白川
タンザニアの片隅で 第4回 感覚の違い
鈴木沙央里(すずき さおり)
ある日道を歩いていると、路上にとめてある車のステレオから大音量でスワヒリ語の若者ミュージック、※ボンゴ・フレーバーが流れている。車の流れをみながら、こちらにわたるタイミングを見計らっていたお兄ちゃんが、口ずさみながらリズムに合わせて体を動かしだす。車の横で別のお兄ちゃんもおどっている。 私はというと、街中でのこんな光景に思わずぷっと笑ってしまった。 ちょっと座るものがほしかった人が、目の前のお店のいすを特になんのことうわりもなく拝借してくる。「へえー」と思ってみていると、「どうした?」「なんで笑っているんだ?」と今度は向こうが不思議そうな顔をする。
本人たちにとっても、周りの人にとってもどうってことない風景の中に、日本で生まれそだった私には新鮮な瞬間というものがある。 誰かを待ったり、だべっているお兄ちゃんたちが、駐車してある車のボンネットの上に腰をかけている姿。これだって初めて見たときは驚いたのだが、車の持ち主も、特に気にしていない様子。
先日、日本から和太鼓と尺八で伝統音楽を演奏するグループがダルエスサラームにやってきた。在住の日本人、西洋人に加えてタンザニア人も多く見にきていたが、来ていたタンザニア人から私は別々に同じ質問をうけた。
「どうして太鼓をたたくのに歌わないんだ?」と。
日本では、人前で1人で歌うのはなんとなく恥ずかしい、というような雰囲気がある。(最近では若者の間ではカラオケというものもはやっているけれど。)それが悪いというわけではないが、その背景には日本人の公共という場の認識や、他人との距離間といった感覚の違いなんかもあるのだろうか。車の上に腰掛けたり、店のいすをもってくることなんかは、所有の観念の違いだろう。
ダルエスサラームで生活し始めて10ヶ月。淡々と日々が過ぎていく中で、すでにみなれた風景になってしまったものの中に、「新鮮さ」の再発見をしてみよう、そしてどうしてなんだ?の現象の裏に、できるだけ「感覚の違い」の根拠をみつけられたら、と思う小雨季入りの今日この頃である。
※ボンゴ・フレーバー…タンザニアのストリート発祥の音楽。スワヒリ語によラップやレゲエ、またはそれらがミックスされたもの。
(2007年11月15日)