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  • 執筆者の写真白川

タンザニアの片隅で 第7回 バガモヨの町で

鈴木沙央里(すずき さおり)

 ダルエスサラームから(渋滞がなければ)海岸沿いを1時間半。 左手にやしの木々が連なりはじめる頃、かつての港まちであるバガモヨにたどり着く。港まちーかつて、アフリカ大陸から人々が「売られて」いった頃、バガモヨはひとつの積み出し港であった。 およそ100年がたち、バガモヨは現在観光客も訪れる、のどかな町となっている。アラブ風の都市遺跡跡や、奴隷貿易やドイツ植民地時代のなごりがぱらぱらと散在し、海岸沿いにビーチリゾートが数軒たち並ぶ。町中にも観光客を目当てにしたおみやげやさんが数件あるが、基本的には「地元の人々の生活の場」が大いにそこにある。 私はバガモヨのこの素朴さが好きだ。

 旅をしていたとき、お金のトラブルで困っていた私を助けてくれた人がこの町にいて、この仕事をするようになってからも機会が

ちいさなバイク乗りあればちょくちょく遊びに来ていた。彼は絵を描く人で、私はタンザニアに来てからも絵を描きたいと思い、画材(といってもペンキだが)を売っている場所を教えてもらい、彼の知り合いを通じて布をはりつける枠などを手に入れた。(こうして完成させた絵は、先月までお世話になっていたある人へのプレゼントで、その人の家の居間に飾られている)

 今回バガモヨに来たのは、その彼が数ヶ月前に結婚をしていたので、彼のパートナーである女性に会うこと、また生まれたばかりの2人の赤ちゃんに会うことが目的だった。出発前彼に電話をかけてみたが通じず、「まあ、いつもどおり家にいるだろう」とあまり深く考えずにバガモヨへ出発。渋滞をぬけ、ようやくバガモヨに到着。もう一度彼に電話をかけると、なんと入れ違いでダルエスサラームに来ているというではないか。おみやげを買っていたので、とりあえず奥さんにお土産だけでも渡そうかというと、(私が知っていた)前の家は問題があって出た、とのこと。これはお手上げだ、ということで、残念だが彼らとの再会はあきらめ、この日は宿をとって翌日バガモヨを散策することにした。

お店のお母さん バガモヨは、JATAツアーズにとってもなじみの場所だ。 農村滞在ツアーのひとつの目玉であるCHIBITEの演奏会も、町からちょっと奥に入った、CHIBITEの家の庭で行う。赤茶色の土の上にござをひいて、大きなの木の下での演奏会。近所のこどもたちに取り囲まれながらという、なんとも ぜいたくなシチュエーション。さいごにはみんな一緒になって踊るのだ。

CHIBITEもそのひとつであるが、バガモヨはタンザニア芸術に出会える機会にめぐまれた、芸術の町ともいえる。CHUO CHA SANAAという芸術大学があり、ダンス、太鼓、音楽、絵画などを教え、海外からの短期留学生も受け入れている。 日本人でも、この大学に留学して太鼓を習う人、CHIBITEの家にホームステイしながら親イリンバ(指ピアノ)を習う人…と芸術家の卵?たちがこの町をたずね、しばらく滞在していく。

かわいいちびっこ店員    この日、私には数ヶ月ぶりのバガモヨだったが、いくつか新しい発見があった。 気のせいか安宿の看板が増え、実際に町中に真新しいきれいな安宿ができていたこと、また魚市場付近にあったなじみのワークショップ(地元の若者が絵画や彫刻を制作し、おみやげ用品として販売している。)から独立した新たなワークショップが、郵便局の向かい側あたりにできていたこと。(もちろんトレードマークでもあった、歴代の大統領の顔の像も一緒だ。)

   それから何よりうれしい発見は、魚市場近くに新しいファーストフード風のお店ができていたこと。あくまでよくあるコンテナなのだが、外づけて、カフェ風の高い腰掛に、ティンガティンガが描かれた円形のテーブルを置いている。地元のお母さんがやっているお店にしては、おしゃれである。そしてかわいいちびっこ店員が2人、注文をはこんでくれた。ゆったりとした時間の中で味わう手作りハンバーガー。バガモヨに着た際にはぜひお試しあれ!

(2008年5月15日)

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