タンザニアからの手紙 No.51 グビさんのシク・アロバイニへ
金山 麻美(かなやま あさみ)
10月4日にグビさんのシク・アロバイニ(siku40: 没後40日の供養、日本でいう49日のようなもの)がキンゴルウィラ村で営まれました。ジャタツアーズ・スタッフの後藤さんとともに参加してきました。
☆大勢の人々で準備をする
午後1時ころキンゴルウィラ村のグビさんの家に着くと、もうすでに15人ほどの女性たちが集まって庭の日よけのあるゴザの上で青菜の茎や根っこを取り除く作業を始めていました。近所の人々や親せきの女性たちだそうです。 采配を振るっているグビさんの弟のハミシさんの妻ハディージャさんによると、100人くらいのお客さんを想定しているそうです。彼女をはじめ数名の人々は昨日から準備をしていたとか。だんだんと集まってくるお客さんたちのためにその日の昼食、夕食、翌朝のチャイ、そして昼ご飯まで用意するそうですから、仕事がとてもたくさんあります。
10月に入ってからよく雨が降ったそうで、いつもは出ない裏庭の水道から水がたっぷり出るようになったそうです。今日のような日には大助かりです。これも何かグビさんの仕業?かなと思ってしまったりしたのですが。
青菜の作業が終わると、夜食と朝のチャイのときのためのマンダジ(揚げパン)を作る作業がはじまります。裏庭で火を熾して大きなスフリヤに湯を沸かす作業もあります。このころには女性たちは30人ほどに増えていました。
近所に住んでいるという10代後半の女性Hさんは、「グビさんはわたしにとってお爺さんのような人だった。ちいさなころからいろいろお世話になってたの」と言います。やはり近所に住む女性Mさん(40歳前後)は「グビさんのシク・アロバイニだから、これだけ手伝う女の人たちも集まって来るんだよ」とコンロに薪をくべながら話してくれました。
今晩と明日のピラウ用のコメのもみ殻や小石を取り除く作業が始まるころには、女性たちの数は80人を超えていました。それまでは、傍目には、男性たちはおしゃべりしているだけだったのですが、裏庭につながれていた牛を屠るのは男性たちの仕事でした。じっとそれを見つめる男の子たちは生と死についての何かを感じていることと思います。
4時近くにウガリと青菜とマハラゲ(お豆)の煮込みの遅めの昼食が振る舞われました。女性たちは作業の合間に食べるといった感じです。暗くなってからも、ココナツの実を削ったり、先ほどの牛の肉を切ったりする作業が続きます。8時半ころに夕食のごはんとマハラゲを食べ、作業を続ける人もいる中、午後9時ころにディキリが始まりました。
☆徹夜でディキリ
「『シク・アロバイニ』には、何をするの?」ときいたときに「徹夜でディキリをして翌朝お墓参りに行く」と言われました。葬儀のときにはイスラーム式だったので、女性はお墓へ行くことができませんでした。なので、ぜひお墓参りはしたいと思っていました。けれど、「ディキリ」とは?そもそもこの年齢で徹夜はきつい…。
真ん中に立てられたアラーの名前が書いてあるという旗の周りに老若男女が集まります。ムスリムの帽子コフィアを被った年配の男性たちの中には、導師もいるようです。コーランを唱えたりしていました。「グビさんのシク・アロバイニ」という言葉が聞こえ、アラビア語やスワヒリ語で歌が歌われはじめました。「生まれるのも死ぬのも同じこと」などといった歌詞が聞こえてきます。人数は30人くらいでしょうか。旗の周りに円陣になって座っています。ゆったりとした歌が流れてきます。加わるのも自由、加わらないのも自由のようです。ディキリに参加せず、まだ食事を取っていたり、休んでいたり、料理の作業を続けている人たちもいました。
そのうち、円陣は立ち上がり、歌にも力強さが増してきました。預言者ムハンマドの名前も歌詞にでてきます。歌の合間に「アラー、アラー」とアラーの神の名前が絞り出すような声で唱えられ、ディキリはだんだん熱気を帯びてきます。誘われてわたしや後藤さんも加わりました。アラビア語の歌詞が分からなくても同じフレーズの繰り返しなので、一緒に歌えるようになり、自然に足や手が動いてきます。目を閉じると歌とアラーの神の名前が織りなす波に心地よくもまれているような気分になるのです。同じ動作を激しく繰り返すトランス状態になったような若者もでてきました。神の世界との懸け橋を作り、グビさんを天国に導く、もしくはもう一度グビさんと対話するということなのでしょうか。
雨が降ったりやんだりしています。雲の間に星が少しだけ見えました。
ディキリはチャイを飲んだり、マンダジをつまんだりする小休憩を中に挟みつつも、明け方5時過ぎまで続きました。わたしたちは午前2時近くには睡魔に勝てず寝てしまいました(ディキリに参加している間は元気だったけれど、一度休憩を取るともう立ち上がれず…)。でも、若者だけでなく、けっこう年配の40代、50代と思える男女が朝までディキリを続けていました。明るくなった翌朝6時ころ、ディキリを終えてプラスティックの椅子で休んでいたわたしと同年配くらい(50歳前後)の女性に「朝まで続けたの?」ときくと、笑顔で「そうよ。もちろんよ」との答えが返ってきました。その元気さはどこから来るのでしょう。
☆青空の下のお墓参り
空模様を心配していたけれど、雲は残っているものの、太陽が顔を出す晴天となっていました。グビさんがお天気にしてくれたのかもしれません。 三々五々お墓へ向かいます。お墓までは歩いて30分くらいの道のりです。干上がってしまった川を超え、焼きレンガの作業場を通り越し、農閑期の荒野のようになっているトウモロコシ畑の間を歩きました。前を行く女性たちの巻いている色とりどりのカンガが風にそよぎ、太陽に光に映えます。
お墓は灌木に囲まれた陽だまりのような場所にありました。クリスチャンのお墓も一緒です。グビさんのお墓は、心地よい風がふきぬけていく木陰でした。お墓にはお香が添えられました。
昨晩、ディキリにずっと参加していたグビさんと同年代だと思われるコフィアを被った男性がアラビア語でコーランを唱えます。グビさんの妻子を含む100人ほどの参加者はしゃがんで、目を閉じて聞いています。意味は分からないけど、聞いていると静かな気持ちになり、グビさんのことをいろいろと思い出しました。コーランを唱えていた男性は唱え終わると目頭を押さえ、声を出して泣くのでした。女性たちからもすすり泣きが漏れ、わたしも涙が滲んできました。
大きな青空を見上げながら、ゆっくりと戻ります。グビさんは空の上にいるのかもしれません。けれど、ここにいる人々、グビさんを知る多くの人々の心の中にもずっといるのだと感じながら。滲んでいた空色が徐々に青さを増してきました。空はどこまでも広がっているようです。
(2013年10月15日)