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読書ノート No.21   井野瀬久美恵・北川勝彦『アフリカと帝国』

根本 利通(ねもととしみち)

 井野瀬久美恵・北川勝彦編『アフリカと帝国ーコロニアリズム研究の新思考にむけて』(晃洋書房、2011年2月刊、3,200円) 

📷  本書の目次は以下のようになっている。

序章  コロニアリズム研究の新思考にむけて 第Ⅰ部 「分割」と「支配」の後遺症  第1章 アフリカ史におけるコロニアリズム研究の再中心化  第2章 ジンバブウェ史研究の黄金期とその衰退  第3章 帝国の遺産  第4章 「他者」への想像力 第Ⅱ部 植民地「分割」の解剖  第5章 英領ガンビアの対仏割譲交渉とその社会経済史的背景  第6章 トーゴをめぐる植民地境界画定と政治的アイデンティティ形成  第7章 境界線確定とイギリス帝国内の確執 第Ⅲ部 植民地「支配」の構造とエージェント  第8章 藪の中  第9章 帝国による「保護」をめぐる現地エリートの両義性  第10章 20世紀初頭タンガニーカのトリロジー  第11章 20世紀初頭西南アフリカにおける二つの植民地主義  第12章 南部アフリカにおける支配の重層構造

 本書でいう「帝国」とは、ほとんど「大英帝国」と同義である。少なくとも「帝国主義」を大英帝国で代表させている。それは本書の基になる研究が、2002~5年に行われた「20世紀初頭の大英帝国とアフリカ」と題する共同研究であり、その共通のベースとして「英国議会資料(BPP)」を利用したというだから当然であるが。 

 序章に本書の編者の問題意識が明確にされる。つまり「帝国だった過去」、すなわち植民地主義の遺産が、いまなお生き続けている。歴史的文脈のなかで植民地主義を見直す作業は、地理的ないしは文化的な境界を越えた、20世紀の政治闘争の解明だと考える。それを欧米の概念や言語で語る危険性に注意を払い、アフリカの人びとの主体性の問題を考えていきたい、としている。

 第10章から読み始めた。舞台がタンザニアであり、その筆者を知っているからだ。タンザニア南部、マラウィとの国境に近いニャサ湖を見下ろす高原地帯に住むキンガと呼ばれる人たちと、それに対するドイツの伝道会およびスコットランド伝道会と、植民地政府当局との三者の絡みを調べる。ドイツの植民地が、第一次世界大戦後、英領(委任統治)に変わったことで、どういう変化があっただろうか。

 「横暴な」ドイツから「紳士的な」イギリスに植民地当局が代わったという表現はBPPに拠る以上当然だろう。そして政府立よりも圧倒的に伝道会立の学校が多かった事情から、伝道会が「現地人教育」の大半を担ったのも事実だった。伝道会は植民地政府が導入しようとした強制労働制度にも、人道的理由から反対したという。そういう面からすると、「恵み深い」伝道会は土地の住民と親和的になりうる可能性をもっていた。しかし、スコットランドの伝道会が、第一次大戦後、ドイツの伝道会に取って代わり宣教に従事しながら、早々に撤退していった理由がよく読み取れない。

 キンガと呼ばれる民族が、実は植民地当局の支配管理のために作られた「部族」であることを明らかにする。キンガ民族を構成する出自の違う三つの氏族が、ドイツと英国の植民地当局および伝道会とどういう距離をとり、また受容していったかを、BPPのみならず、筆者のフィールド調査から明らかにしていく。その中から、彼らの政府、キリスト教に対する実利的なアプローチが明らかになる。それが現在の状況にどうつながっているのかにも少し触れてほしかった気もする。タンザニア南西部の高地には、ドイツの宣教師の活動の跡がかなり現在でも根付いていると感じるからである。

