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Habari za Dar es Salaam No.134 "Anguko Elimu"― 昨今の中等教育事情

根本 利通(ねもととしみち)

 2013年2月18日に中学校4年の国家試験の結果が発表になって、タンザニア中は騒然となった。不合格者が過半数、60%を超えたのだ。

📷 頭を抱える教育相 『Mwananchi』2013年2月19日号  新聞報道では受験者397,126人のうち、最上位のディビジョン1はわずか1,641人(0.4%)、ディビジョン2は6,453人(1.6%)、ディビジョン3が15,426人(3.7%)、ディビジョン4が103,327人(26.0%)で、ディビジョン0という不合格者が240,903人(60.7%)という結果だった。

 ディビジョン1,2,3の合計23,520人が、上の高校(フォーム5)や教員養成カレッジに進学する資格を持つがわずか5.5%にすぎない。ディビジョン4は中学校卒業の免状をもらう。しかし、ディビジョン0は中卒の免状も貰えず、4年間が無に帰してしまうということである。

 成績発表の後、不合格だった生徒たちのうち、自殺を図った者も数人出たことが新聞で報道された。死んでしまった者(4人と言われる)、病院へ運ばれた者もいたが、痛ましい話である。また、ダルエスサラーム郊外のある中学校で、昨年春素行不良で退学になった3人の生徒がなんと試験に合格しており、それも個人資格の受験ではなく、その退学させられた学校番号が付いていたということで大騒ぎになった。生徒の名前は発表されず、所属する学校毎の番号と個人番号で合否は発表される。その生徒たちを退学させた中学校の校長がそれを暴露し、その生徒たちの一人の親が教育省の幹部であることがささやかれた。(余談ではあるが、2011年の試験発表までは個人の名前が発表されていた。その際、某最高級幹部の娘がディビジョン0であることが国民に知られてしまった。そのため今回から番号での発表になったというのが巷の雀のさえずりである。)

 毎年成績上位の学校10校が発表されるのだが、今年は成績上位20校の名前が発表された。そのベスト20校のうち公立中学校はわすか2校(17位と18位)で、私立学校特にミッション系が多く、さらに男女別学校が多かった(9校)。ワースト10も発表されるのだが、最下位の中学校(リンディ州キルワ)も取材されて、そこの先生は苦しい弁明を余儀なくされていた。

 その後1ヶ月くらい新聞報道では、この問題が教育関係者、学者、保護者たちに盛んに議論された。教室数の不足、教室内の設備の不足、教師数の不足、教師の劣悪な労働条件(特に地方)、給料の遅配、昨年の教師のストライキ、カリキュラムの不統一、教科書の不統一、教科書の不足、試験問題の難化で学校の予備試験が役立たなかった、英語力の不足…、様ざまな原因が並べられた。教育大臣、副大臣、次官の引責辞任を求める声も野党から上がった。与党の有力者からも「(現在のスローガンである)農業第一ではなくて、教育第一にしないと」という声が上がり、問題が政治化しかかった。

 なかでも2005年に古いカリキュラムが改訂されることになったが、新しいカリキュラムのガイドラインが教育省の予算不足で未発表だという議論にはびっくりした。つまり標準カリキュラムがないのだろうか?物理と化学は古いものを使っているというが。また教科書も検定ではなくて自由競争になり、各学校による自由採択らしいが、その内容もばらばらで著者による商売の様相を呈していると教科書納入業者から聞いた。これでは国家試験にどういう問題が出るのか、生徒によってはまったく習っていない問題が出されるのではないか。

