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  • 執筆者の写真白川

-ルカニ村を訪れて-からだ全体で感じた「ゆったり感」・2002年

更新日:2020年2月27日

笹田 眞吾さんより

 「どうでした?アフリカは」職場の同僚が聞く。「よかったね~、日本に帰りたくなかったくらいだよ」私が答える。さらに「なにがそんなによかったんですか」と聞かれて、一瞬、言葉に窮する自分に気づく。さてなんと答えればいいのだろう?

 キリンマンジャロの雄姿はすごかった、さすが5895mだよ。バナナがおいしくてね~、樹の上で完熟したやつは違うね~。パパイアもサトウキビもトウモロコシも、なんでもあっておいしいんだ。肉と卵は、庭を走り回っているにわとりで足りるし、牛乳は毎朝しぼりたての純生だしね。  車は都市ではたくさん走っていた。ほとんどが日本の中古車で、面白いことに日本の看板をつけたまま走ってるんだよ。○○会社とか○○温泉とかね。  村には4台しかなくて、村人も我々も1屯トラックの荷台にぎゅうぎゅう詰めになって、乗合バスのように仲良く市場に行くんだよ。  市場は大変な賑わいで、埃や蝿などなにするものぞ、土の上にシートを広げて、食料・衣類・雑貨など海の幸・山の幸がやたら並べられていて、まるで物々交換の時代を思わせる風景だったね。  下痢もしなかったし、マラリアが恐かったけど標高1500mの村には蚊一匹いなかった、全く平気だったよ。

このように、断片的なエピソードを語って聞かせることは、アル中ハイマーで忘れっぽくなった私にも容易にできる。しかし、なにがそんなによかったのか?これを一言で言い表すのは難しい。第一、私自身にもまだよくわかってはいない。からだ全体で感じたことを、わずか数個の単語に押し込める作業は、今はまだ無理だ。生の体験を熟成させ、自分の人生観・世界観の中に経験として位置づけるには、時間が要る。  結局それは、雰囲気のよさというか、身体感覚で感じた「ゆったり感」のようなものとしか今は言うことができない。

 今回の私の旅の目的は、まずキリマンジャロを見ることだった。それは果たした。飛行機の窓から、雲海を突き破って高く高くそびえ立つ姿を見た。それは圧倒されるような雄雄しさだった。富士山なんてかわいいものだ。  また、キリマンジャロコーヒーがどのようなプロセスを経て木から豆になるのかを知りたかった。毎朝コーヒーミルを挽くコーヒー党の私だから。それも果たした。  しかし、意外だったのは産地の村で手に入るコーヒーは、袋詰されたインスタントコーヒーでしかなかったことだ。これには驚いた。結局、コーヒーは村人自身が味わい楽しむためでなく、かつてはドイツやイギリスなどの植民地統治者のため、今はアメリカの巨大食品会社のために生産されているということなのか。

  さらに、コーヒーの生産者に入る収入が末端販売価格のわずか2%しかなく、コーヒーの生産を中止する村人も出てきているという現実を知らされた時は、少なからずショックであった。  樹を育て、豆を採取し、手動の皮剥ぎ機で皮を剥ぎ、谷川で洗浄・選別し、干して、されにもう一皮剥き、ずだ袋に入れて出荷する。こんなに手間ひまかけてわずか2%だなんて。これが今はやりのグローバリズムの現実だとすると、むしろパックスアメリカーナと言った方がわかりやすい。  そういえば、移動する車窓から見た首都ダルエスサラームには、廃墟と化した建物がたくさんあった。また、街中には暇をもて余している人々が大勢たむろする姿があった。経済政策の失敗なのかもしれないが、これもまたグローバリズムのなせる技と言ってもいいのではないかと思った。

 タンザニアは人類発祥の地といわれる。国立博物館には200万年以上前の化石人骨が展示されている。以来、現在にいたるまで、農村の風景を見るかぎりでは大きな「進歩」は必要なかったようだ。豊かな自然の恵みの中では狩猟と農耕が十分可能で、あくせく働かなくても生活できたのだろうなどと、勝手な解釈をしたくなる。  歩く時も食べる時も「ポーレポーレ(more slowly)」と言われ続けたことも実感として納得できる。  しかし、グローバリズムの現在、タンザニアは大きな過渡期を迎えているようだ。地球環境の変化と動物保護という名の観光業が狩猟を奪い、アメリカ食品巨大産業が今また農耕をも脅かしている。  わずかな見聞で、あまり大それたことを言ってはいけないのだが、そんなことを考えさせられた旅であった。

 でも、タンザニアはいいところだ。インド洋に面しているからか気候もアジア的で、日本からでもさして大きな違和感なくいけるのもいい。また行く機会があるだろうか。そう願っている。

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