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Habari za Dar es Salaam No.131   "Kilombero Valley" ― キロンベロ谷―

根本 利通(ねもととしみち)

 2012年9月からキロンベロ谷のニュースがときどき新聞をにぎわすようになった。キロンベロ谷はダルエスサラームから見ると南西のモロゴロ州にあり、タンザニア最大の河川ルフィジ川の有力支流のキロンベロ川が貫流する大湿地帯となっており、タンザニアでも有数の農業地帯、特に稲作の中心地として知られる。キロンベロ米というのは有名ブランドである。

📷 キロンベロから牛を運ぶスクマの人びと 『Mwananchi』2012年9月13日号  従来からここに住んでいる人たちはポゴロを主体とする農民で、主として扇状地を利用して稲作をしている。雨季の前にはトラクタを利用した耕起をしている。1980年代末にスクマと呼ばれる農牧民が移動してきて、ポゴロが使っていなかった扇状地と氾濫原の中間のフラッドサバンナに住みつき、氾濫原に大量の牛の群れを放牧し、フラッドサバンナで稲作を中心とした様ざまな農業を展開しだしたという。ポゴロとスクマの土地利用の住み分けは最初はうまくいっていただが、それぞれの所帯が増えるにつれ土地争いが起こり、民族的な衝突も起こったという(2006年12月)。

 さらに環境保護・観光開発の問題が加わった。タンザニアが湿原保護のラムサール条約に2000年に加盟し、2002年にマラガラシ川流域、ナトロン湖と並び、キロンベロ谷も保護対象の指定地となった。キロンベロ谷で貴重だと言われる哺乳類としては、プクというアンテロープがリストに載っている。プクは国立公園内の群れはいないようで、キロンベロ谷内の群れが残存する生態数の50~75%を占めると言われる。1998年10月の調査では6万7千頭ほど数えられていた。

 ラムサール条約はその指定地域の開発を禁じていない。国際的に重要だと考えられる生態学的特徴が維持されれば、一部の農業の賢い利用(ワイズ・ユース)等はOKである。それがユネスコの世界遺産条約とは違う。しかし、今回のキロンベロ谷からの家畜群(ほとんどがウシ)の追い出し作戦の名目にはラムサール条約が使われた。

 まず新聞報道による事実経過を見てみよう。私が気がついたのは9月13日にキロンベロ谷から追い出されるウシの群れの写真が英語紙、スワヒリ語紙の両方に載ったからである。実は8月からすでに報道されていたのかも知らないが、「9月8日までに期限を切って追い出される」とある。その後3日間続いて、ウシの群れを見守る子どもたちや、移動地で煮炊きをしたり、蚊帳を組み立てる女たちの姿の写真が載った。政府によるキャンペーンの色が濃い。

 当初の報道では「牧畜民」としか記事には書かれていなかったが、10月ころから「スクマ」と明記されるようになった。タンザニアでは民族意識が比較的低く「民族紛争」というのはほとんど記憶にないが、それでもスクマは同系のニャムウェジを合わせると国民の17%を占めるといわれるタンザニア最大の民族である。有力政治家は現在はいないとしても、ヘリコプターや警官隊・レンジャーを使った追い出し計画にどう対応するのだろうか。11月12日付の報道では、約30万頭のウシのうち19万5千頭がすでに退去させられたという。これは2005年12月のキクウェテ大統領の国会演説、2006年4月のアリ・シェイン副大統領の指示を守らせる作戦だという。

📷 キロンベロ谷救助作戦のために待機中の警官隊 『Daily News』2012年11月1日号  11月28日付の新聞にダルエスサラームの高等裁判所土地部門から、「追い出し作戦の中止」命令が出た。この地区(キロンベロ県とウランガ県)の50家族が訴えていたのだ。訴えた相手は政府の天然資源観光省。学校、教会、モスクや彼らの家の破壊やその地区からの追い出しには中止命令が出たが、家畜の追い出しについては新聞報道はない。作戦の現場指揮官であるモロゴロ州知事や、環境担当国務大臣は裁判所の命令を気にしないとコメントした。当の相手の天然資源観光省のコメントはなかった。タンザニアにおける司法の地位は危うい。

 2012年12月28日の新聞に、このキロンベロ谷からの家畜の追い出し作戦終了宣言が載っていた。この作戦で38万頭の家畜が追い出され、その費用は1億650万シリングかかったという。指揮を執ったモロゴロ州知事は、ラムサール条約の指定地である湿原を守るため、大統領、副大統領の命令を守ったと胸を張った。もっとも知事は高等裁判所から「法廷侮辱」の罪で呼び出しを受けているらしい。

