• 白川

Habari za Dar es Salaam No.160   "Uchaguzi Mkuu - Njia ya Ikulu 2015 " ― 総選挙2015 大統領官邸への道 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 今年最大の政治課題、総選挙が本格化している。その最大の焦点は、今期で引退するキクウェテ大統領の後継争いである。有力野党の連合体であるUKAWA(国民憲法同盟)が統一候補を出せるかも興味あるが、やはり独立以来半世紀以上にわたり政権を独占してきた与党CCM(革命党)がどの候補を選ぶかである。6月初めからCCMは大統領指名を求める申請用紙の配布を始めたが、その用紙を100万シリングの代金を払って入手したのはなんと42人という百花繚乱状態となった。そのうち15州(うち3州はザンジバルから、ペンバを含む)から450人以上という支持者の署名を集めて、正規に受理されたのは38人だった。

📷 大統領官邸への列 『The Mwananchi』2015年5月26日号  こういう状態は私の記憶にはない。ニエレレ時代は対抗馬がいなかったし、第二代の大統領ムウィニはニエレレの指名による。CCM内で大統領候補の選出選挙が行なわれたのは、1995年複数政党制復帰後の最初の選挙で、野党にムレマ元副首相という有力候補がいた時だろう。この時は、10数人が後継候補に手を挙げたと思う。その中にはマリチェラ首相(当時)などの有力者や、キクウェテ蔵相(当時、現大統領)やロワッサ土地相(当時)といった40代の若手のホープたちも名を連ねていた。しかし、ニエレレが中央委員会に乗り込んでいって、それほど有力視されていなかったムカパを押し上げたたと言われている。

 2005年の時も、指名レースは行なわれたが、ムカパ政権で10年間外相を務めたキクウェテが大本命だった。対抗馬になりえた盟友ロワッサがキクウェテ陣営を支える側に回って指名レースに参加せず、キクウェテは順当に指名され、本番の総選挙でも80%の得票率で圧勝した。盟友ロワッサは首相に就任し、10年後の禅譲が暗黙の了解・既定路線とみられた。(「2005年総選挙(2)」など参照)。

 そのまま推移すれば、今回の与党(CCM)の大統領指名レースではロワッサが大本命であったのだが、ロワッサはスキャンダルに見舞われて、2008年首相の座を去ることになった(「首相の辞任と内閣改造」参照)。そこで、大本命とはいえなくなったロワッサは昨年初めからキャンペーンを始め、それに対抗したスマイエ元首相やメンベ外相など計6人が、早期運動はルール違反ということで12か月の運動禁止をくらった。今回はロワッサをはじめスマイエ、ピンダという元、現首相3人、ビラル副大統領などを含めた混戦となった。あいつが出るなら、俺だって私だってということだろうか。年齢的には70歳前後というもう公職を引退した、あるいは引退寸前と思えるような候補者も多く、「私は1期5年でいい」と最初から言う者もいた。

 今回の候補選考には2014年を騒がせたエスクロウ事件の影が濃い(「エスクロウ・スキャンダル」参照)。つまり、汚職・腐敗の横行に対する対応である。最有力ランナーがスキャンダルで失脚したロワッサであったから、CCMが彼を選ぶことは野党から厳しく攻撃を受けることは必至であった。もちろん、援助(ドナー)諸国からも批判的に見られるであろう。一方で、首相時代のロワッサは学校や診療所の建設など実績があり、実行力には定評があった。ロワッサの金権体質には批判的な国民のなかにも、「私腹を肥やすだけのやつよりも、実行力がある分、ロワッサの方がまし」という醒めた意見もあった。

📷 この椅子いくら? 『The Citizen』2015年5月28日号  38人の志望者の内訳を見てみよう。女性は5人いた。年齢的には10月25日の総選挙時で、30代1人(資格があるのだろうか?)、40代13人、50代9人、60代10人、70代5人である。ザンジバル出身者は4人で、残り34人が本土出身者だが、その出身州別で見るとマラ州(ニエレレの出身地)が5人でトップだった。

