白川
Habari za Dar es Salaam No.140 "Press Freedom" ― 報道の自由 ―
根本 利通(ねもととしみち)
2013年9月29日の英語紙『The Citizen』のトップに、スワヒリ語紙『Mwananchi』『Mtanzania』2紙が発禁になったという記事が載った。それぞれ14日間、90日間の発行停止だという。
『Mwananchi』に関しては7月17日(事実は7月27日)の記事で「国家公務員の2013年の給与」という機密情報を載せたこと、さらに8月17日の「警官の厳戒のなかで祈るムスリム」という記事のなかで犬の写真を掲載し、ムスリムの反感を煽ったと見なされたという。また『Mtanzania』に関しては、3月20日の「血ぬられた大統領」、6月12日の「革命は避けられない」、9月18日の「政府に血の匂い」などで、散発したテロ事件に対する政府の責任を証拠もなしに追及したという。
9月30日以降、『Mwananchi』紙と同じ会社の経営の英語紙『The Citizen』は政府批判の論陣を張った。同じメディア(新聞)である『Nipashe』『Majira』『Habari Leo』『Tanzania Daima』『Guardian』などは支援の論調だったようだ。政府系の『Daily News』は9月29日に報道したが、事実を淡々と伝えただけで賛否は明らかにしていなかった。その後の後追い報道もなかったと思う。私はテレビはまず見ないから、テレビ(そしてラジオ)の論調も知らない。
メディアだけでなく、主要野党、大学人、人権団体(NGO)なども批判に参加した。2012年に『Mwanahalisi』という夕刊紙が「扇動的」ということで無期限発禁となり、実質的廃刊に追い込まれている。今回指摘されたのは言論・報道の自由という観点から、社会主義一党制時代に制定されたの国家治安法(1970年)と新聞法(1976年)の問題点であった。特に「平和と公共の利益のために」情報担当大臣に新聞の発禁、登録抹消を命じる権利を与えていることが、恣意的運用を招くと強く批判された。
『Mwananchi』紙にはウェブ・ニュースがあるのだが、10月1日までは読むことができた。10月2日の『The Citizen』の報道で、政府がウェブ・ニュースも禁じたことが報道され、確かにその日は「報道できない」という表示が出たが、おそらくそれは2~3日だけだったのではないだろうか。いつの間にやらウェブ・ニュースは復活しており、10月10日には「われわれ(新聞)は明日復活する」と宣伝していた。『Mtanzania』紙の対応は追っていなかったが、同じ経営の週刊紙『Rai』を日刊にして対抗したという。やるもんだね。10月1日情報局長は『Mwananchi』のウエブ報道を禁止するとともに、『Rai』の日刊化も認められないとしたが、強制力は弱かったのだろう。
これにはおまけがある。10月12日の『The Citizen』の報道によると、情報省の副大臣Makallaは「10月4日の2社の代表と会い、『Muwananchi』のウェブ・ニュースを禁止する法律はないし、『Rai』の日刊化も私が認めた」と発言したという。省内の不統一か、批判への弱腰なのだろうか。さらにこれには伏線があり、10月9日にタンザニア・メディア関係者は、「情報大臣Mukangaraと情報局長Mwambeneの主催する、または出席する行事の報道をしない」と申し合わせたと言う。情報省全体ではなく指名ボイコットだ。大臣は「彼らは私のためにではなく公共のために働くんでしょ。職業倫理に欠ける」と反論したが、弱弱しく聴こえた。ここらへんもタンザニアらしいエピソードではある。
10月11日に14日間の発行停止期間が明けて『Mwananchi』は復活した(実際には12日間だったが)。「われわれは留置場から出てきた、強い決意を持って」と大書した社説を掲載している。まず発行禁止の原因とされた二つの記事に関する政府側の論点に反駁している。発行停止処分を受けるいわれはないとした後、売り子、記者とその家族が受けた被害に触れる。さらに広告主、読者も被害を受けたとする。
さらに進んで、「1976年の新聞法のような抑圧的な法律は、少数の人間を除き国家の利益にはならないと廃止を主張する。教訓を得て留置場から出てきた。われわれは諦めない、怖れや偏向をせず市民に情報を届け続ける。政府と戦うわけではない。しかし誤りがあれば批判し、責任を果たせば賞賛する。読者よ、手を携ええて進もう」と結んでいる。
タンザニアのジャーナリズムがそんなに立派なもんではないという思い出がある。1995年のことだからもう18年前のことである。ダルエスサラームで開かれた「マハレ研究調査開始30周年記念セミナー」での記者会見のことである。当時、マハレ野生動物保護協会の事務局長として裏方を担当していた私は、記者会見のアレンジをし、拙いスワヒリ語で趣旨説明をした。その際に知ったのだが、取材する記者に謝礼を払わないと、こういう小さい行事は記事にならないということだった。
それまで新聞記者というと反権力の正義の味方のような幻想を持っていたのだが、現実は厳しかった。タンザニア政府・社会のなかにあるPosho(手当)文化なのだろう。公務員が業務として出席する会議の出席手当なるものに違和感があり、抵抗が強かったのだが、新聞記者よ、お前もかという思いだった。海外の援助機関も抵抗を感じつつ支払っていたのか、あるいは外国人が生み出した悪しき慣習なのか、ここは歴史を調べる必要がある。しかし、倫理観の乏しさを感じた。
現実に新聞記事を鵜呑みにできないと思うことはままある。タンザニアの統計数字はあまり信用できない部分もあるのだが、それをそのまま引用したり、外国の記事を検証なく受け売りしたりしていることがある。都合のいい部分だけを利用している傾向がある。御用ジャーナリストによる提灯記事はあるだろう。
タンザニアのジャーナリズムの状況を憂いているばかりではいけないのだろう。欧米の状況はわからないが依然としてダブル・スタンダードだし、少なくともアメリカは情報統制・操作という観点からいうと褒められた状態ではないように感じられる。日本のジャーナリズムのレベルの低下は、かなりはっきり感じられる。
日本のアフリカ報道が貧弱になってきたのはいつごろからだろうか?1984年から日本を離れていて日常的に新聞・テレビに接していないのでよくはわからないのだが、最近のウェブ・ニュースなどを読むとよく感じる。以前(1970~80年代)だってひどかったじゃないかと言われるかもしれないが、当時の日本のジャーナリストたちは、日本人のアフリカ認識が乏しく無知・偏見に満ちているというのを認識して、自分たちが少数の先駆者であるという自負を持っていた。それが独善につながることもあったと思うが、斬新な報道もあったと思う。しかし、最近の報道は欧米の受け売り、後追いのような記事が多く、不勉強、認識不足を感じさせる。
そしてそれはアフリカ報道だけではないのだろう。シリアやアフガンなどの報道もしかり、日本人が内向的になってきている証左なのだろう。ヘイトスピーチなどが日本国内で公然化してきている事実をどう捉えるのだろうかということもある。また特定秘密保護法案による「知る権利」の制限にどう対応するのかが、マスコミだけではない一般の日本人としての自らの課題である。
☆参照文献☆ ・『Mwananchi』2013年7月27日、8月17日、10月11日、12日号 ・『The Citizen』2013年9月29日、30日、10月1日~6日、10~12日号 ・『The Daily News』2013年9月29日号 ・『The East African』2013年10月6日-12日号
(2013年12月1日)