• 白川

Habari za Dar es Salaam No.165   "Utafiti, Miwaka 50 ya Mahale" ― マハレ調査50周年 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 新年、明けましておめでとうございます。  2016年が皆様にとって、タンザニア、日本、世界にとって、多文化共生を目指す平和な年になりますよう祈念いたします。

📷 50周年記念Tシャツを着たブタティ・ニュンドーさん  しばらく政治の話ばかりで記録する方もややうんざりしているので、新年らしく明るい未来の話をしたい。「マハレ調査研究開始50周年記念キゴマ式典」の話である。

 2015年は、伊谷純一郎門下の大学院生が手分けして、タンザニアにキゴマ州各地でチンパンジーの人付け、サル付け、餌付けの試みたうち、西田利貞さん(京大名誉教授、故人)がマハレで餌付けに成功し、チンパンジー社会の解明に多大な成果を上げることになった調査研究開始50周年に当たる。

 日本では9月19日に「野生チンパンジー学の50年」という公開シンポジウムが東大で開かれ盛況だったという。しかし、かつて30周年記念をダルエスサラームでやるのをお手伝いした身としては、タンザニアでも何かやってほしいなと思っていた。特に京都大学をはじめとする日本人を中心とした研究者たちを長年支えたトングウェの調査助手(現役・OB)の人たちも参加できるキゴマでできないかなという話になった。

 30周年記念の際に設立したNGOであるマハレ野生動物保護協会(MWCS)は、タンザニア側では事務局長である私の怠慢によって開店休業状態で資金がない。日本側の活動も細々としている。タンザニア政府機関-TANAPA(タンザニア国立公園)やTAWIRI(タンザニア野生動物研究所)は、悲しいかな援助慣れして自前の資金は出さず、幹部を出張・出席させてくれるだけである。30周年式典の際には資金援助をしていただいたJICAも、マハレとの関係は18年前から切れていたし、そして2015会計年度が始まってからの話なので、予算を付けることは無理だ。日本大使館もしかり。しかし「マハレは日本政府とJICAのおかげで国立公園になった環境保全の成功例だし、もっと自慢してもいいはずだ」という私の誘いに乗ったふりをしてくれて、日本大使もJICA所長も式典に参加してくれ、スピーチを述べていただいた。ありがたいことである。

 ともあれ、ほんど手弁当のような心細い予算で、11月26日、キゴマで「マハレにおける野生チンパンジーと他の野生動物研究の50年」(50 Years of Research on Wild Chimpanzees and other Wildlife in Mahale)は開催された。当日の参加者は45人前後だったろうか。日本人は11人、それ以外の外国人は1人だけだったか、後はタンザニア人の役人数人とトングウェの人たちが20数名だったと思う。トングウェの人たちはキゴマ在住者もいるが、ほとんどは国立公園の外のカトゥンビ村に住んでいる調査助手のOBと現役の人たちと村長さんなどだった。

 午後2時から始まり、前半はスピーチで、キゴマ州、TANAPA、TAWIRI、日本大使、JICA所長、カトゥンビ村長などから挨拶があった。そのなかで現在車いす生活になり、今回は参加がかなわなかったカユンボ・ダルエスサラーム大学名誉教授(MWCS元会長)のビデオメッセージがあり、長年の持論である「タンザニア人のマハレ研究者を育てよう」という呼びかけがあった。

📷 キゴマでの式典の松本さん  後半は、中村美知夫さんによる「マハレ研究50年史」で、日本のサル学が今西錦司、伊谷純一郎さんから始まり、西田さんのマハレ調査の開始以降の歴史を、懐かしい写真とともに語った。次いで仲澤伸子さんが「チンパンジー以外の野生動物」という題目で、主としてヒョウについて語った。最後は松本卓也さんが「チンパンジーの行動の多様性」で、今まで明らかになったさまざまな行動をビデオで紹介し、有名なマハレのチンパンジーの文化である対角毛づくろいを会場の皆に指導して笑わせた。ほとんどがスワヒリ語でなされたのもよかったと思う。

 その後はタンガニーカ湖の対岸のコンゴの山並みに沈む夕日を眺めながら懇親会となった。私は久しぶりに会うトングウェの長老たちと再会を喜んだ。ラマザニ・ニュンドーさん、モシ・ブネングワさんである。ラシッド・キトペニさんとは彼が9月の日本の式典に参加する際にダルエスサラームで会っっていた。しかし、ハミシ・ブネングワさんやキジャンガさん、モハメッド・セイフさんなどが鬼籍に入られたことも聞いた。14年前にはまだ見習いの若造であったアブダラさんが調査助手のリーダーとなっており、それぞれの二世が現役の調査助手となっているのに紹介されると、時代の流れを感じた。

