わるまで待つよ」と言うと、「いいんだ。いいんだ」とコップを持ったままタクシーに乗り込み、なんとチャイを飲みながら運転しはじめた。だいじょうぶなんかいね?  そのままタクシーの最終目的地であるズヴェーラ門へ向かう。タクシーは車がやっとすれ違えるかどうかの両側ところどころ雑貨屋や食料品店などの商店街のある狭い路地に入った。「これがほんとのエジプシャンライフだよ」なんていいながら運転してる。結構人も行きかうにぎやかな通りだ。バイクが多い。サンドイッチの屋台で順番待ちをしている男たちもいた。  ズヴェーラ門に着きタクシーとお別れ。約束の50ポンドを払うと「チップはないのか?」などと言う。まあいろいろ楽しかったので、あと10ポンド渡した。

 ズヴェーラ門を抜け、婦人服や果物を上からぶら下げて売っているにぎやかな市場の通りを抜けた。  そろそろお腹が空いてきた。と、目の前に急に英語で書かれたメニューを差し出す人がいた。見渡すとそのあたりは観光客狙いと思われるオープンカフェ風レストランが何軒かあった。隣の店には何組かお客がいたが、メニューをくれた店には誰もいなかったが、せっかくだからとそこにした。  「隣のエジプトパンケーキというのが食べたかったなあ」  と息子は言っていたが…。

  息子の定番チキンチップスとコフタサンド、エジプト名物コシャリ(マカロニやスパゲティ、米のごはんなどを混ぜたところにトマトソースで味付けしたもの)などを注文。マンゴジュースがメニューにあったのでそれを頼む。と、隣の店からジュースを運んでくるのだった。すっごく濃厚なジュースというよりピュレのような液体であった。おいしくはあったが。後でこれで困ったことになる…。

 コシャリはサラダつきで豆ペーストのタヒーナやニンジンや大根のピクルスが出てきておいしかった。斜め向こうのテーブルの隅に置いてあったパンを取ろうとしたら、なんとマンゴジュースがひっくり返り、私の両足の太もも部分にマンゴ色のピュレがドバッと広がった。おおおおおっ。隣に座っていた息子がパッと自分の足を出してコップが落ちないようにしてくれたので(だから息子のズボンにもジュースが少しかかってしまった)コップは割れずにすんだが、それにしても…。お店のお兄さんがすぐに箱入りのティッシュを持ってきてくれた。ここでは布巾ではなくティッシュを使うのだね…とこの非常時にも考えていたわたし。黒いズボンをはいていたのがせめてもの慰み。これが白いズボンだったら目も当てられなかっただろう。上着にも少しついたので、レストランの洗面所で洗っていると、お店の人が粉の洗濯洗剤を持ってきてくれた。どうもありがとう、ほんとうに。おかげで、染みにならずにすんだ。  「マンゴジュースをもう一度持ってこようか?」と店の兄ちゃんが聞いてくれたけど、「スプライトにします…」と答えた。これならもし、こぼしたとしても被害は少ない。とほほのほであった。4ポンドほどチップを兄さんに渡して店を去る。

 オレンジ色に染まる湿っぽい黒いパンツのおかげで、もうホテルに戻りたい気分だったが、まだ見に行かなければいけないところがあった。  イスラーム世界の最高学府があるガーマ・アズハルである。エル・アズハル大学の方は見学できないが、隣接のモスクは入ることができる。入り口で靴箱に靴を入れ、わたしと娘はスカーフを貸していただく。

他のモスクでは女性に全身を覆うような緑の(何故に緑)ローブを着なければならないところもあったが、何もなしでいいところもあった。でも、何もなしでいいところでもモスクの中ではマフラーを被っている白人女性の観光客を見た。わたしもマフラーを用意しておけばよかったな。と思うと同時に、女は面倒じゃんとも思った。男性はモスクの中にはいるのに(本当は身を清めなければいけないんだろうけど)とくに何もする必要ないのにねえ。  でも、エジプトの街角などでヒジャブを被っている女たちを見ても別に大変だなあとも思わなかった。髪で顔をカバーできないのは、丸顔が強調されそうなわたしにはつらいかも…と思ったりはしたが。  ヒジャブは宗教的な意味はもちろんあるのだけど、習慣となってしまっている部分も多いだろう。以前、フランスの公立学校で宗教を表す格好はしてはいけないということになり、ムスリムの女生徒のスカーフも禁止ということで、ニュースを賑わしたことがあった。あれはひどい話だと思った。宗教とは関係ないけど、習慣という観点から例えれば、ずっとブラジャーをしてきた女性に「それは女性を抑圧する物だから明日から外すように」と言うようなものではないのだろうか。

  モスクにはいるとゆったりとしたイスラームの服を着たおじさんがそばに来て、いろいろ解説してくれる。イスラームの5行=5つの信仰の柱とは何か(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)というような基本的なことからはじまってアズハル大学には現在でも世界各地からたくさんの学生が集まってきているといったことまで。モスクは中庭にも大理石のような冷たく美しい石が敷かれていて、威厳のある雰囲気だ。赤い絨毯が敷かれた広いモスクの中では、本(コーランであろう)を読みながら自習にいそしむ学生の姿がところどころに見えた。東洋人のような外見の人も何人かいた。モスクの上のほうについているステンドグラスの窓が美しかった。