 今回の選挙運動でも意識されたのはニエレレの影である。ニエレレの息子であるマコンゴロ・ニエレレの出馬だけではない。「ニエレレの理想を継ぐ」「ニエレレの時代に戻す」と立候補声明で述べた候補者は多かった。ニエレレ時代に大臣であった人、ニエレレ時代の公安のトップ、あるいは「自分が選ばれればニエレレは喜ぶ」「ニエレレは40歳のときすでに大統領だった。若さは問題ではない」と主張した候補者などなど。

 さて、指名獲得キャンペーンでもっとも話題になったのは、やはり元大本命のロワッサの動向だろう。早くから立候補の意思を隠さず、昨年からすでに運動を開始していた。「チーム・ロワッサ」と呼ばれる部隊を作り、学生から牧師まであらゆる階層を含んでおり、活発に活動していた。彼らは「チーム・ロワッサ」であることを隠さず、ブログ、ソーシャルメディアで発言し、チャリティーウォーク、病院や道路掃除など環境美化のボランティアに参加するなど露出に努めた。これは10年前にロワッサが「チーム・キクウェテ」を指揮した経験が生きていると言われた。選挙運動が正規に解禁されると、ヘリコプターを使った遊説とか、アルーシャのモスク建設へに寄付金集め(ハランベー)に2億3500シリング(=約1400万円)を拠出したり、話題には事欠かなかった。

 それ以外で派手な、つまりお金を使った運動をしたのは、若手のジャニアリ・マカンバ(41歳)だろう。父親が元CCM書記長で、国会議員としてはまだ一年生。ただ党官僚出身で引きがあるのだろう、既に科学技術通信の副大臣になっている。ロワッサと並んで事前運動禁止処分をくらった6人のうちの一人だし、地方で大型バスを連ねて派手な選挙運動を繰り広げた。そしてNECの当日の7月10日の朝刊に、8ページの全面カラーの広告を乗せて度肝を抜いた。こんなお金はどこから出ているのだろう。二世議員というのはどこの国でも同じような体質があるのかもしれないなと思わせる存在である。

 金権候補たちに対して、庶民派をアピールする候補たちもいた。そのなかでも異色で話題になったのは、「小卒、農民」を売り物にしたキゴマ州のビロヘである。彼はドドマの党本部まで歩いて申請用紙を取りに来た。「CCM党員の権利として」と述べていたが、ほかの有力候補が多数の支持者を引き連れ、大型バスとか高級リムジンで党本部に乗りつけたのとは異なるアピールの仕方だったのだろう。バジャジ(三輪タクシー)で乗り付けた女性候補もいたが、彼女は政府の医療調査機関の総裁で、マリチェラ元首相の娘だから庶民派とは呼べないだろう。

📷 第一次予選通過 『Mwananchi』2015年7月10日号  5月22日のCCM全国執行委員会(NEC)で、事前運動で禁止処分を受けていた6人が処分解除され、選挙運動が始まった。6月3日から指名用紙の配布が始まり、7月3日の締め切りまでに前述のように38人が申請を出した。直前の新聞による分析では、4グループに分けられていた。第一は「決死グループ」と名づけられ、ロワッサ、ピンダ、スマイエ、ムワンドスヤ、ワシーラ、メンベの6人が挙がっていた。決死というか、元・現首相とか年齢的に今回が勝負で後がないということだろう。第二は「代わりのグループ」で、ビラル、アウグスティノ、アミーナ、マグフリ、ミギロ、マコンゴロの6人で、第一グループの派閥争いによっては妥協案として浮上するかもしれない人たち。第三は「若手グループ」でマカンバ、ンゲレジャ、ムウィグルなど7人で、今回というより次回勝負の40代のグループ。第四は「その他グループ」でシッタなどはここに入れられていた。

