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タンザニアからの手紙 No.20  エジプト旅日記ー4

金山 麻美(かなやまあさみ)

1月10日

 朝2時半きっかりにモーニングコールがかかってきた。「紅茶かコーヒーはいかがかね?部屋まで運ぶし、ただだよ」と再び電話で言われたが、時間がなさそうなので断った。  荷物を持ってロビーに降りると、まだ約束の3時前なのにナイルメロディのMさんが現れた。  「運転手だけだと思ってたのに」  と夫とサービスの手厚さにちょっとビックリ。運転手はSさんだった。いつもの快適なミニワゴンが夜更けのカイロの町を走っていく。Wさんもこの時間にMさんの携帯電話を通じで連絡をくださった。その細かい気配りに頭が下がる。

 にぎやかで夜も明るいカイロの町に馴染みかけた時にはもうお別れとは…。一抹の寂しさを感じていた。

 車の中から、別れを惜しむ気持ちでカイロの街並みを眺めていた。この道を来たときも夜だったなあと思いつつ。  驚いたことに開いている店がところどころにあった。夜中の3時過ぎである。さすがに数は多くはないが、ところどころに庶民的なレストランや果物屋、薬屋のような店までが灯りをつけている。お客もいそうだ。ぶらぶら歩いている人たちもちらほら見かけた。夜の街が恐くないっていうのは、ほんとうにいいものだなあとしみじみ思った。  カイロ空港に着き、車を降りたところでSさんとお別れ、チェックインが済んだところでMさんともお別れ。さようならカイロ。

 空港のカフェでお茶を飲んだら1杯20ポンドくらい取られ、メッチャ高かった。  団体さんが何組かやって来た。日本人のグループもある。ほとんどの人が朝食の入った袋か箱を持っている。ホテルのお持たせだろう。待合室で食べ始める人もいる。わたしたちはじっと我慢である。

 エジプト航空アブシンベル行きは予定通りの4時半に飛び立った。すぐに甘いケーキとジュースのセットが配られた。わたしたちの前の席に赤ちゃん連れのエジプト人カップルがいたが、ほとんどは観光客のようだ。  だんだん夜が明けてくる。窓から朝焼けに照らされるナイル川が見えた。ナイル川の辺は荒削りの形のままで、川べりにはまったく何の痕跡も見えない。無人の地帯だ。

  ルクソールにいったん降りる。ルクソールで降りる人、乗ってくる人もいた。また飛び立つと再びジュースが配られた。短い飛行時間でもサービスに余念がないエジプト航空であった。

 飛行機の左の窓側に座ったわたしは、空からアブシンベル大神殿が見えるはずだということでカメラ係を仰せつかった。ルクソールから飛び立ったあと、窓から目が離せなくなる。ナイル川が見えていたが、そのうち、水のほうが多くなり、水の上にぽつぽつと島が浮かんでいるようになる。ナセル湖に入ったのか?島の上に切り立った山が見えた。それがアブシンベル大神殿だった。最初は焦点が合わなかったが、2枚目は結構綺麗に撮れた。飛行機の上からでもラムセス2世の揃えた足が見えた。

 アブシンベル空港に着き、トイレタイムを挟んだ後、指定された観光バスに乗り込む。一緒の飛行機だった日本人の団体と同じバスだった。あとフランス人らしいおば様が一人。  アブシンベルは砂漠の町だ。でも、湖のそばには緑もある。  空港から15分ほどでアブシンベル大神殿のチケット売り場に到着。(80ポンド)チケットを買って大神殿までの道を歩いた。風が吹くと結構寒い。山の裏側から石畳の歩道が続いている。しばらく行くと右手が湖となり、アブシンベル大神殿の前面に横からだんだんと近づいていく。遠くにある大きな物にだんだんと近づいていくというのは、知覚的興奮作用からいっても効果的なのでは?いきなり目の前に現れたピラミッドと違って、だんだんと盛り上がる音楽に乗せられたようでもあり、遺跡がだんだんと巨大になっていくさまを体験できるのは楽しかった。

    今から約3,300年もの昔のラムセス2世の時代に岩を崩して作られたという巨大神殿は、33mの高さがあり、正面にでんと構えるラムセス2世の4つの巨像は20mもの高さだそうだ。どうやって何人がかりで作ったのか。自己顕示欲の強い王様だったという評判だけど。  隣の小神殿は、最愛の王妃ネフェルタリのために作られたそうだ。神殿の表には二人のネフェルタリを囲むようにしてやはり4人の王がいた。足元に立って写真を撮るとその巨大さが良くわかる。  神殿の中にもラムセス2世の像があり、壁には戦争で戦う人々の絵などが描かれていた。馬車に乗った戦士の絵や、馬に乗った人の絵もあり、細かい部分まで丁寧に描かれている。観察力のすごさに驚かされる。色が残っている部分も結構あり、美しかった。  神殿内では写真撮影禁止という看板があるにもかかわらず、東洋人、白人を問わず、それもフラッシュつきで撮っている輩がいて、がっくり。表では、像の足の上に乗って写真を撮っている人もいた。古代の人々に対する尊敬の念や、今後にこれを残してゆくべきだという思いがないのかなあ。