 おじさんはわざわざ鍵の閉まっている扉を開けたりしてモスクの奥のほうまで案内してくれた。最後にお礼を渡さなければいけないだろうと20ポンド渡すと、「これでは少ない」  と言う。聞かないふりをしていたけれど、何度も言うので仕方なく「もうこれしかないけど」とあと5ポンド渡すと「まあいいや」という感じで言わなくなった。ちょっと疲れる…。あのお金はモスクへの喜捨ではなく、おじさんの物となるのだろうか。下駄箱のところで靴を受け取ると、別の人が「靴の預かり代」と言って手を差し出してきたけど、渡さなかった。

   ガーマ・アズハルからハン・ハリーリのバザールに向かって歩いていく。マンゴの香りのパンツも乾いてきたので、あまり気にならなくなった。  キルトのクッション、民族衣装のカラベーヤ、水タバコの器械などのカラフルなお店が並ぶ。息子と娘が友人のお土産にアクセサリーを買いたいというので、アクセサリーショップに立ち寄った。    T字の上に○が乗ったようなデザインの銀のペンダントトップを息子が気に入った。このマークは古代エジプトのヒエログリフにもよく使われている。「命」という意味があるらしい。50ポンドというのを35ポンドまで負けてもらったうえ、黒いチョーカーまでつけてもらった。  スカラベのアクセサリーや置物がいっぱい売られているので、ワクワクしていた私も  やはり60ポンドの言い値を35ポンドまで値切ってブルーのスカラベのペンダントトップを購入。幸せ気分。「お客さんには負けたよ」とお店の兄ちゃんは苦笑いしていた。

 ホテルに戻ると、いつも冷蔵庫の上にそのまま伏せられていたコップの下に紙製のコースターが置かれ、その下には白いナプキンまで敷いてあった。今朝は枕の下に1ポンド入れておいたのだ。ふふふ。なんかまだ会ったこともないルームメーキングの人と会話を交わしているようで楽しくなった。

 晩御飯はファラキ広場のそばにある“庶民的”シーフードレストランを目指すが、見つからず。通り道にあったEmaraというこぎれいなレストランに入る。気取ったファミリーレストランのような雰囲気。わたしたちのほかには奥のテーブルに6人ぐらいのグループがいるのみ。テーブルにはすぐに案内してくれ、ミネラルウォーターの大きいボトルを持ってきたけど、メニューをぜんぜん持ってこない。先客がまだメニューを見ながらオーダーを悩んでいる状態なので、メニューの数が足りないらしい…。  メニューが来ると、野菜不足を心配してサラダ、あとはいつものごとくチップスやカバブ、コフタ、スパゲティなどを頼んだ。お酒はおいていなかった。

 レストランのテレビではエジプト版の芸能番組をやっていた。その司会の若いねーちゃんの姿がすごかった。たてロールのつやつや髪で厚化粧のバービー人形といった感じ。目の周り、真っ黒。まつげ黒くて超長く、頬紅ばっちり。もともと彫りの深い顔立ちなので化粧でより迫力のある顔に。もうひとりの司会のねーちゃんも最初のひとよりは薄いけど、やはり目の縁はくっきりと黒かった。  ミュージックテレビやCMに出てくる女性たちも目の化粧が押しなべて濃い。

   まるで古代のエジプトの壁画のように目の周りが黒く縁取られているのだ。これがエジプトの伝統なのだろうか?

 頼みもしないのにスープが出て来た。白いボールに入っているのは、透き通ったスープで、ついているライム(なんと切り身のライムがビニール袋に一つずつパックされていた)を絞って飲むらしい。温まってなかなかおいしい。このスープはお通しのように他のお客にもみな出しているようだった。  サラダはでかいキュウリとトマトのぶつ切りが皿にどんっと盛られていた。チキンカバブがおいしく、ぶつ切りサラダと共にアエーシというパンに挟むとよいコンビネーションだった。  いっぱい食べても4人で90ポンドちょっとで、お昼のレストランよりも安かった。

 翌日はアブシンベル行きの飛行機が午前4時半発だ。ホテルを2時半には出発せねばならず、フロントにモーニングコールと朝食をホテルで取る代わりの弁当を頼んだ。モーニングコールはOKだけど、弁当は箱がないので、できないといわれる。コーヒーか紅茶なら部屋に運ぶけど、とも。もっと早く頼んでおけばよかったんだろうか。まあ、なんとかなるさ。

 夫と私はホテルのバーへ。息子と娘はホテル内のお土産物やさんを覗いていた。  バーはほの暗くて、古めかしく落ち着いた感じがした。バーテンダーは年配のエジプト人の男の人ひとり。夫はウイスキー、私はビールにした。ビールもレストランで飲むより安かった。隣のテーブルのフランス人(たぶん)のにーちゃんがピーナツらしき物をつまんでいたので、「ピーナツ、ありますか?」とバーテンダーに言ったら、衣つきの揚げピーナツとポテトチップをどんっと持ってきてくれた。お勘定とられるかな?とちょっと心配したけど、杞憂だった。カウンターでは白髪のエジプト人紳士が透明なお酒をおいしそうに飲んでいた。

                                            (2007年2月15日)

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