白川
Habari za Dar es Salaam No.127 "Sensa 2012" ― 国勢調査2012年 ―
根本 利通(ねもととしみち)
2012年8月26日から、独立後第5回の国勢調査が行われた。ちょうど10年ぶりである。前回(2002年)の時は、予算がなくて14年ぶりだったが、今回は予定通り10年ぶりに行われた。
タンザニアの役所は明治時代の日本のお役所のように、下々にはなかなか傲慢である。しかし、この出張所にいた若い3人(女2、男1)は感じよく、おしゃべりしながらさっさと登録してくれた。おそらくこのキャンペーン用の臨時雇いなのだろう。
このIDカードがいつ完成し配布されるのかは、誰も確かなことはわかっていないようだった。おそらくEAC(東アフリカ共同体)内での移動の自由化と絡み合うのだろう。現在でもケニア人が結構タンザニアで働いているが、完全に自由化されると学歴、労働生産性の面からケニア人に雇用を奪われる場面が出てくるかもしれないなと思う。私個人の興味は、他のEAC諸国にビザなしで行けるようになるかなという小さな期待でしかないが。
さて、国勢調査の方である。前回の調査では、調査員は公立学校の教員が担当していた。今回もその予定だったらしいが、7月末に教員組合のストライキが起こった。教員給与の度重なる遅配に抗議し、かつ大幅(100%)な給与値上げと理科、美術教員の手当などを要求した。それは違法ストで、裁判所からスト解除命令が出され、かつキクウェテ大統領が「そんな財源はない」と声明して終わりになった。そのせいだとは思えないが、今回の調査員は若者、カレッジや高校を終わって職のない人たちが多く動員されたらしい。IDカードの時の若者もそういう感じだった。ダルエスサラームでも調査員の手当が払われていないと抗議が起きたり、なかなか開始前に騒動があった。しかし、地方ではこの調査員の手当はなかなかいい収入だったらしく、その手当でバイクを購入して周りのやっかみを買った若者もいたと後から聞いた。
国勢調査の宣伝というか、キャンペーンがあまりないなぁと感じるうちに、8月26日の日曜日になり、その日は終日自宅にいた。我が旅行社のスタッフはツアーが来ていて地方にお客さんを案内していたり、運転手はお客さんを乗せて動いていたから、自宅にいたスタッフは半分程度だったと思う。我が家には調査員は来なかった。また翌日スタッフに訊いたところ、当日に調査を受けたものは半数以下だった。我が家が管理している家にはその日の朝調査員が来たけど、寝ていた日本人3人は調査されず、管理人のタンザニア人一家だけ調査されたそうだ。
ただ、今回の国勢調査はスムーズには進まなかった。当初予定では、8月26日(日)~9月1日(土)の1週間とされていたが、もう1週間延長されて9月8日(土)までとされた。それでも調査は完了したとは言いがたい状態のようだ。結局、調査されなかった我が社のスタッフもいる。
まず、今回は調査に対する大きな反対、ボイコット運動があった。ザンジバルやリンディ州など、イスラームが強い地域でボイコットを訴える運動が起こった。そのボイコット運動の指導者が逮捕されること、今度はその釈放を求める大デモが起こった。私自身、9月7日ダルエスサラームの街中で目撃したが、数千人規模の多くはコフィア(イスラーム帽)を被り、カンズ(イスラームの長衣)を着た男たちだったが、普通の服装の若者や、黒のブイブイをまとった女たちも混じっていた。男たちがあげる雄たけびは近隣にとどろく迫力だった。
2002年の国勢調査は、この「ダルエスサラーム通信」の中で3回にわたって報告している。「ダルエスサラーム通信」第5回」、「ダルエスサラーム通信」第7回」、「ダルエスサラーム通信」第24回」。その中で述べているが、タンザニアは独立以来、その建国の理念から、「宗教」と「民族」という調査項目はなく、統計もなかった。今回は「宗教」を質問項目に入れろという要求が大きく注目され、かつ反対運動を引き起こした。