📷 過去13年の中学校4年の試験結果  きわめて現実的な問題として、合格者が23,520人しか出なかったということは、高校入学者(フォーム5)の定員に足りないということである。公立の高校および教員養成カレッジの定員は36,366人であるという。ここですでに12,800人ほどの欠員となる。さらに私立の高校、教員養成カレッジがある。2010年の私立高校のフォーム5の入学者数は12,169人だった。となると、合計で25,000人以上の欠員は間違いない。昨今の傾向で成績優秀者(ディビジョン1~2)が私立に流れるし、私立は経営上積極的に入学者を求めるから、公立高校の欠員はかなり大きくなると予想される。ディビジョン4の成績の者を入れることはないと教育省は声明しているが。

 最近の中学4年生の国家試験試験の成績を調べてみた。2000年から2012年のものである。2000年~2010年のものは教育省発行の資料に拠ったが、2011年、2012年のそれは新聞報道の数字に拠っている。特に2012年の数字は合計して100%にならないので、精査が必要だろう。(新聞報道による数字では合計が92.4%にしかならない。受験料未払いで発表保留、不正行為などで失格の生徒数を除くと、不合格者率は65.5%にのぼると思われる)。表示したグラフのディビジョン1~4が合格者、0が不合格者のパーセンテージである。

 これを見るとここ3年間の落ち込み、不合格者の急増は目をみはる。これでは社会問題化しない方がおかしい。というか、2010年の不合格者は50%、2011年のそれは46%であったからすでに大問題になってしかるべきだったろう。先に述べた高校の欠員の話でも、2011年のディビジョン3以上の合格者数は、33,577人だったという。その当時の公立高校+教員養成カレッジの定員35,130人をすでに1,553人下回っていたわけだ。

 しかし、一方で中学校の入学者数、入学率の変化を調べてみると、また別の側面が見られる。まず中学校数であるが、2000年には927校(うち527校が公立)しかなかったのが、2005年には1,745校(うち公立1,202校)、2010年には4,266校(うち公立3,397校)と増加している。当然、中1入学生徒数も8万4千人あまり(2000年)から43万8千人強(2010年)へと、5倍以上に急増している。入学率でいえば21.7%から52.2%にアップした。

 教員数だって生徒数の急増に追いつくわけはない。この間(2000年~2010年)、教師の数は2.5倍になったが、生徒数が5倍強に増えているから、教師一人あたりの生徒数は20人から40人になった。これだけ生徒が急増すると教員養成は追いつかず、高校を卒業して大学の入学許可順番待ちの学生を、3カ月だけ訓練して地方の中学校に短期間送り、その場をしのぐというようなことが盛んに行われた。教育のレベルは落ちるだろう。

 私がダルエスサラーム大学に留学した1980年代半ばは、タンザニアの中学生はエリートだった。小学校の就学率が67.6%とそこそこだったが、中学校の入学率は5.5%に過ぎなかった(1985年)。小学校7年生が翌年中学校1年生になる率である。小学校の50人のクラスのうちの2~3人しか中学校に進学できなかったわけだ。そしてこの小学校7年生の数字は無事小学校を修了した人数だから、最初からの未就学者、途中でドロップアウトした者を加えた同年齢の人口を加味すると3%あまりに過ぎない。1980年代ではかなりのエリートであったことが分かる。それにひきかえ2010年の入学率52.2%と過半数を超えている。

📷 小学校・中学校・高校の入学者数の変化 📷 小学校・中学校・高校の入学率の変化

 今回の中学校4年の試験で話題になった学年は、途中の留年を考えなければ、2002年に小学校1年生に上がった学年である。2002年は小学校教育開発計画(PEDP)が始まった年で、小学校就学率がぐ~んとアップした年であった。そして2007年から中学校教育開発計画(SEDP)が始まっているから、小学校~中学校を通して拡大計画に乗ってきた第一世代である。2002年の小学校入学者数は前年の114万人から急増して163万人と統計上はなっている(史上最高)。この数字は翌2003年の小1が148万人であるから、それまでの未就学者のいわば滞貨一掃となったのか、あるいは水増しされている可能性がある。

