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  • 執筆者の写真白川

タンザニアからの手紙 No.21  エジプト旅日記ー5

金山 麻美(かなやまあさみ)

1月11日

 エジプトに来てからよく眠れている。夜中もほとんど起きない。毎日歩き回っているからだろうか。夜が快適な気候だからか。悩むことがないせいか。  今朝も快適にめざめて、豪華なビュッフェの朝食をとった。フルーツもサラダもたくさんあるし、卵も焼いてくれるし。紅茶のカップは小さかったけど。  午前9時10分発の飛行機でルクソールに向かうため、朝食後、すぐにこのホテルをでなければならない。タオルで白鳥を作ってくれた陽気なルームメーキングのおじさんともお別れだ。何よりもあのナイルの眺めと別れるのは辛い…。もう来ることもないんだろうなあ、なんてしみじみと思ってしまった。

7時に昨日のタクシーが迎えに来てくれた。アスワンダムを通って(素通りしてこっそり写真を撮ったのみ:写真撮影はご法度らしい)アスワン空港へ。  空港に早めに着いたので、待ち時間に空港内のお土産物屋をひやかす。色とりどりのスカーフに惹かれて、しげしげと見ていると、店の兄さんが声をかけてきた。夫には「もうエジプトではモスクには入らないので、スカーフは要らないよ」といわれていたにもかかわらず…。  兄さんは、鮮やかな黄色やピンクのマフラーを勧めてくれるけど、深い緑色にすかし模様の入ったシックなスカーフに目が留まった。35ポンドだそうだ。交渉していくうちに20ポンドまで下がった。よし、買おうかなと思い始めたところに、兄さんが、  「こっちの黄色とピンクのも一緒にどうだ?一つ、15ポンド、二つで30ポンドに負けておくよ」  と言いだしたので、  「じゃあ、この緑のも15ポンドにしてよ。でも、黄色とピンクは要らないわ」  と言ったら、兄さん、怒り始めてしまい、交渉決裂。でも、やっぱり欲しいなあと思い返し、娘に20ポンド預けて買ってきてもらった。ニコニコ顔で売ってくれたそうだ。

  ルクソールの空港から街の中心までは、タクシーで5分くらいで着いてしまった。タクシーの運転手が、これからの観光にもこの車を使えとしつこく話しかけてきたけれど、あすの西岸観光は、もうナイルメロディにお願いしてあるのだ。  ルクソールのホテルはメルキュールインという中級ホテル。ちゃんとバスタブもついているし、たくさんお湯も出た。ホテルから一歩出ると目の前にルクソール神殿が見える。  また、馬車がたくさんとまっていて、馬糞の匂いもなかなかすごい。主に観光客用のようで、手綱を握るおじさんたちは、だいたいゆったりとしたイスラムの服にターバンを巻いているし、馬車のキラキラした飾りをつけていて人目を引く。  ルクソールは高い建物がほとんどなく、車どおりも激しくなく、ちょっと歩くとナイル川沿いの遊歩道に行き着くし、のんびりしたいい感じのところだった。観光客と見ると、船に乗らないかとか、馬車に乗らないかとか、いろいろ声をかけてくる人たちはいるけれど、しつこくはなかったし。

  午前中、ルクソール神殿を見学する。入場料を払って中に入らなくても、ぐるっと外を一回りして中をのぞきこめるので、それでもいいかとも思ったけど、せっかく来たので、中に入った(40ポンド)。  片割れがパリのコンコルド広場に立っているという正面にそびえる残されたオベリスク(古代エジプトで作られた記念碑)を見上げる。これもアブシンベル神殿と同じ、ラムセス2世が作ったそうだ。エジプトに残っているオベリスクより海外に持ち出されたオベリスクの方が多いというのは、おかしな話だと思うけど。 反対側にはかつてはカルナック神殿まで続いていたというスフィンクスが並ぶ参道があり、壮観だった。巨大な石を積み上げて作られた神殿の中には、観光客がいっぱいだったが、スケッチをする地元の女子学生もいた。可愛かったので、思わずパチリ。