📷 ニャサ湖畔のドイツ植民地時代からの教会  本書で異色なのは第4章であろう。日本帝国主義の遺産と記憶に触れていて、アフリカのことはまったく出てこない。ビルマ、満州、台湾、沖縄も視野に含めるが、多くは朝鮮、それも引き揚げ者の意識を追う。朝鮮美術品を眺める柳宗悦に無意識の家父長主義を感じる。帝国の「善意」は無意識の帝国主義に通じる。1996年の「新しい歴史教科書をつくる会」の発足に、帝国主義の意識の払拭の難しさを見る。つまり、大日本帝国は現在進行形で存在しており、清算されていないのだ。

 第4章の筆者(成田龍一)は「歴史学は本来、『他者』を認識し、『他者』を記述することを通じて自己を認識する」という安丸良夫の提唱を引用している。いわゆるアカデミックな「実証史学」が、より客観的であることに立脚するその自分の立つ位置を見つめるべきだろうと思う。「他者」への想像力と一言で言うが、アフリカ(タンザニア)に28年間住み続けても、他者であるタンザニアの人びとの歴史認識、特に大英帝国への記憶のありかが見えてきていない自分を省みてしまう。

 第5章では、セネガルに囲まれたあの細長い国ガンビアがなぜ生まれ、そして現在も残っているかをたどる。英仏の植民地獲得競争の中で、さほど重要と見なされなかった英領ガンビアは何度となく、フランスのほかの西アフリカ植民地拠点と交換で割譲されそうになる。しかし、様ざまな偶然で、現在の状態で独立するに至り、1982年に結成されたセネガンビア連邦も1989年には解消されてしまった。英仏双方とも、他人の土地の資産価値や投資した金額を比較して交渉していたという奇妙な現実。そこにはガンビアの人たちの顔は見えない。

 第6章は、やはり西アフリカの南北に細長いトーゴのこと。フランスの押さえたダホメとイギリスの押さえたゴールドコーストの隙間を縫うようにドイツが押さえたトーゴ。それだけでも十分南北に細長いのに、第一次大戦の結果、さらに英仏による委任統治領として、南北にさらに細くなってしまった人工的な国。その後もクーデタで38年間独裁を続けたエヤデマとその後を襲った息子の支配する国。歴史を教えない(授業がない)国。支配者の変遷だけを見たら、ため息が出るような国である。ここでも民衆が垣間見られるののは、ガーナとのカカオなどの密輸の話だけだ。

 第7章は南部のレソトである。ずっと小国が続く。「アフリカ分割」の際に取り残された、つまり列強から見たら、さほど魅力がない地域のことということなのだろうか。ソト王モシェシェは1830年代からのオレンジ自由国との抗争の中で、大英帝国に保護を願い出る。大英帝国は植民地行政費用削減のために消極的な反応を示す。1862年にケープ植民地総督として赴任したウォードハウスが積極政策に出る。大英帝国も一枚岩ではなくて、レソトの併合を狙うケープ植民地とナタール植民地との対立、駆け引きがあるが、ウォードハウスの思惑通り、ケープ植民地に併合され、最終的に保護領バストランドが成立する。そのウォードハウスの動機の中に筆者は家父長主義を見る。

📷 タンザニア・マケテの風景  第8章からは分割されて成立した植民地の統治に入る。シエラレオネ。小国ではないが、大国でもない。ただ、イギリスにとっては西アフリカ支配の総督府が置かれた国である。このシエラレオネという植民地の形成がおもしろいというか、いかがわしい。アメリカ合州国の独立戦争で、英国側についた解放奴隷が英国に流入して黒人貧民層を形成するのを嫌がった、英国上層階級、奴隷制廃止運動の人道主義者や山師的商業資本家が結びついて、西アフリカに解放奴隷(英海軍が拿捕した奴隷船の積荷だった奴隷を含む)のための理想郷を作らせようとしたのが、シエラレオネ植民地であるらしい。いわば解放奴隷を使ったアフリカ人の植民地化で、お隣の米国によるリベリアと共通した部分がある。