 この数字を前提にして、小学校の修了人数は約102万人なので修了率は約62%。中学校入学者数は約52万人なので約32%。今度の修了試験受験者数が40万人弱だから約24%。修了者は156,223人ということで決着すれば9.6%ということになる。高校入学者数はまだ分からないが、仮に23,520人とすると1.4%ということになる。しかし、これはいわば粗就学率で、同世代の年齢の純就学率ではない。2002年の7歳人口は110万人であった(2002年国勢調査)。それをベースにすれば、中学校入学率は約47%、修了率約14%、高校入学率2.1%というのが実情に近いだろう。

 中学校4年を終ってもなかなか就職口は見つからない。ましてやディビジョン0になったら、中卒資格もないのだから。この5年間で中学を修了しながら職のない若者が80万人生まれたという。その数字の当否はわからないが、2006~10年の中学校4年修了者数と高校1年入学者数を比較すると78万人という差になるから、ある程度根拠があるのかもしれない。80年代にエリートになれなかった親たちの「せめて子どもは中学校までは出してやりたい」という希望を背負った中学生たちはつらいだろう。ただこれが野党のキャンペーンに使われ、失業者である若者たちの圧倒的支持を獲得するとなると、問題の政治利用になってくる。

 周りの知人の子どもたちの結果はどうだったんだろうと思って訊いてみた。該当の試験を受けたのは3人で、一人はディビジョン2という優秀な成績でミッション系の高校へ進んだ。後の二人はディビジョン4という残念な結果で(でもディビジョン0でなくてよかった)、一人は高校ではない専門学校進学を模索していた。もう一人は予備校に入り、今年の試験を再度受け直すという。いはば浪人生で、今度の試験は個人の資格で受けることになる。今年度受験する子どもを持つ親は別に2人いて、ともに現在は地方の全寮制の公立学校4年生で、親は気が気ではない。

 公立中学と私立中学の在籍状況は半々くらいだったが、小学校レベルになるとなんと私立が優勢になっている。昨年、若いスタッフが小学2年生を公立から私立に転校させた。いわく「公立では先生がまともに教えていない。黒板に課題を書いてどっかにいなくなってしまう。私立に移ってからちゃんと宿題も出してもらえる」とのこと。もう一人の別の親は、私立も国際学校(英語が授業用語)にやっている。正直言ってそう高給取りではないのに、小学校から私立学校へ子どもを送る経済負担は大変だろうと思う。2人とも30代前半の若い親だが、1年間の学費+交通費(スクールバス)は給料の2~3ヶ月分に当たる。もちろん子どもは一人ではない。

📷 最下位になったと報道されてしまった地方の中学校 『Mwananchi』2013年2月24日号

 明らかに教育にお金がかかるようになっている。10年以上前からダルエス市内でも大学教員の子どもが通う大学敷地内の学校とか、市内の名門の公立小学校に越境入学はあった。塾・補習も盛んだった。最近は私立小学校に入れようとする。政府高官とか大学教授の子どもたちだけではなく、庶民の親も何とかしようとしている。都会はやむを得ないと思うが、子だくさんは労働力として財産だった農村部の親も安穏とはしていられないだろう。しかし、私立学校という選択肢がない場合は、地域間の教育格差は広がるだろう。教育が階層差を拡大、あるいは固定化する傾向にある。ガーナでも似たようなあるいはさらに激しい状況で、学校間格差、保護者の階層による格差が見られ、貧しい親たちからは子どもの教育は階層移動の手段として期待されているといるという(山田肖子『国際協力と学校』)。