 懇親会のなかで、長老のカルンデ・ムワニゲンベさんから「今や50年」という歌の披露があった。17番まであるShairi(叙事詩)の形式とった歌である。少し長いが、仮訳を付けて紹介してみよう(詩になっていないのはお許しいただきたい)。トングウェの人たちが見たマハレ研究50年史になっている。

  1.私はペンを握りしめ、詩をもって会場にやってきた。神のお恵みで人びとは集まり、ここキゴマの町でお祝いは     行なわれる。今やチンパンジー調査は50年   2.チンパンジーの調査は今や50年、このお祝いに集まった人たちは皆、勇気をもってこれを始めた人を知るだ     ろう。今やチンパンジー調査は50年     3.私が述べるその名を皆さん、記憶してください。日本人の西田利貞。カソゲに着いた時はまったくのよそ者だっ     た。今やチンパンジー調査は50年   4.彼が始めたのは森の中を歩き回ること、地元の人間は森の中にいるチンパンジーを教えた。1965年、今や     チンパンジー調査は50年   5.チンパンジーの調査をしたのは、カシハからカングウェナの森まで、チンパンジーは森の中どこででも見られる     ことがわかった。今やチンパンジー調査は50年   6.2番目は川中で、カソゲに着くやすぐに森の中に入って仕事を始めた、手にカメラを持って。     今やチンパンジー調査は50年   7.上原も日本からやってきた。細かい打ち合わせもせず、着くなり一直線に森の中の仕事に入った。     今やチンパンジー調査は50年   8.森の食べ物に慣れていたチンパンジーは、バナナやサトウキビをもらって大喜び。サトウキビの茎を持ち歩く     のに慣れていた。今やチンパンジー調査は50年 📷 マハレ研究史の叙事詩を朗詠するカルンデさん   9. 森のチンパンジーの調査は続いた。声を追いかけ、      樹上の歌を聴き、彼らの果物を調べ、ンゴマで踊っ      た。今やチンパンジー調査は50年   10.マハレを国立公園にするという計画は速やかに      進み、研究者が皆に知らせて公園は登録された。      今やチンパンジー調査は50年   11.観光客はカメラを持ってやってきて、マハレは世界      中で有名になった。やってきた観光客は難なく森を      歩いた。チンパンジー調査にマハレは成功した   12.観光客はどんどん増えて、毎年やってくるようになっ      た。外貨収入が増えて、私たちは国家を潤した。      チンパンジー調査は今や50年   13.観光客は日本から、そしてフランス、アメリカ、イギリ      スから、そして世界中からやってくるようになった。      今やチンパンジー調査は50年   14.多くがこの公園で職を得て、その仕事でお金をも      らった。本当に私たちは成功したんだ、多くの国民      が。今やチンパンジー調査は50年   15.村には援助がついて小学校が建った。教育に感謝する。そして日本にも。      今やチンパンジー調査は50年   16.カトゥンビにカレッジを作ろう。調査のこと外からの人も地元の人も一緒に学べたら嬉しい。      今やチンパンジー調査は50年   17.最後に、この式場に集まった方がたにお礼を申し上げる。このお祝いに集まった人びとに神の祝福あれ。      今やチンパンジー調査は50年

 式典が滞りなくなごやかに終わった翌日は、朝早くマハレに向かった。わずか1泊2日のサファリだがせっかくキゴマまで来てくれた大使やJICA所長に、マハレの山並みと森林を見て、チンパンジーと会っていただきたいということだ。便乗組に何と29年ぶりという人もいた。ちなみに私は13年ぶり、4回目のマハレ訪問になる。

 マハレで営業している高級観光キャンプやTANAPAの持つセスナ機を借りようとしたが、やはり高価で手が出ない。そこで「西田さんたちの足跡をたどる」という名目で、スピードボートで行くことになった。ゴンベ国立公園の12人乗りのボートが4時間で走るという。4時間というのは全くの凪の状態でのことだろうから、まぁ良くて5時間、順当なら6時間かなという予定を立てる。結果は往路が6時間ちょっと、復路は2機のエンジンのうちの1機が途中で不調になり7時間あまりかかった。ちなみにマハレ国立公園のボートはマハレが基地なので呼ぶと2往復となりガソリン代が倍かかるので、キゴマを基地とするゴンベのボートが選ばれることになるという不合理。