 さて、第8章では、そのシエラレオネで1898年に起こった「小屋税戦争」を描く。「描く」というのは、「真相を究明する」よりも、多くの利害関係者の発言から、複眼的な視点を持ち込もうとしているからである。「藪の中」という芥川の作品に倣った章名にもその意図ははっきりしている。英本国から派遣された調査団、現地の総督、旅行者(藤永茂『「闇の奥」の奥』「読書ノート」第18回」にも登場するメアリ・キングズリ)などの資料を引用する。あくまでも英国人の報告書を経由するだけだが、植民者中間層であるクレオールやアフリカ人首長の発言もそこそこ出てくるのでおもしろい章である。

 第9章ではゴールドコースト(ガーナ)。ガーナはまだ行っていないが、行きたいアフリカ諸国の一番手である。なんと言っても、ブラックアフリカ最初の独立国、それを率いたンクルマのカリスマ性が魅力だ。そして平和であるらしいこと。タンザニアはアフリカ諸国の中でかなり日常的に平和であると思うのだが、ガーナ在住経験者がタンザニアに来ると襲われたりする。「平和ボケかな」というその人たちの述懐に興味をもったのだ。

 ゴールドコーストは「ヨーロッパ人もしくは解放奴隷の入植者が存在せずに、現地の土地制度を保持している保護領」であったのだ。土地保有制度と排他的所有制度は違う。シエラレオネにおける「小屋税戦争」の原因のひとつと考えられたのもそれだ。つまり、ゴールドコーストに対するイギリスの姿勢は「貿易が国家を従える」というもので、商業的な目的優先で領土的なものではなかったという。度重なるアサンテとの戦争(19世紀に7回)も、商業利権を守るためであった。

 さて、その商業利権とは何かというと、遠く15世紀以前まで遡れば金である。ゴールドコーストの語源である。エルミナとかケープコーストに残るヨーロッパ諸国の城砦は、最初は金、そして象牙、奴隷、アブラヤシを求めた駐屯地であった。「白人の墓場」と呼ばれた気候から、滞在するヨーロッパ人は、一握りの商人と宣教師で、植民者はいなかったという。前述のアサンテ戦争も、現地の代理人ファンテ人と英国人の連合軍と強大なアサンテ王国との商業利権争いであったという。現地の代理人には英国人との混血の豪商が多く、それが幾世代も積み重なり、保護を受けてきたエリート層を形成していた。東アフリカの大英帝国の植民地とはだいぶ様相が違う。例えば、ローリングスのような容貌の人間はタンザニアでは大統領になれないだろうな、と思ってみたりする。

 第11章はナミビア。旧ドイツ領西南アフリカは、タンガニーカやトーゴと同じく、第一次大戦中に連合国軍に占領される。が、大きく異なったのは、ドイツ軍と交戦し、占領したのが大英帝国の自治領であった南ア連邦軍であったということであった。ドイツ植民地支配に対するヘレロやナマ人の蜂起に対するジェノサイド的な鎮圧を批判する報告を基に、「原住民の利益の保護」を名目として、南ア連邦は委任統治を勝ち取る。その後、アパルトヘイト政策を推し進めた南アがである。鉱山などの労働力確保のための「原住民保護」の政策が、より経済的・進歩的であったということか。

 第12章は大英帝国を離れて、ポルトガル領モザンビーク。1960年の「アフリカの年」に取り残された旧ポルトガル領。しかし、モザンビークがポルトガルの手に残されたのは、西欧列強(特に英独と当時まだ独立を保っていたトランスヴァール)の駆け引きの中の「余地」としてであったらしい。こういう解釈を試みると、ともすればその土地に住んでいた人たちは捨象されてしまうのだが、筆者は「ムフェカネ」の影響に触れる。また19世紀後半の英海軍によるインド洋の奴隷貿易廃止運動と南ア鉱山への出稼ぎ賃金労働者の創出の連続性を見る。英国・南ア連邦とポルトガル・モザンビーク総督との間で結ばれた「移民労働者の賃金延払い制度」が、モザンビーク独立後の1977年まで続いていたことは、モザンビークの民衆がいかに搾取されてきたかの墓標であるようだ。

