白川
タンザニアからの手紙 No.21 エジプト旅日記ー5
金山 麻美(かなやまあさみ)
1月11日
エジプトに来てからよく眠れている。夜中もほとんど起きない。毎日歩き回っているからだろうか。夜が快適な気候だからか。悩むことがないせいか。 今朝も快適にめざめて、豪華なビュッフェの朝食をとった。フルーツもサラダもたくさんあるし、卵も焼いてくれるし。紅茶のカップは小さかったけど。 午前9時10分発の飛行機でルクソールに向かうため、朝食後、すぐにこのホテルをでなければならない。タオルで白鳥を作ってくれた陽気なルームメーキングのおじさんともお別れだ。何よりもあのナイルの眺めと別れるのは辛い…。もう来ることもないんだろうなあ、なんてしみじみと思ってしまった。
夕方少し涼しくなってから、ルクソール東岸のもう一つの神殿、カルナックまで歩いていくことに。夕方でも日差しはまだ強く、川沿いではなく別の道を選んだので、埃っぽく、歩き辛かった。
1月12日
本日は、朝の9時から一日西岸観光の予定。昼ごはんも抜き?で走り回る予定なので、ホテルの朝食ブッフェのパンやゆで卵を少しいただいて持ち帰る。
9時きっかりに迎えの車(またまたピカピカのミニワゴン車)と、ガイドさんがホテルにやって来た。ガイドさんは、またもやハマダという名前の(エジプト人には多いのだろうか?)30代半ばくらいの小柄の男性。ドライバー(名前失念)は、細身の優しそうな男性だった。
さて、車はナイル川に架かっているルクソール橋を渡り、西岸へ。ハマダさんが言うには、古代エジプトでは、東岸は生者の町、西岸は死者の町だったそうだ。なので、古代のファラオの墓などが西岸に集まっている。なぜかというと、太陽は東から昇り西に沈むからだそうだ。 西岸に入ると、緑の畑が広がった。ロバで荷物を運ぶ農民、小さな家々…。畑では主にサトウキビが作られているということだった。
本日は豪勢にデザートも食べることにし、息子と娘がアイスクリームを頼んだので、勢いでわたしも頼む。すると、例の白髪のおじさんがやってきて夫に
「アイリッシュコーヒーはどうだね?飲まないかね?」
と熱心に勧めるのだ。夫が
「いいよ、コーヒーが飲みたいから、アイリッシュでもいいよ」
と返答すると、意気揚々とアイリッシュコーヒーの道具をそろえたワゴンを押してやって来た。おじさんがワゴンの上の二つの器に炎をつける。青く燃え上がる炎。
職人芸のように軽やかにコーヒーがウイスキーのグラスに注がれた。いよいよ生クリームがその上に注がれるというクライマックスに!ダンスもますます激しく!?息子と娘はにわか写真家としてパチパチ撮りまくっている。
いよいよできあがり!ダンスチームのパフォーマンスも満場の拍手のうちに終了した。かくし芸を披露したあとのようなおじさんの自慢げな表情が写真に残っていないのが残念だ。
翌日は午前中、ルクソール市内をお散歩兼お土産物探しをして、午後カイロ経由で戻ってきたのだった。元気の出る楽しい旅だった。
(2007年3月15日)