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  • 執筆者の写真白川

タンザニアの片隅で 第8回 呼びかけは?

鈴木沙央里(すずき さおり)

 タンザニアに初めてこられた人が、「?」と思うことのひとつに、呼び名があると思う。 街を歩いていると、私たちのような外国人は、「ムッチーナ(中国人)mchina」や「ムズング(白人)mzungu」というような、見た目の違いに焦点をあてた呼び名で呼ばれることが多い。そしてこれとはまた別に、いくつかの呼びかけに使われるレパートリーがある。そのひとつが「ラフィキrafiki」だ。「ラフィキ」はスワヒリ語で「友達」の意味。実際にタンザニアに来られた方は、きっとところどころでこの言葉を何度もあびせられたことだろう。

日本では、「友達」という言葉を初対面の人に対して使うことはないので、道行く先々で見知らぬおにいちゃんに、「ラフィキ、ラフィキ」と呼びかけられると、最初のうちは「あんたは私の友達ではないぞ!!」と対抗心も覚えたものだが、彼らはあくまで親しみをこめて使っているようだ。

以前、私が日本人の方が経営しているザンジバルのロッジに行ったとき、そこで働いていた警備のお兄さんが私の横を通っていく度に「トモダチ、トモダチ」というので、「何だ?」と思っていたのだが、後でこの「ラフィキ」を日本語のトモダチに訳して私に呼びかえていたんだな、ということがわかった。

食堂にて 「ラフィキ」の他にも、英語の「シスター(お姉さん)、ブラザー(お兄さん)」もよく使われている。タンザニアをはじめて訪ねた時、現地で親しくなった人に「この人は僕のブラザーだ」と紹介され、血のつながった兄弟だとずっと思っていたのだが、タンザニアを知るにつれ、あれは単なる親しい友人だったのか、とわかった。タンザニアでは、「ブラザー」「シスター」は血のつながりはなくとも親しい間柄の人に対して使う言葉であり、さらにちょっとした時に(名前を知らない)相手を呼ぶ時に使う言葉でもある。

 日本では、といっても実際は私が生まれ育った札幌では、という限定つきになるのだが、初対面の人に対して、名前を呼びかけることはまずない。だからといってタンザニアでよく使うような親しみをこめた「ラフィキ」や「シスター」があるわけでもない。だいたいは、「すいません…」という出だしになる。だからから、私はよく店先で定員さんを呼ぶときなんかにも、「サマハーニ(すいません)Samahani」という言葉を使うことが多い。英語での、「Excuse me」ぐらいの気持ちでぽっとでてしまうのだが、地元の人々はめったにこの「サマハーニ」は使わない。この言葉は、何か意図していなかったことをしてしまった場合(道ですれ違う際にぶつかってしまった)時に使ったり、また自分が何か失敗や間違いをしたとして、それを認めた上で、よりごめんなさいに近い意味でも使うらしい。もともと何か失敗やミスがあっても、「Samahani」よりも「Bahati Mbaya(運が悪かったんだ)」の言葉を聞く機会が多いタンザニア。良いか悪いか、「サマハーニ」を連呼している人は、まだまだタンザニアに染まりきっていない人かもしれない。

実際に、食堂やお店なんかで人を呼ぶときに人々がよく使っているのは、さっきの「シスター、ブラザー」とそれぞれにあたるスワヒリ語「ダダdada、カカkaka」であり、もう少し年上の人に対してになると、「アンティ、アンコウ(英語のおじ、おば)」やそれぞれにあたるスワヒリ語の「シャンガージShangazi、ムジョンバ,Mjomba」などである。

 あとは歯と歯の間から息をはいて「スッ」と音を出す方法。地元の人も、こっちの方によりなれているのか、食堂なんかで「サマハーニ、サマハーニ」と言っていているうちはなかなか気づいてくれないのだが、この「スッ」をやった途端に振り向いてくれたりする。(ただしこれは決して上品な方法ではないのであまり使わないように。外国人向けの高級レストランなどでやってはいけません。)

陽気なレストランの定員さん 他におもしろいな、と思ったのが「シェメジShemeji」という言葉。日本語にはこれに相当する言葉はないと思う。男性からみて、自分の親しい友人の恋人/もしくは恋人の親しい人がこのシェメジであり、該当する人を呼ぶ時にも使われている。一方、女性からみて自分の親しい友人の恋人/もしくは恋人の親しい女性は「ウィフィwifi」になる(女性からみて自分の親しい友人の恋人/もしくは恋人の親しい男性は「シェメジ」)

オフィスではスタッフのアレックスさんが、よくグビさんを「シェメジ、シェメジ」と呼んでいるが、その雰囲気がなんともかわいらしい。どうしてシェメジと呼ぶの?聞いたところ、アレックスさんのお姉さんがモロゴロ出身の方と結婚したから(グビさんもモロゴロ出身)。「シェメジ」は、相手と特別な間柄を示せる言葉だという。

日本語でいう「先輩」なんていう言葉は英語にはまったくない表現であり、こういう言葉があるというのは、一歳でも年上に人には一目置く、という日本の文化の現れのように思えるが、日本語では特別な呼び名がない「(親しい)友人の恋人、恋人の親しい友人」なんていう間柄にさえ、特定の言葉があるということが、その立場がそれだけ個別化、特徴化されている証拠なのかな、と思うとおもしろい。

道を歩けば、まったく見覚えのないお兄ちゃんたちから、「シェメジ」と呼びかけられることもあるが、これらの言葉がマイナスの場面で使われることはあまりないような気がする。(アレックスさんがいつも笑顔で「シェメジ、シェメジ」とグビさんと呼んでいるのを目にしているからかもしれないが。)  初めてあった人にでも、時には肌の白い外国人の私をからかって?親しみをこめて?「ショーガ(特に親しい女性の友人の間柄で使う)」、「チュンバ(恋人※両親に紹介までした、結婚を前にした恋人)」と呼ばれたりする。

 こういう気軽なやりとりがない札幌に生まれ育った私にとって、こんなやりとりは時に腹が立つものでもあり、時に気をなごませてくれるものであるのだ。

  (2008年7月25日)

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