 地方の学校の問題を、新聞報道で見てみよう。上記にあげた最下位と報道されてしまった学校の先生、生徒、保護者たちを取材したレポートである。教頭先生の弁明は「教師数の不足と地域の貧困が原因」ということだ。この学校は2008年の開校だが、最初の3年間は教師は2人しかいなかったという。理科実験室はおろか、科学を教える教師がいない。今回の試験を受けた生徒は2009年入学だったが、入試の成績は3,392校中の最下位で、レベルに達していない生徒も定員を満たすために入学を許可した。2年生末の国家試験でも最下位から2番目の成績だった(1学年下は、南部で242校中115位につけているという)。生徒は生活のために入学してからすぐ、魚、コーヒー、水、ジュースなどをバス停で売っている。先生が少なくて自習が多いから、授業をサボる習慣がついたという。地域の住人はこの結果にどう対応するか、会合を開くという。識者(元大学教授で大臣)は、ミッションの学校に比べ公立(政府立もしくはコミュニティ立)の学校における規律の欠落を指摘していた。

 上記の学校は南部海岸のイスラーム圏のリンディ州という、昔から学校教育面では遅れているとされた地域の話である。が、教育先進地域であるキリマンジャロ州のキリスト教がほとんどの農村でも同じような問題が起こっている。ある村の中学校では80人の卒業生のうち1人しか上級学校へ合格しなかったという。この学校は2007年創立である。2000年代に入って中学校数の急増が目立つと書いたが、私立学校も増えているが多くは公立学校である。政府にそれだけ予算があるわけはないから、増えた公立はコミュニティ(郷)立学校である。タンザニアの行政制度は州県の下に郡があり、その下に郷(スワヒリ語でKata)があり、その下に町村がある。この郷の住民に自助努力で校舎を建設させ、そこに州政府の予算で教員を派遣するというシステムで学校を増やした。2007年には全国で1,116校公立学校が増えたが、その多くはこのシステムである。最低の教室数と職員室の校舎はできても、実験室や会議室はなくて出発した。当然、教員宿舎も未完成だから派遣されるのをしぶる教員も多く、暫定的に村の有力者が空いている部屋を無料で貸すなどしてしのいでいる。

 英語力の問題も古くからの論争点である。タンザニアはアフリカ言語であるスワヒリ語を国語・公用語とし、初等教育をすべてスワヒリ語でやっているアフリカでは稀有の国である。そのためには1960年代にスワヒリ語作家、言語学者などの努力によって学術語のスワヒリ語化が進んだ。明治時代に多くの西欧起源の学術・科学用語が日本語に翻訳され、定着していることを思い起こす。したがって1970年代には中等教育も、いや高等教育もスワヒリ語で授業できるという議論が起こった。しかし、当時のニエレレ大統領は「英語は世界のスワヒリ語である」といって、全教育課程の授業用語スワヒリ語化を阻んだといわれる。「世界に通用する人材の育成」と「中等教育の大衆化」のせめぎあいは続いている。

 さて、さらに大きな事件が起こった。5月3日のことである。ドドマで開かれていた国会で「今回の試験の結果を無効にする」という宣言を政府のの大臣、それも教育相ではなくて政策・議会担当の国務大臣が発表して、また大騒ぎになった。これは2月の発表後、ピンダ首相が任命した大学教授を議長とする調査委員会の答申が4月29日に出て、政府がそれを全面的に受け入れたということのようだ。国家試験審議会(NECTA)に採点のやり直し、2011年の水準に標準化することを命じた。これは試験のやり直しではなくて、不合格とされたものの答案の再点検だと思われる。

📷 再点検するNECTA 『The Citizen』2013年5月28日号  国会、教育関係者、保護者たちはこの決定を原則歓迎したが、批判も強かった。いわく「NECTAの採点の仕方を批判しているが、そのNECTAが採点をし直しても信用できるのか」「NECTAを引責辞任させろ」「死んでしまった子どもはどうするんだ」「諦めて子どもを専門学校にやってしまったのにその学費はどうするのよ」などなど。しかしもっとも納得させる批判は「この決定は根本的解決の先延ばしだ。現在の教育のおかれている状況は学校も教員もひどい。生徒たちが勉強に集中できない状態を放置していて、NECTAに責任を負わせるのは政治的な解決に過ぎない」だと思う。ディビジョン0の答案を再採点するのか、ディビジョン4も見直し、高校進学者の欠員を埋めることになるのかは定かではない。