  1970年にできたアスワンハイダムにより水没の危機に遭遇したアブシンベル神殿をユネスコによる国際的な救済活動で、資金や技術を集め、今の場所に移動させたそうだ。ブロックのように切って移動した物をまたくっつけたそうだ。アブシンベル神殿を守ろうという気運がユネスコの世界遺産のはじまりとなったということだ。像のまわりの岩を見ると、なるほど四角いブロックを積み上げたようにも見える。  この冬の時期でも太陽が昇ってくると日向は暑い。アブシンベル観光が早朝なのは、日差しの強さの関係だろう。休憩している人を見ると、少ない日陰のベンチに集まっている。  見上げると雲ひとつないくっきりとした青空で、長年の日差しに耐えてきたであろうベージュ色の遺跡とのコントラストがとても美しかった。  バスへの帰り道は、遺跡の裏側での日陰の歩道を行く。ナセル湖から吹く風が冷たかった。砂漠の気候は曖昧なところがないのだと思った。

 アブシンベルの空港のお土産物やで、アブシンベル神殿を移動したときのドキュメンタリービデオを流していた。土産物の一つらしい。切り取られたラムセス2世の頭を、でかいピンセットのような物が挟んで持ち上げるシーンでは、もしも落としたらどうなるのだろう?と、ハラハラしながら見ていた。ドイツ語のようだったが、わたしたちが熱心に見ているので、店の人が音声を日本語に変えてくれた。ごめんね。でも買わなくて。  再び飛行機に乗り込み、アスワンへ。またジュースが出たが、もういっぱいという感じなので、カバンに入れた。幸い、紙パックのジュースなのだ。エジプト製のグアバジュース、真っ白で味が濃厚。

 アスワンの空港でタクシーにアスワンハイダムに寄ってホテルに行ってもらうように交渉する。ホテルへの近道をいけば、アスワンダムを通るけど、アスワンハイダムへ行くには迂回しなければならないのだ。丸顔のふくよかな運転手さんと50ポンドで話がまとまった。タクシーはちょっと大きめの座席が3列目まであるやつ。でも、エアコンはもちろん効かないし、ドアも片側が開かなかったりする。  アスワンハイダムへの入場料は8ポンド。観光バスなども停まっていた。  1970年にナイル川の氾濫を抑え、人口増加するエジプトの農業への水の供給と電力供給をまかなうために作られたそうだ。そのために人造湖、ナセル湖ができた。  観光ポイントの橋の上からみても、静かな湖の広がりが見えるだけで、ダムがあるということは、よく分からなかった。ハイダム記念碑をバックに写真を撮り、来たという証拠を残す。  タクシーの運転手は、ホテルまでの道すがら、イシス神殿などの観光をこのタクシーでしないかと熱心に勧めてくるが、朝も早かったし、のんびり過ごす予定なのでと断わり、明日の空港への送りだけお願いした。  アスワンの大通りには、あまり背の高くない建物が多くならんでいた。空の面積が広い。樹木があまりなく、日差しが強いので、昼間は散歩をするのがちょっと大変かも。

  エジプトには歴史のある素晴らしいホテルもたくさんある。普段、泊まるところには贅沢を言わないわたしたちだけど、一点豪華主義でそういうホテルにも泊まってみようかということに。由緒あるカタラクトホテルに宿を取る。アガサクリスティの『ナイル殺人事件』の舞台にもなったホテルだそうな。ナイル川の辺に優雅に建っている。しかし、由緒ある古い建物のオールドカタラクトはやはり値段も素晴らしかったので、その敷地内に新しくできたもう少し手ごろなニューカタラクトにした。でも、ナイル川が見える部屋に泊まるのだ。  部屋は5階だったので、アガサクリスティがそこで執筆していたかもしれないオールドカタラクトのカフェテラスやその向こうに悠然と流れていくナイル川が見える。ファルーカと呼ばれる帆船の白い帆が青いナイルの流れに映える。一日中眺めていてもあきないだろうなと思った。  午前2時半から活動していたのに、ちゃんと食事をしていなかったため、お腹が空いていた。すぐにホテルのナイル川の辺にあるオープンレストランへ。ブッフェ形式の昼食は、いろいろなサラダ、煮込み料理にバーベキュー、デザートも何種類もあり、とても豪華だ。食べ始めてから聞いたら値段も豪華で、一人150ポンドもした。でも、おいしかったし、たくさん食べたのでよしとしよう。メインも二皿お代わりし、デザートはほとんどの種類を食べつくし、ビールも飲んで、ナイル川も眺めて、と優雅な?昼食の後は幸せなお昼寝。