📷 タンザニア・マケテの風景  第1章から第3章までは外国人によるシンポジウム発表(2004年)の翻訳である。それぞれ、米国在住人(?)、ジンバブウェ人、英国人だろうか。第1章の筆者は、「全米アフリカ学会会長」という肩書きがあるが、名前はアフリカ人のようだ(ジンバブウェ人か?)。コロニアリズムに関するアフリカ史研究の潮流を、4つのパラダイムに分けて分析している。いはく、帝国主義、ナショナリスト、ラディカル(従属論およびマルクス主義)およびポストコロニアルである。そしてコロニアリズム研究は、再活性化、筆者のいう「再中心化」しているという。ジェンダーや環境研究などの新しい視点にも触れている。

 第2章ではジンバブウェにおける歴史研究の黄金時代と称して、1967年~90年代を挙げている。吉國さんの名前が出てくるのが、懐かしい。ジンバブウェ大学の中での歴史学者の軌跡を述べているが、外交的麗句に満ちているし、一番大事なことを避けているので、評価のしようがないと思う。

 第3章では、イギリス人の心の中に大英帝国の遺産がどう残っているかを、南ア史の大家であるイギリス人が考察したもの。第二次世界大戦後の大英帝国の解消の事件の際の国民の意識を世論調査で追う。事件とはスエズ危機(1956年)、マウマウ反乱者の殴殺事件(1959年)、ニヤサランド非常事態宣言(1959年)、フォークランド戦争(1982年)、香港返還(1997年)である。次いで、植民地の過去の「過ち」を償おうとした例を二つ挙げる。南アの反アパルトヘイト運動と、植民地の従軍兵に名誉を与えたことだった。また、英国の博物館・美術館は、頻繁に植民地時代の展示を繰り返すという。

 この第3章は第4章と対にして考えることができる。大日本帝国の短い時代の植民地政策と、世界に冠たる大英帝国の長期間の広範囲の植民地政策を比べるのもおこがましいような気もするが、明治国家が成立してから、アジア・太平洋戦争で敗北するまでの日本と、19世紀後半から積極的にアフリカ分割に乗り出した大英帝国を共時的に眺めるのも、重要かもしれない。第4章に見られる深い自省の念と、第3章の論調の食い違いをも、曖昧にして見逃してはいけないと思う。私は大英帝国の植民地支配の傷跡が深い、例えば、シエラレオネ、ナイジェリア、南アなどで、より独立後の民族紛争、殺し合いが起こっているのを、現代の英国人はどう説明するのかを問いたいと思う。

 BPPを共通の史料として扱っているから当然ではあるが、アフリカにおける植民地大国であるフランス領植民地の分割・統治事情にはほとんど触れられていない。フランスによるいわゆる「文化的同化」思想については本書は白紙である。そして、大日本帝国が朝鮮半島で行った「皇民化」についても、共に考えていかないといけないだろう。

 羽田正著『新しい世界史へ』に触れたことがある「読書ノート」第19回」。そこには、ヨーロッパ中心史観から脱却した新しい世界史の構想が訴えられている。その発想自体はさほど新しいということはないが、実践は難しいだろう。そして、その中でもアフリカ史の位置づけは微小である。本書の編者の問題意識は明確であるように見えるが、実践的には暗中模索であるというのが、本書の状態ではないかと思う。

 歴史学の重要性といいながら、本書の筆者に歴史学者は少ない。政治学、経済学、文化人類学専門の方々の比重が多い。もちろん、学際的な研究は必要だろうし、特にアフリカ史のように文献史料に頼れる部分が少なくなる地域では、従来の歴史学の手法に囚われる必要はないのだろう。ただ、歴史学的な思考法はやはり重要だろうと思うのだ。編者が序章で述べているように、「『歴史の危機』を『危機の歴史学』へ転換させる新しい思考が求められているのには同意したい。

☆参照文献:   ・羽田正『新しい世界史へ』(2011年、岩波新書)  ・高根務・山田肖子編『ガーナを知るための47章』(2011年、明石書店)

(2012年7月1日)

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