📷 緑濃いマハレ山塊

 私が最初に行ったのは1992年だった。西田さんや私の妻子、JICA専門家と一緒で、京大の所有していた木造船で、キゴマのアクアロッジから夕方船出した。西田さんはヘ先の狭い板に寝袋を敷いてごろんと横になりすぐに寝込んでしまったのにはびっくりした。私たちはなかなか寝付かれなかったし、女性に長い船旅は大変だったろう。夜が明けるとマハレ山塊がすぐ近くに見えたのには感動した。12時間ほどかかった旅だったと思う。

 今回は朝7時過ぎに船出して、途中カボゴ岬という最初の京大基地があった中間地点までは波浪があってゆっくりと行き、そこから飛ばして13時半ころにはカシハの浜に上陸した。1992年にはトングウェの調査助手たちの家族も住んでいたから、浜では子どもたちも遊んでいたし、女たちは洗濯をしていた。国立公園のマンゴーハウスというゲストハウスに泊まれば、食材さえキゴマから持ち込めば料理してくれる女性はいた。しかし、今はそれがなく、国立公園従業員だけが住んでいる。数少ない住人が浜に出てきて、荷物を降ろして、マンゴーハウスに運び込んでくれる。マンゴーハウスは新しくなり、電気(発電機とソーラー併用)もあり、お湯シャワーも使えるという贅沢なものになっていた。ただ、コックさんはキゴマから同行してもらわないといけないから、おいしいものが食べられる半面、費用は高くつく。

 昼食を摂って、チンパンジーに会いに出かける。中村さんと国立公園のレンジャーが先導し、院生の桜木さんとタンザニア人のインターン学生が後尾につく。昨日まではかなりの大雨だったそうで、カシハ川が増水しているので、岩伝いに渡る。若者たちは軽々と渡って行くが、私のような年寄りはへっぴり腰で渡ると片足を水に落としてしまう。私の靴は新品だが、10年くらい前にあるフィールドワーカーが置いていってくれたもの。長い期間で劣化していたのか、歩いているとなんと靴底がはがれていまい、落としたのを後続の人が拾ってくれる。薄皮で地面を踏みしめながら歩いていたら、もう一方の靴底も半分はがれてしまった。ふだん歩いていない体力不足が祟って、途中で一人だけ脱落。

 しかし、歩き出して10分もしないうちに2頭のチンパンジーには会えたので、その日空振りにはならなかった。ミチオとシーザーという若い雄たち。ミチオは案内の中村さんの名前を付けられている雄だから歓迎に出てきたのだろう。向こうから近寄ってくるからえらく距離が近くなる。チンパンジーに人間の感染症が移って、大量の死亡を出したこともあるので、チンパンジー見学者はマスクの着用が義務付けられているが、それでも近いので慌てて遠ざかる。初日に会えたのはこの雄2頭だけだったが、翌日は雌とコドモの大集団(20頭あまり)を1時間じっくり観察できたという。2日目も雨は降らず、準備していった雨合羽は使用しなかった。私たちがマハレを去った翌日からまた雨が降り続いたということだから、一行の中によほど心がけのいい人がいたのだ。

📷 出迎えてくれたミチオ  翌朝は2チームに分かれ、チンパンジーに会いに出かけていった(20頭あまりに会えたのはそのうちの1チーム)が、私は靴底と体力不足を理由に別行動。インターンの学生に同行してもらい、京大カンシアナ基地へ。15分ほど上って、懐かしのカンシアナ基地がほとんど変わらずに健在なのを確認する。そしてそこで1時間あまり西田さんの『精霊の子供たち』を半分ほど読みなおす。やはり西田さんの著書のなかでは断然おもしろい。なんとか再刊にならないものかと思う。

 生物学者でも霊長類学者でもない私がおもしろいと思うのは、チンパンジーの行動形態、社会構造もさることながら、それを取り囲む環境、人びとの暮らしの方により興味があるからである。つまりトングウェの人たちの暮らし、心持ちということだ。1965年、カソゲの集落に住みこんだ20代半ばの西田青年は、チンパンジーの餌付けに集中するとともに、そこに住むトングウェの人たちの暮らしぶりに惹かれていく様子が描かれているという点から名著だと思うのである。

 伊谷純一郎さんは、その後人類進化論教室を主宰し、霊長類学者だけでなく、生態人類学者を育てていく。そのお弟子さんたちは俗に「サル屋」「ヒト屋」と言われたようだが、人類の進化の起源を探るという観点から、大型人類猿だけでなく、ピグミー(狩猟採集民)とかトングウェ(狩猟と焼畑農耕民)とかトゥルカナ(牧畜民)のような人びとの社会を研究した。私の知り合ったころの西田さんはもう押しも押されもせぬ大霊長類学者だったが、初期の西田青年の心の動きがおもしろいのだ。最近は研究が細分化されて、若い院生も大風呂敷というか、ロマンティックな夢を描けなくなっているようなのが、傍目で見ていても寂しい。

