白川
ハミシが観た日本-SAFARI YA JAPANI
Hamisi Abdallah/ハミシ・アブダラ
はるか彼方への長距離の厳しい旅のための大きな飛行機に乗るのはとても楽しみでした。とても遠いところへ、空の上の旅をする飛行機に乗り込むことへの期待はずっと私の頭のなかを占めていました。そしてついに飛行機に乗り込み、旅を始める時がやってきました。旅の間中、自分で思っていたような安らぎと楽しみはなく、不安と怖れがずっとありました。おそらく私が飛行機で旅をすることを怖がっていたからでしょう。
Ndege nzuri na kisasa kabisa ilianza safari, niliketi karibu na mama wa kikomoro, yeye alikuwa mcheshi na mwoga sana kuiliko mimi, aliswali na kuomba mungu kila ndege ilpokuwa ikiyumba angani. Hatimae tulifika Doha na kuunganisha ndege nyingine hadi Narita. Katika vituo vyote viwili kulikuwa na ukaguzi na ulinzi mkali, viwanja vya ndege vya kisasa vinavotumia tekinolojia ya kiwango cha juu sana.
超近代的な飛行機は飛び立ちました。私の近くの席にはコモロ人の女性がいましたが、その人はひょうきん者であるとともに私より臆病で、上空で飛行機が揺れるたびに、神に問いかけ、祈っていました。やっとドーハに着き、成田行きの別の飛行機に乗り換えました。この二つの空港ではセキュリティ・チェックが厳しかったし、近代的空港では最高の技術と方式を使っていました。
とうとう日本に到着しました。これから私にとって初めてのびっくりしたり、感心したり、喜んだりする旅が始まりました。知り合いが迎えてくれ、挨拶した後、今晩泊まるその千葉県の船橋の家に向かいました。静かないい町で、そのことが日本の印象を与えてくれました。多くの年配の人たちが朝の散歩をしていました。
日本国内では千葉、東京、宮城、京都と兵庫を訪れました。多くのことが私にとっては慣れない初めてのことで、食事、住居、気候、交通、仕事、人びととその歴史などなどです。日本での最初の日の朝、船橋で目覚め、宮城県の古川に向かいました。途中で東京を通過し、私の知人は昼食前に大きな観光名所であるスカイツリータワー、さらに浅草の店や露店で賑やかな通りや大きなお寺に連れていってくれました。その後、高速の新幹線に乗って古川に向かい、その後涌谷に着きました。
涌谷は周りを山に囲まれ、水田の多い町でした。気候も東京とは少し違っていました。気温はかなり寒く、小雨が降っていました。暖かくするための電気毛布で寝たのも初めてでした。またいくつかの村のお寺を訪ね、地元の人たちの歴史を学ぶ機会がありました。また名高い観光名所である松島と瑞巌寺も訪ねました。津波の傷跡はまだ残っていました。
(涌谷での写真は次を参照ください。ハミシの日本農村滞在)
その翌日、宮城から兵庫に向かいました。その旅は7時間くらいかかったでしょうか。旅は快適で、途中の風景も素晴らしく長いとは感じませんでした。高架の道路や長い橋が、いたるところの町を飾っていました。夕方、尼崎市武庫川に到着し、知り合いの人に迎えられました。気候は少し変わり、それほど寒くはありませんでした。
武庫川にいる間、京都に遊びに行きました。京都は大観光地ですが、観光客を惹きつけるさまざまな名所を案内されました。伝統的な日本の衣装をまとった結婚式を見ました。私が訪ねた名所は、白川、花見小路、建仁寺、伏見稲荷、嵐山、嵯峨、天龍寺、映画村と映画博物館です。私は毎日牛丼(ワリ ナ ニャマ)を食べるのが楽しみでした。
それ以外にもさまざまな社会的な仕事をする機会に恵まれました。例えば釜が崎のあいりん総合センター、NGOスタディーツアー、高取コミュニティセンターなどで、また自然食品を配達する仕事やFMわいわいの番組でインタビューに答えたりしました。
この旅を通じて、私たちの国とほかの国々との発展の違いを感じることができました。社会の文化の違いも感じました。一方で、おなじく直面している課題も感じました。雇用と人口の問題で、共通する部分もあり、違う部分も感じました。タンザニアは人口増加が問題で、日本はそれが逆です。ただ、私たちの雇用の問題は、みなで協力して解決法を見つけられるでしょう。
Mwisho ningependa kuwashukuru wote aliohusika na kufanikisha safari yangu hususani wote walionipokea ‘ASANTENI SANA’
最後にこの私の旅に関わり、成功に導いてくださった方がた、特に私を受け入れてくれた方がたすべてにお礼を申し上げたい。「アサンテーニ サーナ」
(2015年12月15日)