     お昼は、子供たちをマクドナルドへ行かせ、わたしと夫は優雅にナイル川沿いのレストランでランチとも思ったが、スークの入り口にある食堂からのいい匂に惹かれてしまった。テーブルがやっと二つ入いるくらいの小さな食堂だ。テイクアウトの客も多いのだろう。注文をしようとすると、店の兄ちゃんが「ちょっとだけ待って」と言う。何かと思うと、お祈りを始めたのだった。ちょうどその時間だったのね。お祈りが終わり、「ぼくはハマダというのだ」という愛想のいい兄ちゃんに、ガラスケースの中の料理を指差し、「これは何?いくら?」と聞きながら注文。サフランのような黄色い色が混じったごはんを二皿、壷にはいった煮込みを一つ、焼き鶏を半身、あとコフタサンドイッチなどを頼んだ。  煮込みは熱々で、柔らかく煮込まれた牛肉と芋、人参などが入っていて深みのある味。ご飯にかけて食べると、口の中でとろけるようだ。ハマダ青年に「この料理の名前は?」と聞いても、「肉と野菜の煮込みだよ」などと答えるので、結局不明のまま。たっぷり食べて全部で20ポンドもいかなかった。安くておいしい物をさがして食べる幸せは、こういった旅ならでは。

 食後の散歩でスークを少しぶらぶらする。娘が友だちにお土産を買いたいというので、アクセサリー店を覗く。気に入った指輪があったらしい。店のおじさんと交渉させる。40ポンドと言われたのが、35ポンドまでは下がったが、なかなかその先には行かず、いったん諦めさせようか、と思ったら、店の中にいた10代前半の可愛い女の子が、アラビア語でなにやらおじさんに話しかけている。おじさんが説明するには、この子はおじさんの子どもで、何でも欲しがるわがまま娘なのだ、ということだった。が、娘に話しかけられるとおじさんの相好は崩れ、「30ポンドでいいよ」と言い出した。女の子が「負けてあげなさいよ」と言ってくれたらしい。可愛いお嬢さんとのツーショットを撮らしてもらい、指輪も無事手に入れて、上機嫌の我が娘であった。

     夕方少し涼しくなってから、ルクソール東岸のもう一つの神殿、カルナックまで歩いていくことに。夕方でも日差しはまだ強く、川沿いではなく別の道を選んだので、埃っぽく、歩き辛かった。

  「なかなか着かないねえ」などと言いながら歩いていると、一台の馬車が近づいてきて「どこへ行くのだ?乗って行きなよ」と何度も話しかけてくる。「カルナック神殿?10ポンドでいいよ」と言うので、乗ることにした。御者のほかに関係者らしい子どもが一人乗っていた。その上、私たち4人が加わり、馬の速度は当然落ちる。馬にちょっと申し訳ない気がした。それにちょっと恥ずかしい。でも、あの道をずっと歩き続けることを考えたら、馬車に乗ってよかったのだ。こんなことでもないとなかなか乗れないしね。    カルナック神殿(50ポンド)は、ルクソール神殿より広かったが、巨大な石の集積場という感じがした。実際、修復が進んでいないところは、ブロックのような石がぼこぼこ積んであるのだ。でも、天井の壁画に色が残っている部分もあり、かつてのカルナック神殿はどんなだったのだろう、カラフルかつ荘厳な存在だったのだろうかなどと想像したりもした。周囲を回ると幸せになるという大きなスカラベ(フンコロガシ)の彫刻を探したが、残念ながら見つからず…。  夕食は、ホテル内のイタリアンレストランで。エジプトワインをはじめて飲んだ。ふしぎな味がした。

1月12日

 本日は、朝の9時から一日西岸観光の予定。昼ごはんも抜き?で走り回る予定なので、ホテルの朝食ブッフェのパンやゆで卵を少しいただいて持ち帰る。  9時きっかりに迎えの車(またまたピカピカのミニワゴン車)と、ガイドさんがホテルにやって来た。ガイドさんは、またもやハマダという名前の(エジプト人には多いのだろうか?)30代半ばくらいの小柄の男性。ドライバー(名前失念)は、細身の優しそうな男性だった。

    行きしに、小さな店に寄り、6人分の紙パックジュースと水を購入。ジュースが2ポンド、水(500ml)が1ポンドだ。昨日、顔に塗るクリームを探し(とても乾燥してるので、お肌がパリパリ)に、「ミニスーパーマーケット」と看板のある雑貨屋さんに娘と行ったら、そこにはなく、店のおじさんが、息子にほかの店に買いに行かせた。待っている間、暇だったので、売り物の駄菓子や飲み物、石鹸などの値段を聞きまくり、だいたいの相場がつかめて、「ああ、これでやっとエジプトでも暮らしていけそうだ」とほっとしたところであった。

 さて、車はナイル川に架かっているルクソール橋を渡り、西岸へ。ハマダさんが言うには、古代エジプトでは、東岸は生者の町、西岸は死者の町だったそうだ。なので、古代のファラオの墓などが西岸に集まっている。なぜかというと、太陽は東から昇り西に沈むからだそうだ。  西岸に入ると、緑の畑が広がった。ロバで荷物を運ぶ農民、小さな家々…。畑では主にサトウキビが作られているということだった。