「宗教」についてだが、ムスリムになぜ広範な反対を引き起こしたのか?1967年の国勢調査を最後に、タンザニアの宗教別統計はない。1967年の調査では、イスラーム32.6%、キリスト教31.9%、その他の世界宗教0.6%、伝統的宗教31.1%という数字が残っている(ザンジバルを除くタンザニア本土の世帯数別統計)。その前の1957年の調査では、イスラーム30.9%、キリスト教25.9%(カトリック17.1%、プロテスタント7.8%)、伝統的宗教43.2%であった。
ところが比較的最近(3ヶ月くらい前?)、西欧発の統計かなにかで、タンザニアの宗教ではキリスト教徒の方が多数派であるような記事が出たことがあった。私も一読した記憶があるのだが、「あぁ、これはキリスト教の宣伝だな」と思ってまじめに読まなかったと思う。今回のムスリムによる抗議はどうもその記事に端を発しているらしい。つまり「ちゃんと宗教統計を採れ」という主張らしい。その背景にはタンザニアではイスラーム-ムスリムが政治的、社会的、経済的に冷遇されているという基本認識が底流しているように感じられる。
「民族」というのはスワヒリ語では、「Makabila」となる。英語に直すと「Tribe」となり、それをそのまま日本語に訳すと「部族」とする人も多くなる。タンザニアのみならず、アフリカ諸国の人びとを「部族」と呼称する傾向が依然日本のマスコミには強い。しかしタンザニアでは、特に都会ではその実態は薄い。それを実現したのはスワヒリ語政策の推進であるし、国勢調査で「民族統計」を採らないという方針も貢献したことは間違いない。
タンザニアに「部族対立」はない。アフリカのほかの諸国、近いところではケニアとかルワンダ、ブルンジ、コンゴなどで紛争、内戦が起こるたびにマスコミは「部族対立」と喧伝するが、紛争・対立の本質を隠しているだけのように思われる。歴史的に、あるいは人類学的に「Tribe」という用語の実態があったのかなかったのかということは措いておいて、21世紀の現在に生きる人たちを「部族」と呼称するのは不適当であるというのが私たちの立場である(漢語にある「部族」の用法ではなくて、日本語における「Tribe」の訳語としての「部族」の問題である)。
ただ建前だけで、地域対立、民族対立を乗り越えられない場合が多いだろうし、自分たちの野心のためにそれを煽ろうという勢力は存在するだろう。それを克服するための一手段として、国勢調査で「宗教」「民族」統計を採らないという道をタンザニアは選択したのだ。将来、方針が変わるか、あるいはそういう配慮が不要になるか、それはわからないが。
さて、今回の国勢調査の質問項目を見てみよう。2002年の質問項目は、「ダルエスサラーム通信」第7回」を参照して欲しい。前回は質問は37項目だったが、今回は62項目に増えている。
今回の国勢調査の資金も、その一部を海外からの援助に頼っている。聞いたところによると、予算は国民一人約$2で総額1418億シリング。タンザニア政府はその77%を負担し、海外からの援助は23%、主として英国、UNFPA(国連人口計画)から得ており、JICAからもパソコンなどの機材供与を受けたという。
自分たちのための調査だったら、自前でできないだろうかというのは素朴な疑問である。ただ、この国の統計局を見ると、なかなか大変だろうとは思う。植民地時代から、統計に把握されない方がよかった伝統が生きているのか。植民地時代に当局に把握されるということは人頭税の対象になったということだ。独立後も納める税金が自分たちのために使われているという実感がない人たちにとっては、把握される義務はないというところかもしれない。
人口の流動性が高まっていて、どこの町村で調査を受けるのか、今回の様子でもかなりばらばらというか、原則性がない。今回の一部ムスリムによるボイコットで、ザンジバルやリンディ州などの数字が低く出るのではないか、そうすると州の役所辺りが帳尻合わせをするのか…など、今から信憑性を疑う意見も出ている。速報値が待たれるところである。
☆参照文献☆ ・D.A.Low & Allison Smith"History of East Africa"Vol.3(Oxford University Press,1976) ・Population Census(1948)(1957)(1967)(1978)(1988)(2002)
(2012年11月1日)