 7月8日から12日までの5日間、ドドマでCCMの党大会は開かれた。8日に安全倫理委員会による候補者の点検が行なわれ、9日の中央委員会(CC)で候補が5人にまで絞られる。中央委員は今回は32人であった(空席2)が、そのなかの4人は立候補しているので28人が出席する。10日のNECでそれがさらに3人まで絞られる。全国執行委員は今回は374人だそうだ。そして11日~12日にかけて全国大会の代議員投票によって、最終的に候補者が決まる段取りであった。今回の代議員は2,400人以上ということであった。

 しかし、予定は遅れた。倫理委員会が10日までずれこみ、10日にCCが開かれ、さらにNECと続いた。ロワッサの取扱いで揉めたのだ。正規の機関ではないはずの「顧問会議」というムウィニ、ムカパの両元大統領、サルミン・アムール、アベイド・カルメの両元ザンジバル大統領、マリチェラ元首相、ムセクワ元国会議長が関与したらしい。CCで選ばれた5人のなかにロワッサは入っていなかった。観衆としてはびっくりだったが、考えたら倫理委員会を通しているのだから当然だろうと思う。ドドマではロワッサの支持者たちがCCの決定を覆すべく、抗議したりデモをした。残った5人は、メンベ、マグフリ、マカンバ、アミ―ナ、ミギロである。

 NECの開会の冒頭でもロワッサの支持者たちが、ロワッサを支持するスローガンを叫び大変だったらしい。ともかく、投票が行われ、3人に絞られた。マグフリ、アミ―ナ、ミギロである。ライバル派閥の代表であったメンベが落とされた。ロワッサ支持票がマグフリに流れたということだが、女性が2名とも残ったのはまたびっくり。最終日は2,422人の代議員の87%に当たる2,104票を集めたマグフリが圧倒的に選ばれた。

📷 一等賞! 『Mwananchi』2015年7月13日号

 候補に選ばれたマグフリはどういう人物か、『Mwananchi』による紹介を見てみる。1959年10月29日(選挙時には55歳)、ゲイタ州(当時はカゲラ州)チャト県生まれ。父親はスクマ人の牧畜民であり、多くの牛を飼っていた。ジョン少年も牛追いの仕事をし、国会議員になってからも休暇で帰省した時は、乳を搾っていたという。地元の小学校(1967ー74年)、ビハラムロのミッション中学校(1975-77年)、ムワンザの中学校(1977-78年)、イリンガの高校(1979-81年)と進んだ。その後は大学ではなく、イリンガの教員養成カレッジに進み、化学・数学の教員免状(ディプロマ)を取得し(1981-82年)、ムワンザ州センゲレマの中学校で化学と数学を教えた(1982-83年)。

 その当時はまだウジャマー時代の末期で、高等教育を受ける前に兵役訓練を受けることが義務付けられていた。マグフリはそのJKTの訓練を1983-84年に受けた。翌年、ダルエスサラーム大学に入学し理学の学位を取る(1985-88年)。卒業後、ニヤンザ協同組合の化学技師として勤務する(1989-95年)。この間にダルエスサラーム大学と提携している英国のサルフォードの修士号(化学)を取得している(1991-94年)。さらに学歴としてはダルエスサラーム大学に籍を置き、博士号を取得した(2000-09年)。

 1995年には36歳でCCMから国会議員に当選している。ムカパ大統領の下で、インフラストラクチャー省の副大臣に任命されている。2000年に再選されると、インフラストラクチャー大臣に昇格した。2005年、無投票で三選されると、キクウェテ大統領により土地住宅居住推進大臣に任命され、2008年ロワッサの失脚に伴う内閣改造で、畜産水産大臣に移動した。2010年野党候補を破り四選されると、建設大臣に任命された。インフラストラクチャー省が建設省と運輸省に分離されたのである。