   まず王家の谷へ。畑のある地帯をすぎると、荒涼とした岩肌をむき出しにした場所となる。岩を掘り、その中に墓を作るのは、盗掘を避けるためだったそうだ。全部で62の墓があるが、つい最近63番目の墓が発見されたとハマダさんが言っていた。ツタンカーメン以外のほとんどの墓は泥棒にあっているそうだ。  70ポンドの入場券で3つの墓に入ることができる。ツタンカーメンの墓だけ別料金で一つだけで80ポンドもする。でも、せっかくだから入ってみることに。切符売り場からお墓地帯へいくまでカートに乗っていくのだが、そのチケット8ポンドも購入。  墓の見所は壁画である。最初に入ったラムセス1世の墓は、小さめだったが、棺の置かれた部屋中が美しい色とりどりの中の壁画で覆われていた。色も鮮やかでついこの間描かれたようだ。墓の中での写真撮影は禁止されているので、お見せできなくて残念。カラフルなヒエログリフに囲まれた絵は、ミイラを作っているところや、復活の象徴である船、犬やハヤブサの頭をもつ神々などが描かれていた。  神殿に描かれている壁画などもそうなのだが、どの絵も細部まで丁寧に描かれ、またとても上品な感じがする。お土産物で真似た絵が売られているが、実際には似てもにつかない。かもし出す雰囲気が全然違うのだ。  次はラムセス9世の墓へ。棺のある玄室まで長い通路がある。通路の両脇にも小さな部屋があった。壁や天井は絵で埋め尽くされている。うろ覚えだが、琴を弾いている人の絵や、ご馳走がならんでいる絵などがあり、王が復活した時に生前とおなじ暮らしができるようにとの願いが込められているということだった。  いよいよツタンカーメンの墓に入る。装飾が施されているのが玄室のみ。棺の周りをぐるっと囲った小さな玄室である。ラムセス1世の墓は棺のまわりを1周できたのに、ここは、玄室の手前に手すりがあり、そこから中へは入れないようになっていた。絵の保存状態はよく、色もきれいで、ヒヒやスカラベなどの面白い絵もあった。でも、やはり入場料に見合うとは思えない…。

   その後はハトシェプスト女王葬祭殿へ(25ポンド)。ここでも切符売り場から葬祭殿までのカート(4ポンド)があるが、乗らなくても十分歩ける距離である。(暑い季節はどうかわからないけど)  古代エジプトで最初に女のファラオとなった彼女は、自分のためにこのでかい葬祭殿を作ったそうだ。崖というか岩を削ってこんなに広々とした建物を作るのはそうとうな労力が必要だったことだろう。夫であったトトメスⅡ世王亡きあと、世継ぎの義理の幼い息子を追いやって王になったそうだ。後に息子(トトメスⅢ世)が、もどってきて、この葬祭殿をだいぶ破壊したということで、顔の取れている像などもあった。  貴族の墓へ移動。3つの墓に入れて25ポンド。ハマダさんによると王、王妃、貴族、労働者とそれぞれ墓を作る場所が決められていたそうだ。  まず、BC1,400ころ宰相だったラモーゼの墓へ。未完成のままだそうだが、色のついていない部分の人物などのレリーフがとても細かく、美しい。髪のウエーブや網込みが繊細に表現されている。色つきの絵画部分の葬式で泣き叫んでいる女たちの絵もあった。  貴族の墓の中は、暗く、ポケットライトが必要だと聞いていたのだが、ラモーゼの墓の中は、そこそこ明るかったので、一安心。次のウセルハトの墓では、係のおじさんが、色々説明してくれ、持っている鏡に太陽の光を反射させて壁画をよりはっきりと見せてくれた。床屋さんの絵などおじさんが説明してくれなかったら見落としていた。お礼に1ポンド渡した。  さいごに彫像がたくさんあるカエムハトの墓を見て移動。

