白川
タンザニアからの手紙 No.34 カンガをめぐる物語ー1 「カンガの誕生」
金山 麻美(かなやまあさみ)
カンガは110×160cmくらいの長方形の同じデザインの布が2枚組になっているもの。周りを縁取りするようなデザインで、スワヒリ語の文章が書いてあるのが特徴だ。1枚ずつ切り離してフチ縫いをして使われることが多い。現在1ペア(Doti moja)Tsh3,500から4,000くらい($1=Tsh1,300くらい)である。
便利な布で、冠婚葬祭のときの正装にもなるし、赤ちゃんの負ぶい紐にも、エプロン、バスタオルやシーツの代わりにもなる。だいたい腰の周りに一枚、スカーフのように頭から肩にかけて一枚、使われることが多い。結婚式などお祝いの時には、おそろいのカンガを出席者の女性たちが巻いたりもする。
Jambo Africa! http://www.worldtimelines.org.uk/world/africa/eastern/AD1500-1850/portuguese (レソに使われたハンカチがイメージできます)
19世紀半ば、1840年にはオマーン王国の首都になったザンジバルはそこに移住したある程度の地位の者たちにとっては、ファッションの流行の中心地だったそうだ。そんな中で生まれてきたカンガ。また、このころアメリカ商人による丈夫な木綿がもたらされ、普及したことも関係しているのかもしれない。 そして、ザンジバルで奴隷制が廃止されたのが1897年である。「カンガやブイブイ、そしてアラブ起源と思われるカンズやコフィアが、急激にスワヒリ社会に普及したのは、奴隷廃止後のことである。かつての奴隷が競うように着用しはじめたからである。それは、身なりや衣服が地位や身分を表彰していた時代が、このころ大きく変わりつつあったことを示している」(「ザンジバルの笛」富永智津子著) カンガ普及の背景には歴史の大きな動きもあったのだ。
スワヒリ語の文章(カンガセイイング)がプリントされているというのは、カンガの大きな特徴である。レソやカンガの初期にはなかったそうだ。これをはじめたのが、ケニアのモンバサで1887年に商売を始めた南アジア(現在のパキスタン)出身の“アブダラ”イザックというひとだといわれている。早くとも言葉がプリントされはじめたのは1888年ころだそうだ。
最初はスワヒリ語がアラビア文字でプリントされていた。(スワヒリ語は第一次大戦後のドイツ領時代にローマ字で表記されるはじめるまではアラビア文字表記であった)最初のカンガセイイングが何だったかは分かっていないらしいが、多分、格言か「なぞなぞ」のようなものだっただろうということだ。1904年から1906年ころにかけてローマ字を使ったスワヒリ語のカンガセイイングが出だしたそうだ。そのころからカンガセイイングにもバラエティが出始め、よりいっそうカンガがコミュニケーションの媒体になることが多くなっていったらしい。でも、1930年ころまでは、アラビア文字のカンガも同時に作られていたということである。
ダルエスサラームのカンガ問屋街では見かけないが、アラビア文字のカンガも今でも流通しているのではないかと思う。なぜかというと、わたしがダルエスサラームに住み始めた20年前ほどに、ザンジバル人の女性からもらったカンガにはアラビア文字の言葉がプリントされていたからだ。使い込んでしまったので今ではちょっと破けてしまったが。なんて書かれているかは、当時は教えてもらったかもしれないけど、残念ながら忘れてしまった。
次回は、カンガを特徴付ける大きな要因、カンガセイイングを中心に見てみたいと思う。
参考文献 Jeannette Hanby and David Bygott 「KANGAS:101 USES」1985 Ruth Barnes「Textiles in Indian Ocean Societies」 Routledge 2005 富永智津子「ザンジバルの笛」未来社 2001 富永智津子「スワヒリ都市の盛衰」山川出版社 世界史リブレット2008
(2009年2月1日)