 午後4時頃に起きだし、憧れのオールドカタラクトのカフェテラスに夫と繰り出した。娘は爆睡中、息子はテレビで見られる映画に夢中だったので置いていく。  あいにく、テラスのナイル川に面した席は埋まっていた。もうテーブルの上に何も飲み物も食べ物も載っていない白人のおばさん2人がそれぞれ4人掛けの席を一人で独占していた。5つあるテーブルのうち2つは彼女達のせいでずっと埋まり続け。しかも本を読んでいる。別にあの席で読まなくてもいいじゃんねえって思ったけど、彼女たちはお年寄りだったので、まあ許した…。ナイル川は部屋からも見られるし。

 せっかくなのでアフタヌーンティーとしゃれ込むことに。ヨーロピアンタイプとアジアンタイプがあったのでひとつずつ頼んだ。前者はマフィンやプチケーキや小さいサンドイッチなどで、後者はサンドイッチもエジプト風のひき肉団子が、プチケーキにはココナツパウダーが使われていた。量が多かったので半分以上部屋にいる二人に恩着せがましく持って帰ってやることに。  何より嬉しかったのは、大きなポットにたっぷりと紅茶が出て来たこと。リプトンのティーバックなのが玉に瑕だけれど、紅茶の葉の育たない国だからね。カップも大きくてたっぷり注げて幸せだった。

 すっかり部分的タンザニア人のわたしには朝はチャイが必須である。たっぷりのミルクと砂糖入りの。大きなカップでグビっと飲みたい。  エジプト人もチャイは大好きのようだけど、ホテルの朝ごはんのティーカップは小さめで、ミルクはパウダー、お代わりはいちいちウエイターさんに頼まないといけないという苦難のチャイタイムであったのだ。  だからアンティークな雰囲気の落ち着いたこのカフェテラスで両手で抱えるほどの大きなティーカップにたっぷりのミルク(冷たいのがチョイ残念だったけど)と砂糖をいれていただくのはほんと至福の時だった。プチケーキも見た目も可愛く甘すぎず美味。  そのうち、音楽家が二人ほど登場し、笛と太鼓を奏で始めた。エジプト風というのだろうか。もの悲しい懐かしい思い出を手繰っていくような曲だった。

 部屋に戻って、まだ爆睡していた娘を起こし、息子と一緒にナイル川が見下ろせるベランダで、持って来たプチケーキなどを食べさせた。 川から吹いてくる風も心地よい。1泊しかしないので、少しでも長くここからの眺めを楽しみたいのだ。

  スーダンの国境からアスワンまでのエジプトの南部ナイル川沿いはヌビア地方呼ばれている。カイロの考古学博物館で見た黒い肌で縮れ毛の40人の弓隊の人形は、ここヌビア出身の黒人たちをかたどった物だ。ホテルのスタッフを見てもカイロではあまり見かけなかった黒い肌の人たちを見かけるようになった。タンザニアから来ているわたしは、彼らを見るとなんだか懐かしくほっとするような気分となった。もともとこの地に住んでいた彼らは、今でも独特の言語や文化を持ち続けているということだ。

 ホテルから歩いて5分もかからないところにヌビア博物館があった。おもしろいことに昼間は閉まっていて朝と夕方のみ開館する。暑い昼間に休むというのは理にかなっている。  午後5時から開くそうなので、4人でぶらぶらと歩いて行った。小高い丘の上にある博物館は、1997年にオープンしたばかりだそうで、赤いレンガ風の外観がモダンな感じだ。

 中もゆったりと展示物が置かれていて、見に来ている人もそれほど多くなく、のんびりと見学できた。先史時代からのヌビアの歴史を解説するパネルがところどころに張ってあり、当時使われていたつぼ、宝飾品、マスク、彫刻、各種神殿の模型などが展示してある。ツタンカーメンのようにお墓にかぶせたマスクもあったが、ヌビアのものは黒人の顔だちをしていた。古代の像の彫刻もあり、解説には「当時本当に像がいたかどうかは謎」などと書かれていた。  現代のヌビア人の生活、漁をしたり、コーランを学んだり、という人形が展示されている場所を抜けて外に出るともう真っ暗だった。広い庭が博物館にはあり、ところどころに明かりがついていた。水路があり、橋があり、なんだかおもしろそうだ。ずんずん歩いていくと半円形劇場のような場所があった。その先にはヌビア人のモデルハウスもある。中には入れなかったが、壁にはカラフルな絵が描かれていた。暗かったので、写真が撮れずに残念。その先を行くと、急に洞窟の中を歩いているようなつくりとなり、びっくり。まるで先が分からないロールプレイングゲームの中にいるようだ。小道の間は、綺麗な芝生が生えているし、色とりどりの花が植えてあるところもあった。この庭を保つのはなかなか大変なことだろう。聖者廟の模型などもあり、午前中に来ても楽しめそうだ。

 部屋に戻ると夜の明かりに照らし出されたナイル川が待っていた。川に灯りが反射して揺れている。川向こうに見える明かりはアスワンの町だろうか。ベランダでちょっと冷たい夜風に吹かれながらいつまでも眺めていたい…。と思ったが、睡魔の方が強かった。

                                            (2007年3月1日)

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