 政治家としては極めて順調に来ているように見える。その評判はどうなのか?高学歴であることがほかの人間に対して有利なカードであること。一つの省(インフラストラクチャー~建設)に長くいること(15年)。資料を読み分析する能力、集中力が長所として挙げられていた。逆に短所としては、ほかと相談せずに即決してしまうことが指摘され、水産大臣あるいは住居大臣だった時のトラブルの例が挙げられている。しかし総合評価としては、能力のある働き者としてはほかの大臣たちにぬきんでていて、その実行力は故ニエレレを彷彿させるし、厳しい原則主義者としてはCCMのなかでも最適だろうと最大級の賛辞を贈っている。実力者になっても派閥を作らないことも褒められている。この新聞記事は5月9日という早い段階のもので、選出後の提灯記事ではない。ただ、早くから政治家、大臣になったので、CCMの党組織には関与していない「よそ者」であるという不安は書かれていた。

 副大統領候補について簡単に触れておく。大統領が本土から出る場合は、副大統領はザンジバルから出るのがルールである。最終の3人にアミ―ナ・サリムが残った段階で、彼女が副大統領候補になるのかなと思っていた。女性候補というのはタンザニアでは初めてで、セールスポイントにはなるだろう。しかし発表されたのはザンジバル出身の女性ではあったが別人だった。サミア・ハッサン・スルフ、1960年生まれの55歳。ザンジバル南部のキジムカジ出身。2010年国会議員に当選し、現在副大統領府国務大臣。高校卒業義、1977年にザンジバル政府のタイピストとして働きだし、その後パキスタン、インド、英国、アメリカの大学でディプロマ、学士、修士を取得した。2000年以降、ザンジバル政府の労働・ジェンダー・子ども発展相、観光・商業・投資相を歴任している。

📷 ひみつ 『Mwananchi』2015年7月27日号

 先頭ランナーだったロワッサがなぜ敗れたのかという分析もかなり出た。多い分析は、「チーム・ロワッサ」と大衆、おそらくCCM党員でない者をも巻き込んだ運動方法と、党の官僚組織(議員でない書記長以下の党本部職員)との溝を挙げている。党組織としての統制ということと大衆人気は別物なのか。そうなると「民主主義とは数だ」というポピュリストとは別の論理が働いたことになる。

 7月16日の新聞にはキングンゲ・ンゴンバレ・ムウィルによる今回のCCMの候補決定のプロセスに対するあからさまな批判が載った。いはく「倫理委員会による早い段階でもロワッサの名の削除は党の規約違反である」と。キングンゲはニエレレ時代のイデオロギー担当の書記局員で、ばりばりの原理社会主義者で、議員になったことはなく、利権とは関係のないクリーンな古参党員の代表であった。しかし、今回はロワッサの正規の選挙運動の最初の集会のアルーシャに駆けつけ、ロワッサ支持を明らかにし、またCCの開催に前にも「陰謀が進行している」と警告を出していた。このキングンゲの批判に対し、顧問会議に参加したムセクワが「キングンゲは2012年に党の規約が改正されたことを知らない。金権候補を防止する規定が付け加えられたのだ」と反論した。

 ロワッサ支持者のなかにはCCMを脱党し、野党(主にCHADEMA)に移籍したグループも出ている。ロワッサの選挙区(モンドゥリ)の議員たちやアルーシャ州やダルエスサラーム州に多い。肝心のロワッサは沈黙を守っている。CHADEMAへの移籍も噂されているが、政府与党の腐敗・汚職を攻撃してきたCHADEMAに、金権候補の代表が移籍してその大統領候補になれるとは思えないのだが。

 7月11日にはドドマのホテルでインド国籍の男が、7億2000万シリング(=約4200万円)の現金の入ったスーツケースを発見され、逮捕された。これが代議員の買収資金と見なされ、それが常にロワッサ陣営と関連付けられるのが弱みだろう。もちろん、その時はメンベ陣営の名前も挙がり、メンベはただちに否定した。またメンベは外相としてリビアのカダフィからの資金を着服したという噂を流されたこともある。必ずしも反ロワッサ陣営がクリーンだとは国民が思っていない証左だと考えられる。

📷 ほんまかいな 『Mwananchi』2015年7月30日号

 一方対する野党の候補はどうか。UKAWAはCCM党大会の決定を待っていた。それによって対応する候補が変わるという含みがあったのか。マグフリというダークホースをCCMが出してきたので、あわてたのか、なかなか決まらない。主要構成メンバーであるCHADEMA、CUF、NCCR間の内紛が噂された。

