
白川
タンザニアからの手紙 No.3 頑張っているチビテ!とSauti za Busara 2005 (前編)
金山 麻美(かなやまあさみ)
いよいよチビテ(CHIBITE)が始動しました。
ーMAWAZOー
会場の狭さを感じさせない大きな動きと伸びやかなリズム。7人全員でのオーケストラに始まり、イリンバ、ゼゼ、など10曲を10代3人、20代2人の若いパワーで元気一杯のパフォーマンスだった。 中でもゴゴ人の独特の女性が足の間に太鼓を挟んでたたきながら踊るムヘメは圧巻で、タブとチークの二人だけのパフォーマンスだったけれど、観ているほうの心臓も太鼓と一緒にビートされてしまうような大迫力。
最終日の打ち上げにチビテのメンバーは今回の公演の仕掛け人でもあった弊社スタッフ山田智穂やレイチェルたちとバーに繰り出したそうだけど、そこでたまたまこちらの人気ラップグループのTIDに遭遇し、興奮して写真に一緒に収まり、その写真が10代乙女のチークやペンドの宝物になるなんてところは、どこの女の子も変わりませんな。
ーBUSARAー
<サウティ ザ ブサラとは?> さてお次はザンジバルはストーンタウンのオールドフォートで昨年から開催され始めた音楽祭“Sauti za Busara”(知恵の声々)への出演。ザンジバルをベースにする文化NGOが主催するこの音楽祭は、スワヒリ音楽の豊かさと多様性の素晴らしさを多くの人に知ってもらうために始まったそうだ。今年は、2月10日から13日までの4日間。参加者の多くはザンジバル、ペンバ、タンザニア本土をはじめケニア、ウガンダ、ルワンダなど東アフリカのスワヒリ語圏ともいえる地域から。またエジプト、イエメンからも参加アーテイストがあった。 チビテは11日土曜日の午後7時から8時までの出演である。
<超早起きチビテ>
朝ご飯も食べていないというけれど、(2時から4時までの間、何をしていたのだ?)フェリーに乗るのが初めての人たちも多い中、出発直前に食べるのも怖いので皆さん、空腹のまま自重していた。故ムゼーザウォセの夫人のひとり、ママペンドも最初はメンバーに入っていたが、船に乗るのが怖いから参加をやめたとか。16人中5人は始めてフェリー(高速船)に乗る人たちだった。 エステリとシワズーリのヤンママ2人は、それぞれ赤ん坊と2歳くらいの幼児を連れてきていた。「公演の最中はどうするつもりなの?」と尋ねると、2人揃って「そのときには絶対寝ているから大丈夫!」というお答え。
<他国からもミュージッシャンが…>
ザンジバルの港では、トランペットやシンバルなどの6人のおじさん楽団が賑やかに演奏して、音楽家たちの到着を歓迎していた。なかなか粋なはからい。踊りだすミュージシャンたちも。その後、演奏しつづけるおじさん楽団を荷台に載せたピックアップを先頭にミュージッシャンたちのマイクロバス3台が会場のオールドフォートまで、お祭り気分を盛り上げながら走ってゆくのだった。
<サウティ ザ ブサラ 2005>
4時からはザンジバルの若者によるアクロバットとスワヒリ語のラップグループが2組、音楽学校の生徒たちによるザンジバルの伝統音楽(Kidumbak)の演奏と歌と続いた。 観客は徐々に増えつづけ、6時ころには200人を越していただろうか。老若男女、人種もまちまちで、真っ黒いブイブイに身を包んだ女性や、ムスリム帽をかぶった男性、はしゃぎまくっている子供たち、タンクトップ(ザンジバルではあまりお勧めしない格好だけど)の白人女性などいろんな人が交じり合っているところがまたいいよね。
<ザンジバルの至宝 ビ・キドゥデ>
ビ・キドゥデは聴衆の海を割るようにして登場した。細くて小柄だが、真っ直ぐ伸びた背筋、凛とした表情。司会者の紹介とともに現れ、人々の波の中を進んでいくカンガに身を包んだ彼女の姿は、偉大な音楽家のようにも、気さくなおばあさんのようにも見える。だが、周囲に特別なパワーを振りまいていたのは確かだ。彼女と目が会ったらどきんとして背筋が伸びた。
さて、いよいよチビテの登場!といきたいところですが、長くなってしまったので、続きは3月15日号でアップします。お待ちくだされ。
* Siti binti Saad(1880~1950) ザンジバルに生まれる。奴隷の身分から、その歌のうまさで引き立てられ、タアラブバンドの歌姫となる。それまで宮廷音楽で、男性だけで、アラビア語で歌われていたタアラブを、スワヒリ語で歌い、庶民も楽しめる音楽とした。初めての東アフリカでの商業用のレコーディングも彼女の歌である。彼女の作った歌詞には政治的なメッセージが含まれることもあった。今もタンザニアの特に女性たちのシンボルとなっている。
(2005年3月1日)