白川
Habari za Dar es Salaam No.103 "Swahili coast-Mikindani" ― スワヒリ海岸ーミキンダニ ―
根本 利通(ねもととしみち)
10月14日のニエレレデイが木曜日であったのを利用して、3泊4日で南部海岸のサファリに出た。ダルエスサラームから南下して、キルワに1泊。キルワ・キシワニ遺跡を見学して、翌日ミキンダニまで南下、2泊して、ダルエスサラームに戻った。
ダルエスサラームから、一路キルワロードを南下する。ダルエスサラーム市内でも、このキルワロードの沿道は、他のモロゴロロードやバガモヨロード、あるいはプグロード沿道とは少し違った雰囲気をもつ。コースト州、リンディ州、ムトワラ州という南部海岸、タンザニアでは最も「開発の遅れた」、イスラーム色の強い地方からの出身者が固まって住む地域。少し市街区を抜けると、風景もココヤシ、マンゴー、キャッサバ、カシューナッツと続く。
この南部海岸沿いの風景は、私個人にとっては懐かしい。今まで何気なく見ていたのだが、今回注意してみると沿道にカシューナッツの木が多く、それもかなり高くなっているのに気がつく。もう実のなるシーズンは過ぎてしまったようだが。また、ナングルクル(キルワへの分岐点)を過ぎると、バオバブの樹が増えてくる。白い花をつけていたり、海辺のマングローブの林のすぐ傍まで、バオバブの樹があるのに気がついたのも初めてだったかもしれない。同行者がいるサファリの利点だろう。
町の起源というか、最初の人間の居住は9世紀といわれているが、証拠はない。西の高原のマコンデの人たちが海岸に移住したという。現在のミキンダニの町の住民は、民族的には混住のようだが、マコンデが多数派だと聞いた。また、9世紀、キルワの建国伝説にもあるように、アラビア半島あるいはペルシアでの党派闘争に敗れたアラブ人、ペルシア人の一団の移住があったといわれる。が、証拠となるような遺跡は残っていないようだ。
これだけのダウ船の良港であれば、キルワと南のソファラを結ぶ交易の中継ぎ、避難港としては使われただろう。9世紀から17世紀に至るまでの長い期間の史料(文書記録)はないのではないか。ミキンダニ港から内陸部(現在のマラウィ、あるいは北部モザンビーク)に向けた細いキャラバンルートもあっただろう。17世紀終わりになって、フランスによるモーリシャス、レユニオン島でのサトウキビのプランテーションのための奴隷需要のために、奴隷輸出にミキンダニ港も使われた。
なお、オールドボマを改装し、高級ホテルとして経営しているのも、このNGOである。内部には8部屋しかないが、リヴィングストンやニエレレ以外に、ドイツの総督、イギリスの総督、リヴィングストンの遺体をザンビアから運んだ従者の名前などが、各部屋に付けられている。ミキンダニ湾を眺望できる、快適なリゾートになっている(本HPのリゾート情報を参照)。
海岸線の通りから中に入ると、元繁華街かと思われる町並みがある。二階建てのバルコニー付の建物で、1階のドアはザンジバルのように文様を刻んだドアになっている。平屋建ての建物も、バラザ(ベランダ付)のスワヒリ風の建物。しかし、維持が十分ではなく、壁が一部崩れ、さんご石がむき出しになっている建物もある。一筋裏に回ると、マングローブで枠組みをした土壁の家が多くなる。
実はこのミキンダニ滞在には、町の散策以外にもう一つ目的があった。ホエール・ウォッチングである。ミキンダニ湾から南に下がった海域には鯨(ザトウクジラ)が見られる。毎年8~10月にはクジラがこの海域で繁殖しているという。去年今年と知り合いの日本人が3回船出して、3回ともクジラに出会っているので、期待して船出した。
ミキンダニ湾から船出して、ムトワラ湾(港)を通り過ぎ、ムサンガムクー岬を回って南下すると、海洋公園の区域に入る。このムナジ湾ルヴマ河口海洋公園(Mnazi Bay Ruvuma Estuary Marine Park)は、2000年指定され、タンザニアではマフィア島に次ぐ2番目の海洋公園だという。 面積650平方キロ、内海洋部分は430平方キロとのこと。さんご礁の海、マングローブ林、クジラ、イルカ、さまざまな熱帯魚、シーラカンスも棲息する。他にも多くの海鳥、ルヴマ河口にはカバ、ワニ、カメなどもいるという。ダイビング、シュノーケリングに好適らしい。
残念ながら、私たちはクジラとは遭遇できなかったので、証拠写真はお見せできない。海洋公園のベテランのボートのクルーが、その鋭い視力で探してくれたが、潮吹きを見つけることはできなかった。最近、沖合いでダイナマイト・フィッシングをしている形跡があるらしいとのことだった。
前回の訪問で、大小のモスクの修復が進んでいたのは気がついた。今回目立ったのは、マリンディ・モスクと、ゲレザの修復が大幅に進んでいたことである。 マリンディ・モスクは今までは基礎しか残っていなかったような記憶だったが、今回はちゃんとモスクと理解できるような建物になっていた。ゲレザはかなりきれいになっていた。さんご石を砕いて、水にしばらく漬け、強度をつけ、漆喰として使っている。今回訪れたのは夕刻だったが、夕日に映えてコーラルピンクが美しかった。荒れ果てた要塞というイメージから、少し変わっていた。
(2010年11月1日)