   次は、ハマダさんお勧めの職人の町へ。王、貴族ときたからには労働者のところへも行かないと、ということで。  小高い丘の斜面に王の墓を作っていた職人たちが住んでいた。大勢の人たちが住んでいたであろう石でかこまれた住居跡が残っていた。職人の中でも身分の上のものは、墓を作ることができたらしい。その一つ、センネジェムの墓に入った。  小さな墓だが、壁画は色もとても鮮明で美しい。かまぼこ型の天井にも太陽神が描かれ、ミイラ作り、農耕、など小さいながらもいろいろな絵がある。全体的にとても明るい色彩だ。職人が自分で自分のために作っただけのことはあるということだろう。  最後にこれまたハマダさんお勧めのラムセス3世葬祭殿へ行く(25ポンド)。高さ22メートルの塔門がある威風堂々とした葬祭殿である。ラムセス3世も2世同様かなり自己顕示欲が強いお人だったようだ。昨日の神殿見学で食傷気味だったが、ハマダさんがここぞッとばかりにいろいろ解説してくれたため、おもしろく見学できた。  戦争好きな王だったらしく、そこらじゅうに戦闘場面のレリーフがあった。敵を打ち負かすと手を切り取って証拠に持ち帰っていたそうだが、手は二つあるので、一人しかやっつけていないのに、二人だとごまかす輩もでてきたそうだ。(切り取られた手が重なったレリーフもあった)それを防ぐ対策として、その後、手ではなく急所を切って持ち帰るように変更されたということで、そのレリーフもあった…。また、ラムセス3世は自分の名前のヒエログリフが万が一削られたりしても消えないように、特別に深く彫らせたということだ。神に贈り物をしているラムセス3世の姿もたくさん見られた。  メムノンの巨像を経由して「生者」の町、東岸へ戻る。午後3時なり。駆け回った感じだけど、濃い内容で充実していた。ハマダさん、運転手さん、ありがとう。

    駆け回っていたのでお昼を食べていない。ホテルの朝食ブッフェでくすねたパンやゆで卵は、途中で口に入れたけど。  お腹がすいたため昼からずっと夜まで営業しているというチャーニーズレストラン「ドラゴンクラス」へ。  5時ごろ店にはいると他には白人の4人組がいるのみで、店はがらんとしていた。恰幅のいい白髪の偉そうなおじさんが注文をとりに来た。ワンタンスープや春巻き、チャーハンなどを頼んだが、味は薄めでまあまあ。でも、お腹がすいていたのでもりもり食べた。もちろんステラビールも欠かせない。  そのうち、白人グループが帰り、店内はわたしたちだけに。

 本日は豪勢にデザートも食べることにし、息子と娘がアイスクリームを頼んだので、勢いでわたしも頼む。すると、例の白髪のおじさんがやってきて夫に  「アイリッシュコーヒーはどうだね?飲まないかね?」  と熱心に勧めるのだ。夫が  「いいよ、コーヒーが飲みたいから、アイリッシュでもいいよ」  と返答すると、意気揚々とアイリッシュコーヒーの道具をそろえたワゴンを押してやって来た。おじさんがワゴンの上の二つの器に炎をつける。青く燃え上がる炎。

   すると店内の照明が暗くなり、エジプト風ダンス音楽が鳴り響いてきたのだ!ワインレッドの制服を着たウエイターさん二人がニコニコ顔でテーブルに近づいてきて、  「踊りましょう!」とわたしに手を差し出した。中華料理屋さんでアイリッシュコーヒーでエジプシャンダンス!!予想できない展開に頭が追いつかないが、「踊るアホウ」に属するわたしはウエイターさんの手を取った。おじさんが胸を張って誇らしく楽しそうにアイリッシュコーヒーを入れているそばでノリノリのウエイターさんたちとのダンスが繰り広げられていた。一人が手拍子を取る側で回ったり揺れたりとダンスも盛り上がる!  グラスに入ったアイリッシュウイスキーに火をつけるおじさん、総勢6名のダンサーと観客からは歓声が湧き上がる。

 職人芸のように軽やかにコーヒーがウイスキーのグラスに注がれた。いよいよ生クリームがその上に注がれるというクライマックスに!ダンスもますます激しく!?息子と娘はにわか写真家としてパチパチ撮りまくっている。  いよいよできあがり!ダンスチームのパフォーマンスも満場の拍手のうちに終了した。かくし芸を披露したあとのようなおじさんの自慢げな表情が写真に残っていないのが残念だ。

   これが終わってすぐあとにお客さんが一人入ってきた。ナイスタイミング。  お勘定して(ちょっと多めにチップを置いたが)帰る時もウエイターさんたちやおじさんが皆で満面の笑顔で「サンキューソーマッチ!」なんていいながら見送ってくれた。大きく手を振りながら店を出て行くわたしたち。  これがエジプト最後の晩餐、すごく楽しかったけど、チャイニーズレストランで何故アイリッシュコーヒーを?それにエジプシャンダンスを?と、考えると頭ン中が?だらけで夜も眠れなくなるなんてこともなく、満足満足でぐっすり眠りましたとさ。

 翌日は午前中、ルクソール市内をお散歩兼お土産物探しをして、午後カイロ経由で戻ってきたのだった。元気の出る楽しい旅だった。

                                            (2007年3月15日)

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