白川
-キンゴルウィラ村を訪れて-2007年
N R さんより(左側写真も)
この旅で感じたことは、とにかくみなさん親切だったし、お互いに当たり前のように協力し合って生活しているところが印象的でした。例えば、ダラダラに乗った時、お年寄りが乗ってくると子どもでもすぐに席を譲ったり、全然知らない子どもを膝にのせてあげたり、赤ちゃんのいるお母さんの荷物を持ってあげたり。
村でも、お姉さん・お兄さんは小さい弟や妹の面倒を看ながら、家の手伝いをしながら遊んでいて、異年齢集団の遊びが成立していて、最近の日本には見られなくなった光景だなと思いました。 大人も村全体で子ども達を育てている感じがして、あたたかい空間がそこにはありました。
そんな子どもたちはとても可愛くて、元気で、そして賢かった!泣きまね、寝た真似などお手のものでした。でも、肌の色や髪の毛などが違うので、赤ちゃんには怖がられて、ことごとく泣かれました・・・。 子どもたちと遊んでいても、髪の毛やほくろや銀歯に非常に興味を持たれて、普段気にもしないことが珍しいものになって、それもおもしろい発見でした。
そして、とにかく広大な土地・風景には圧倒されました。そんな景色を見ながらの村でのサイクリングは最高でした。
門野 由佳さんより(右上と下の2枚の写真も)
私は今まで、タンザニアでキリマンジャロ地方の山村を訪れたことは数回あったが、キンゴルウィラ村のような平地の農村を訪れたことは無かったので、今回の突然の訪問をとても楽しみにしていた。キンゴルウィラの看板が見えた所でバスを降りると、すぐ向こうに美しいウルグル山脈が連なっていた。誰かが言っていたように本当に日本の風景さながらである。その風景に見とれながら赤土の道を5分も歩かないうちにステイ先のグビさん宅に着いた。
村まで私達を連れてきて下さったヤウミさんは、青年達が煉瓦を作っている所やグビさん一家の畑へと私達を案内してくれた。煉瓦作りの青年達は上半身裸になってせっせと働いており、しかし陽気なおしゃべりに花を咲かせていたので、何だかそういう仕事場の雰囲気がとても良いなと思った。グビさんの畑は家からかなり遠かったので、自転車で行った。ヤウミさんがわざわざ私達の自転車までレンタルしてくれたけど、私はまさか自分がタンザニアで自転車に乗ろうとは思いもよらなかったので、あれは本当に珍しい体験だったと思える。ヤウミさんとサディキ兄さん、そして私達日本人2人で今にも壊れそうな自転車にまたがり、まるでチャリンコ・ダブルデートみたいで笑ってしまった。いつもはクールなヤウミさんが声を上げて笑いながらこいでいくのが余計に可笑しかった。村の家々の間を縫うように進み、サイザル麻の広大なプランテーションに沿った道を30分ほど走ると、ようやく畑に着いた。しかし案の定8月は乾期で農業をやる時期ではないので、畑にはまだ熟れてないトマトくらいしかなかった。そういえばこの時期は農業ができないどころか、家では生活用水にも困っていた。家に蛇口はあっても水は出ないので、モハメド兄さんらが自転車にポリタンクをぶら下げて、どこからか水を汲んできていた。そうやって苦労して確保されている水のことを思うと、私は自然と水浴びなどする気にはなれなかった。私は常にムゲニ(客)ではありたくなかったし、家の人達が何か困難を感じているなら、私も共にその困難をシェアしたいと考えていた。それが村に入る際の私なりの礼儀だった。
もう一つこの村で気になったのが、昼間から繁盛している飲み屋と、あちこちでブラブラしている酔っぱらいだった。まあ、かくいう私もたまたま道で出会った知らないおじさんと一緒に飲み屋に行き、モロコシ酒を飲み交わしていたのだが。そう言えばある時、村の青年達と話す機会があって、その時彼らは「この村にいても仕事がない。早く村を出たい。」「ヨーロッパへ行って金持ちになりたい。」と言っていた。少なくとも中高生の若者達は村を出て収入の良い職に就くことがステータスだと考えているようだった。でもこのことはキンゴルウィラに限ったことではなく、私が行ったことのあるキリマンジャロの村でもそうだったし、日本の農山村でも同じような現象が起きていることは確かだ。けれど、あの時私はただ彼らの思いを静かに聞くことしかできなかった。
例え村での生活は厳しくても、子供達の元気と明るさには際限がない。彼らは現状の中で自分達なりの幸せを見つけている。アクション映画のビデオを見に行くのが好きな子、50シリングで手に入るオレンジのシャーベットが好きな子、サッカーが好きな子、私達と「アルプスいちまんじゃく」で遊ぶのが好きな子。どの子も好きなことや好きなものに向き合っている時、とっても幸せそうに目をキラキラさせる。そのキラキラと出会えるだけで、ここはいい所だなと心から思える。だから私はまたきっと来ようと思う。ある場所をいつも去る時に思うけれど、私はそこに何となくまた来るような気がしているのだ。お世話になった人達にたった1回しか世話にならないよりは、2回も3回も世話になり続けるのが礼儀だろう。と、勝手にそう思い込んでいるからだ。