 傍目から見ると第一野党であるCHADEMAから候補を選ぶのが順当だろうし、議長であるボエが国会議員立候補を表明しているから、新鮮味はないが前回と同じくスラー書記長だろうと思う。ザンジバル自治政府にはCUF書記長であるセイフ・シャリフがUKAWA統一候補として5回目の出馬をすることが内定している。UKAWAの大統領候補が本土出身者なら、副大統領候補はザンジバル出身でないといけないから、CUF所属者になる可能性が高い。そうであるなら、連合政府の大統領候補はCHADEMAに譲ればいいというのが素人考えだが、CUF議長のイブラヒム・リプンバは立候補の構えを崩さない。リプンバは1995年から4回連続で立候補・落選を繰り返しているから新鮮味はなく、対CCMで勝ち目はないだろう。

 と思っていたら、沈黙を守っているロワッサが野党に移籍するという噂が強くなった。UKAWAの大統領候補がなかなか決まらないのも、CHADEMAとCUFとの対立からではなく、ロワッサとの交渉が裏で進んでいるという噂である。7月28日にロワッサはCHADEMAに移籍した。30日にはCHADEMAの大統領候補の指名用紙を取った。UKAWAの候補と決まったわけではないが、8月初めにはそう決まる趨勢であろう。私は誤解してたのだが、UKAWAは野党連合であって、CHADEMAの大統領候補の場合、CUF所属の副大統領候補は許されないとのことだ。現憲法下では同一政党所属でないといけないという。まだ一波乱ありそうだ。やれやれ、ほんまかいなという感じである。

 なお、ザンジバル自治政府の大統領選挙は、前回と同じ顔ぶれのアリ・モハメッド・シェイン現大統領(CCM)とマリアム・セイフ・シャリフ・ハマド現第一副大統領(CUF)の実質的な一騎打ちになる模様だ。国会議員選挙では、なんと7月に入って26選挙区の新設が発表され、265議席を争うことになった。野党には議席数増の希望・可能性が強いが、与党、野党ともその候補選出の予備選挙の最中である。大統領候補の指名に手を挙げ、落選した若手議員は元の国会議員立候補に戻り、年配議員はそのまま引退するのが大勢のようである。党内の予備選で失格する現役の国会議員や、一部の有力与党議員の野党への鞍替えも出ている。CCM内の予備選でも、副大臣が買収の嫌疑をかけられたり、副議長が対立候補を殴打し入院させたというニュースが流れて波乱含みである。8月初めには与野党の立候補者の顔ぶれが揃うはずだ。

 大統領候補選びのお祭り騒ぎの陰で報道は少ないが、選挙人登録の方が遅れているのではないかと思われる。7月7日段階で登録が済んだのは13州で1,125万人ということだった。これは選挙管理委員会(NEC)が目標として掲げていた2,400万人の半分に届いていない。ダルエスサラームやザンジバルといった野党の強い都市部がまだ残されている。ダルエスサラーム州では7月22日から登録が始まった。知人たちに聞くとどの登録所も平日の朝早くから長蛇の列で番号札をもらうのが一仕事。そして自分の番を待つのが長時間で、登録所を離れる人が出たり、機械が故障したり、1日ではなかなか終わらないようだ。登録の期間は10日間で7月31日までとされているが、到底足りないのではないだろと思われていたが、7月30日に4日間延長となった。

☆参照文献☆  ・『The Citizen』2015年3月1日、4月22日、5月1日、4日、10日、12日~14日、16日、17日、20日~26日、28~31日号    6月1日~18日、20日~23日、26日~29日、7月1日~3日、5日~31日号  ・『Mwananchi』2015年3月1日、4月9日、27日、5月1日、2日、4日、6日、9日、12日~31日号    6月1日~29日、7月1日~3日、5日~31日号  ・『Daily News』2015年7月10日~13日号

(2015年8月1日)

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