 この追い出し作戦はあくまでも「環境保護」という名目である。しかし、環境担当の副大統領府とともに天然資源観光省が絡んでいるのは、狩猟(ゲームハンティング)区がキロンベロ谷に設定されているからである。ミクミやウズングワ山塊国立公園やセルー動物保護区とは違い、人間の居住や農耕を認める狩猟統制地区(Game Controlled Area)という。制限したハンティングを高い許可料を取って、主として外国人にさせることによって収入を得て、地元に還元させ野生動物保護に役立てようとする政策である。もちろん地元のタンザニアの人でもライセンスを取得すれば狩猟はできるのだが、高額なランセンスを取得するものは普通なく、昔ながらの漁労・狩猟をすると「密漁・猟者」となって、処罰されることになる。スクマがこの狩猟統制地区に入り込んで放牧することにより、ハンティングの獲物である野生動物が逃げたり、あるいはスクマの牧童たちによって密猟されることも問題とされていたようだ。

 問題をややこしくしているのは、タンザニアの農業振興政策「Kilimo Kwanza(農業第一)」政策とそれに伴うSAGCOT計画の存在である。SAGCOTというのは、Southern Agricultural Growth Coordination of Tanzania(タンザニア南部農業成長調整計画)という計画である。ダルエスサラームから見て南西方向の、州でいうとモロゴロ、イリンガ、ンジョンベ、ムベヤ、ルクワというザンビアに連なる回廊の高原地帯に農業開発を集中しようという計画である。

📷 SAGCOTにおける農業投資対象としてのキロンベロ谷 SAGCOT Investment Partnership Programme  元々この地域はタンザニアの穀倉地帯である。そこで増産を図るために5つの重点項目が挙げられている。「穀物(コメ、トウモロコシ、オオムギ、ソルガム)」「砂糖」「畜産」「電力(水力、バイオマス)」「輸送(TAZARAとダルエスサラーム港)」である。そして話題のキロンベロ谷のキロンベロ川の西岸の氾濫原、扇状地から山裾まで、コメとサトウキビの重点投資地区に指定されている。

 つまり、環境保護名目でスクマの農牧民を追い出した空白の土地に、外国資本の大農場を招き入れようとしているのではないかという疑いを表明したのが、12月13日号の『Mwananchi』紙である。「環境保護か、投資促進か?」と題した見開き2ページの署名記事(Elias Msuya)が載っていたので、その内容を簡単に紹介しよう。

 2006年にAGRA(アフリカ緑の革命のための同盟)という組合が設立された。小農民に増産を促すことによって、飢餓と闘おうという目的である。AGRAは種子や土壌の改良や市場、政策の研究をしている。この組合には農業省、NEPAD、国立小規模融資銀行、農業信託、ソコイネ農業大学や種子会社が加盟している。キロンベロ谷の氾濫原から農牧民を追い出して、大投資家を呼び込もうとしているのではないかと新聞記者は質問する。農業省のスポークスマンは「そんなことは起こらない。外国からの投資も法律を順守して行われるし、現在投資しているKPLという稲作会社も、5,000人の小農と連携している」と答える。

 さらに記者はSAGCOTとの絡みを問い質す。農業省は土地のワイズ・ユースを主張する。追い出された小農や牧畜民と違い、独立前から営業しているキロンベロ・シュガーは環境を破壊していない。1975年に設立されたRUBADA(ルフィジ谷運営機構)は、ラムサール条約に指定されて以降、その開発計画に参画しているし、川から50m以内の開発を禁止している。近い将来、KPLのようないくつかの会社をハブにして、小農たちを支援していきたいとしている。

 年が明けて1月27日の新聞についに農牧民と警官と衝突で死者が出たことが報じられた。政府の命令で家畜を押収された農牧民が、家畜を奪還しようと村の当局と衝突した。当局側に警官は2人しかいず、多勢に無勢で押されて危機を感じて発砲し、農牧民に死者が一人出たという。スクマはスングスング(自警団)発祥の民族だから、戦闘力は高い。

📷 キロンベロ川  このキロンベロ谷の農業の研究を続けている加藤さんという若手研究者の方がいる。若手といってももう10年この地域を対象に調査しているから、この地域に関しては権威である。その人が調査に入っていたので、便乗して覗きに行ってきた。調査の邪魔をしないように2泊3日の超強行軍である。

 キロンベロ谷に行くのは2回目である。最初はキロンベロ谷を通って、その奥のマヘンゲというところにある日本の会社のマカデミア・ナッツ農園を見学に行った。セルー動物保護区に接してあったその農場は、苗木が育ってくるとゾウやバッファローの群れに襲われて、大量に食われていた。長い苦闘の末、日本の会社は撤退し、農園は放棄され、狩猟区になってしまった。