 少し昔語りをしたい。タンザニアはかつて初代大統領ニエレレが通称ムワリム(先生)と呼ばれ、教師出身であり、教育には力を入れていた。ウジャマーという共同体的な社会主義を唱え、平等というのが大きな原則のひとつだったから、まずは広く初等教育の普及を目指した。

 タンガニーカが独立したすぐ後の1963年の話題である。ニエレレ政権のある大臣とその友人である部下がダルエスサラームの有名な学校の前を通りかかった時の会話である。オイスターベイにあったというその学校は現在の国際学校の前身ではないかと思われる。政府の大臣、外国の外交官、外国人の子どもたちを集めて、ほかにはない多人種、多言語での教育をしていた。もちろん授業料はべらぼうに高かった。

 部下はその学校の教育をほめちぎった。「白人もインド人もアフリカ人もなく、小さい子どもの時から一緒に勉強していれば、大人になっても理解しあえる。人種差別を乗り越える教育で、この協同と進歩が将来のタンザニアの国の姿だ」と。その熱弁を聞き終わった大臣は微笑みを浮かべながらこう答えたという。

 「本当にこれが素晴らしいことだと思うかい?……確かにわたしの子どもはこの国際学校でたくさんの言葉や世界のことを学ぶだろう。そして大臣や大使の子どもたちと仲良くなるだろう。だが、あなたの子どもと親しくなることはない。わたしの子どもは普通の学校で学んでいる子どもたちを軽んじるだろう。そして、あなたの子どもはわたしの子どもを小さな神のように崇めるだろう」  「わたしの子どもは高い教育を受けて、政府の高いポストを手にするだろう。一方、あなたの子どもはその召使か部下になるだろう。さらにわたしの子どもはその子どもに高い教育を授け、孫はその結果高い地位に就くだろう。あなたの孫も同じこと、下の地位に就くだろう。人種差別をなくしたって、その後に社会の階層の差別が出てきてしまう。大臣の子だろうと、大使の子だろうと、庶民の子だろうと、あるいは白人、アジア人、アフリカ人の子だろうと、皆一緒に勉強し、知恵を競い合わないといけないのだ。この違いが定着する前に早くウジャマーを始めなければ」。

📷 ダルエスサラームの公立中学生  この大臣(アムリ・アベディ)と部下(マティアス・ムニャンパラ)は共に詩人で、スワヒリ語の国語化・公用語化のために語彙を豊富にするために努力した人たちとして知られる。そして、ニエレレだけではなく、当時の人たちが「ウジャマー」という言葉にどういう理想を託していたかをうかがい知ることができるように思う。

 再び現在の民衆の言葉に戻る。「ウジャマーのころは、大臣だろうと指導者の子どもたちは公立学校に行っていた。私立に行くことはニエレレが許さなかった。だから、大臣たちは公立学校の教育のレベルに関心があったし、先生たちも一所懸命教えた。でも、今は指導者の子どもたちは私立学校、それも英語で教える学校に行ったり、ケニアあるいは英国の学校に送っている親たちもいる。これじゃぁ、公立学校の先生たちも手抜きになるさ」と。

 日本のアフリカニストの裾野は広がり、各分野で若い研究者が新しい成果を上げているようだ。ただ私の無知かもしれないが「教育」の分野はまだ成長途上のような気がする。アフリカの教育についての書物などを読むと、教育の経済効率性とか投資の収益率などの書かれていて、やや違和感がある。教育学者というよりは、国連仕込の教育行政学とか教育開発学という感じだ。確かに、タンザニアでもチャガやハヤの人びとたちは、教育の見返りを期待して子どもたちに投資してきて、その成果ははっきり出ている。また現在大都市では私立学校が「儲かる商売」として認知されている。例えばダルエスに次ぐタンザニア第二の都市ムワンザの私立学校の広告には「教育は勝利と力を与える」とあった。