 さて15年ぶりのキロンベロ谷。ダルエスサラームからザンビアに向かう幹線国道をミクミから南に折れて、キロンベロ谷を目指す。川沿いにくねくねと曲がりくねった道で、以前は氾濫によって橋が流されたり、路肩が片側土砂に埋まったりした難路だったが、今は半分ほど舗装されていて走りやすい。小雨季と大雨季の間の小乾季といわれる時期だが、緑は豊かで沿道にはトウモロコシ、マンゴーの木、バナナ、キャッサバが多く、森林も残っている。ときどき開ける平原にはサトウキビの畑が広がっている。お金が回っているのだろう。人は多いし、店も並んでいる。トタン屋根に日干しレンガの家が多い。

 キロンベロ北岸の道路の西側にはウズングワ山塊国立公園がある。1992年に制定された比較的新しい国立公園で、大型肉食獣がいないので森林散歩ができるのだが、最近は整備が進んでいるようだ。公園ゲートのすぐ外のTANAPA(タンザニア国立公園)直営のトゥイガ・ホテルに投宿。簡素だが新しく、従業員の愛想もよく快適な滞在だった。

📷 キロンベロ谷の風景  翌朝は、北岸の物資の集散地であり古い町並みのイファカラを通過し、キロンベロ川をフェリーで渡る。車が4台も乗れば満員になるようなフェリー。10数年前は転覆事故で100人くらいの死者を出したと思う。最近もフェリーの調子が悪く、止まっているというニュースをよく聞く。中国企業によって橋が架かることになっており、もう準備が進んでいた。川には丸木舟を浮かべ、流れにまかせながら網を投げる漁師の姿が見える。

 渡河すると、だだっ広い平原にイリンガの山並みが霞んで見える。沿道ではサトウキビが消えて、稲作の準備が進んでいる。大雨季に備えて耕起してある田、すでに播種され苗が出ている田がばらばらに出てくる。稲作地帯に入った。

 山並みに分け行っていく。緑が濃い。いわゆるミオンボ林なのだろうが、原生林のように深い感じがする場所も多い。ただところどころに変わった木の植林地がある。チークだ。15年前に谷を遡った時もその英国系の会社のことは聞いた記憶がある。その後順調に成長したのだろう。直営の植林地が増えているようだ。森林保護区だろうと思われる地域にも突然チークの幼樹が植わっていたりする。セルー動物保護区とキロンベロ谷の狩猟統制地区との動物たちの往来の道だろうにと思う。村の人たちの家の周りにもチークの樹が数本植わっていたりする。その英国系の会社が買い上げる。ヨーロッパにおける販路を見つけたのはその会社の努力だろう。でも地元の人たちはみすみす好機を逃しているのではないだろうか。

 マヘンゲに向かう本道を逸れて、深い森林を抜け登っていくと、加藤さんの調査地であるイテテ村(正確にはイテテ郷=Kata)があった。加藤さんは2003年からこの村の女主人の世帯に住み込んでいる。村の標高250m前後、1,200世帯、8,000人あまりという(加藤さんによる)。キロンベロ谷を望む山裾に村を構えるのはポゴロ人と呼ばれる農耕民族。もっとも自称ポゴロでも、各地から移り住んできた人たちも結構交っているらしい。ここらへんにもタンザニアの民族的なあいまいさ、おおらかさが感じられる。

📷 キロンベロ谷の水田  加藤さんの案内で、山から平原を俯瞰した後に下りて、扇状地、フラッドサバンナ、氾濫原と見て回った。いつの間にやら出作り小屋のある扇状地のポゴロの水田から、スクマの家畜がいる水田地帯に入り、さらに通り抜けて川に近い氾濫原との境界にあるポゴロの水田地帯に到達した。

 確かに言われるとスクマの地域に入ると道行く人たちの服装も変わり、粗末な仮小屋のような家が点在している。大きな特徴は、ポゴロの住居区ではニワトリしか見られなかった家畜が、ヤギ、ヒツジ、ウシと現れてくることだ。ただ、それも今回の騒動の結果、ヤギ、ヒツジは多くても、ウシ、特に成牛は少ない。40万頭といわれたウシのうち38万頭は外に出されたという。これはフェリーでカウントされた数字である。まだ7万頭残っているという噂もあるが、イテテ村に残っているのは400頭足らずだという。牛耕に頼っているスクマの稲作はどうなるのだろうか?

 スクマの地域を抜けてキロンベロ川方向に近づくと、その氾濫原との境界にはポゴロがトラクタで耕起した(トラクタのレンタル料は1エーカー当たり2回で9万シリングと聞いた)水田が広がっているが、イネはまばらにしか生育しておらず、土は乾いてひび割れしていた。このままでは、エーカー平均15~17袋(1袋約90kg)の収穫は危うく、再播種しないといけないだろうとそのポゴロの農民は言っていた。トラクタのレンタル料だけで108万シリングだから、エーカー7~8袋の収穫では黒字は危ないようだ。

 そのポゴロの水田の向こうの氾濫原には、動物局の役人によって狩猟統制地区との境界線を示すビーコンが連なって建てられているのが見られた。そのすぐ先に小さな森があり、ハンティング・サファリの際のキャンプが設営されていたという。その向こうにはもう樹木はない氾濫原だという。もうスクマはこの草原に放牧はできない。

 ポゴロの集落は山裾に固まってあるが、スクマの家はフラッドサバンナに点在している。加藤さんの友人のスクマの農牧民の家を訪ねた。そのスクマ人は1998年に妻とウシも一頭もなくこの地に移住し、開墾しながら現在に至っている。現在はウシ100頭以上、水田は30エーカーほど所有しているという。フラッドサバンナの家はウシの囲いとさほど立派とは思えない家だが、ソーラーパネルが屋根に備え付けられ、サテライトディッシュがあり、テレビ番組を楽しんでいるという。息子の嫁とさほど歳の違わない3人目の妻をめとったという。

📷 キロンベロ谷に残る家畜  つまり移住してきて成功したスクマで、顔役の一人なのだ。その人がこの間の騒ぎでどう動いたのか?100頭あまりいる彼のウシは全部無事に残っているという。村当局に拘束されたが、Ujanjaを使って取り戻したという。つまりカネを使ったということだ。彼は農業に比重を置いてもこのキロンベロ谷に居残りたいという。しかしスクマの稲作には牛耕は必須だから、ウシは最低限確保しておかないといけない。

 実際にフラッドサバンナを走っても、ウシの数は少なかった。まだどこかに隠している部分もあるだろうが、38万頭が移住したというのは事実のようだ。スクマのなかでも牧畜に比重を置く人たち、特にウシ2千頭以上所有し、スクマ語で「サビンターレ」(大富豪)と呼ばれた人たちはキロンベロ谷に見切りをつけるかもしれない。とりあえず、ウシの群れに牧童をつけ、リンディ、シンギダ、キゴマ、ソンゲアの方向に送りだしたという。家長はキロンベロに残り、牧童は交代するらしい。しかし、条件のいい草原はそうは残っていないはずだし、また移住先で先住の農耕民ともめ事を起こす可能性は高い。2月17日の新聞報道では、コースト州キサラウェ県でのキロンベロから移住してきた牧畜民と農民とのもめ事が伝えられている。

 ほとぼりが冷めたころにキロンベロ谷に戻ってくるという可能性がないわけではないが、それは今のところ薄いだろう。しかし、現在残っている2万頭がまた増えていくだろうことも間違いないし、自然増にどの程度規制をかけられるだろうか。しかし、ケニアではよりそういう傾向が強いのかもしれないが、政治権力を握った農耕民出身の政治家が、土地のもつ商業的価値に着目して、広大な遊牧民の土地を制限し、奪ったり、外国資本に貸す傾向は強まるだろう。それが「最後のフロンティア」における土地収奪と結びつかないといいのだが。遊動性をもった農牧業というスクマの生活様式も変化を迫られるだろう。

 民族の紛争と共生という観点からいえば、イテテ村のポゴロとスクマの共生はさほど崩れていないように見えた。今回の騒動ではポゴロはスクマに同情的のように思える。そういう意味では、タンザニアの「Amani(平和)」は維持されているように見えた。ただ、1泊の村滞在で何かがわかるわけではなく、村人がよそ者に本音を語るはずもない。村人がスクマを受け入れていても、行政当局という厄介な外部権力が絡むとどうなるのか。今回殺されたスクマの牧童に対しては当局が賠償金を払うことで和解したようだが、先行きはまだ不透明である。

☆参照文献☆ ・『The Citizen』2012年9月13日、15日、11月12日、12月28日、2013年2月5日、17日号 ・『Mwananchi』2012年9月13日、14日、10月30日、12月13日、2013年1月27日号 ・『Daily News』2012年11月1日号 ・Tanzania Wildlife Conservation Monitoring「Wildlife Survey Report」(1999年) ・加藤太「氾濫原の土地利用をめぐる民族の対立と協調」掛谷誠・伊谷樹一編『アフリカ地域研究と農村開発』(京都大学学術出版会、2011年) ・泉直亮「東アフリカ農牧社会における経済活動の現代的展開」『年報人類学研究』(2013年)

(2013年3月1日)

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