 しかし、学校教育だけが教育ではないだろうということだ。西欧式の学校教育に統合していくことで、日本は近代化を遂げた。タンザニア(アフリカ)でも学校教育が広がり、識字率が高まることによって、民衆の獲得する知識が増え、支配者のいいなりにはならなくなってきている。しかし、欧米でも日本でも学校教育のきしみが指摘されてから久しい。学校教育制度が整備されていく中で、見えなくなっていくもの、排除されていくものがある。アフリカの伝統的な教育がその部分を包摂してきたかあるいはこなかったのだろうか。伝統至上主義ではない。伝統のなかに差別は存在していてもそれは変わりゆく、変えられるものだろう。学校教育とそれ以外の教育にまたがったアフリカ(タンザニア)の教育を研究してくれる若手が出ないものかなと期待するこのごろである。

 5月27日の新聞で、試験の再点検の内部筋からという情報が流れた。不合格率65.5%を43~46%程度に押さえるという。答案用紙の再点検などはせず、単純に取った得点に与えるディビジョンの範囲を変えただけだという。そうやって、ディビジョン3とディビジョン4を増やし、ディビジョン0(不合格者)を約82,000人減らすのだという。

 果たして…5月30日教育相とNECTAは修正した試験結果を発表した。それによれば、ディビジョン1は3,242人(1,601人増)、ディビジョン2は10,355人(3,902人増)、ディビジョン3は21,752人(6,326人増)ということで、上級学校に進学資格のある合格者は合計35,349人(11,829人増)となった。受験者数を370,455人とすると(諸説あり)、合格率は前回の6.3%から9.5%にアップした。また中学修了資格のもらえるディビジョン4の合格者は124,260人と前回より20,933人増加となり、合格者合計は159,609人、合格率は43.1%となった。ディビジョン0(不合格)は210,846人で、前回より30,063人減った。不合格率は56.9%となり過半数を超えたままになった。

 これはどういう形でこうなったかの詳しい説明はなかった。教育相によれば「水準化(Standardrisation)をした」ということだ。ディビジョン1(7~17点)、ディビジョン2(18~22点)、ディビジョン3(23~25点)、ディビジョン4(26~31点)、ディビジョン0(32点~)という得点の範囲を操作したのだろうという。つまり32点はディビジョン0だったのが、ディビジョン4に入ってきているのだろうとのこと。真相は不明だが、小手先で今年の結果を収めたとしても、教育のレベルの低下は覆うべくもない事実になっている。6月4日には責任追求を恐れて先延ばしした教育省の国会での予算説明が待っている。

☆注記:本文中に挙げた統計数字は、下記の参照統計を利用して筆者が作成したものである。公式の数字は調査許可を取得しないとなかなか入手できない。また統計局にも資料が不備であり、またあっても統計数字自体が怪しいものも散見される。したがって数字はあくまでも参考程度に読んでほしい。

☆参照文献・統計☆ ・『Mwananchi』2013年2月19日~22日、24日、25日、5月4日、27日、31日号 ・『The Citizen』2013年2月19日~22日、3月7日、9日、5月4日、28日、31日号 ・『The Daily News』2013年2月19日~21日、23日、5月31日号 ・"Basic Educational Statistics of Tanzania"(Ministry of Education,1981~2010) ・"Economic Survey"(Mnistry of Finance etc,2004,2007,2010) ・"Statiscal Abstract:1992"(Bureau of Statistics,1994,2002) ・Mathias Eugen Mnyampala"Historia ya Hayati Sheikh Kaluta Amri Abedi"(Ahmadiyya Printing Press,2011) ・楠原彰『学ぶ、向き合う、生きる』(太郎次郎社エディタス、2013年) ・山田肖子『国際協力と学校』(創成社新書、2009年)

(2013年6月1日)

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