 西田さんは言う。「まったく保全の手が加えられなかったのに、マハレがチンパンジーの生息地としてどうして1960年代まで無傷で残ったのだろうか?答えは簡単である。人口密度が小さく、生産性の低い道具を使って、人々が伝統的生活を送っていたからである」(『マハレのチンパンジー』P.11)。トングウェ社会を研究し、その呪医ともなった掛谷誠さんは「最小生計努力」と評した。そのトングウェの人たちの生き方を優しいということはできるだろうが、1970年代前半にウジャマー政策で集住させられた。1980年代には国立公園の外に移住させられた。それは自ら選びとったものではないはずだ。そして今、開発の手は公園の外まで来ている。金やウランといった希少金属を探査する外国人たちによって道路が整備され、以前はボートでしか行けなかったマハレの近くの汽船の寄港地ムガンボまで乾季であれば車で行けると聞いた(中村さんは雨季でも行けるようになったらしいと聞いた)。

 マハレの国立公園の中は依然桃源郷のようである。開発や密猟とは関係なく、焼畑もなくなり、森林がかなり濃くなっているように感じた。以前はカンシアナ基地に、イボイノシシやノブタが出没していたように記憶しているが、最近は森林性のダイカーやサル類が増えているらしい。実はカンシアナで西田さんの本を読んでいる時に、チンパンジーが通らないかなという横着な助平心もあったのだが、それは起こらなかった。14年前だったか、せっかくマハレに来ているのに森歩きをせずに、カンシアナで本を読んでいる私を見て、川中健二さんに呆れられたことを思い出す。ゆったりとした贅沢な時間。20頭あまりの雌とコドモの観察をした場所は遠くなかったらしいが、精霊を恐れているわけではないが、濃くなった森林の中を一人で歩くのは怖いのかもしれない。

📷 『マハレ動物図鑑』  マハレは確かに環境保全の成功例だろう。絶滅危惧種となったチンパンジーが安心して種をつないでいけるサンクチュアリであり続けてほしい。また日本の霊長類学者たちもその研究成果をどんどん伸ばしてほしい。ただそこで、今西・伊谷の流れを汲んだちょっと泥臭い人間にもこだわる伝統が続けばいいと思う。地元の人たちトングウェの文化とか伝統がこれからどう変わっていくくのかはわからないが、トングウェの人びとのなかから何らかの研究者が生まれないだろうかと期待してしまう。

 久しぶりにマハレに行き、私としては最後の巡礼のつもりで行ったのだが、いろいろ考えさせられることが多かった。ダルエスサラームに戻って、伊谷さん、西田さんの過去の著書を読みなおし、60~70年代のマハレを想像しながら、中村さんが書いた最新のマハレ本を読んでいた。

 今年、この50周年記念に合わせて出版された本が3冊ある。一つはスワヒリ語の動物図鑑で『Wanyama wa Mahale』である。これはマハレが国立公園になり30年、公園外のカトゥンビ村に移住してからの子どもたちは、マハレの山の中を歩いたことがなく、動植物の名前も知らない都会の子どもたちと同じようになりつつあるのを憂いた日本人研究者が作成したものである。それぞれの動物のトングウェ語、スワヒリ語、英語、日本語、学名が記されている優れものである。植物図鑑も準備されていると聞く。

 二つめは英文で『Mahale Chimpanzees-50 Years of Reasearch』(Cambridge University Press)で、西田さんのお弟子さんである中村美知夫さん、保坂和彦さん、伊藤詞子さん、座馬耕一郎さんの共同編集で、24人の寄稿者による50章、780ページの大著である。研究者ではない身としては、なかなか取りかかる気にはならないが、興味ある項目をつまみ読みすることになるだろう。

 もう一つは日本語なので簡単に読める。上述の英文の本の編集者の一人でもある中村美知夫さんの『サル学の系譜』である。こちらはマハレ調査研究史50年を振り返っている。マハレの来し方、今、そして行く末を丁寧に解説・考察しているので、参照してほしい。伊谷門下の伝統か、科学者らしい短い読みやすい文章である。

☆参照文献☆  ・西田利貞『精霊の子供たち』(筑摩書房、1973年)  ・伊谷純一郎『チンパンジーの原野』(平凡社ライブラリー、1993年、初版は1977年)  ・西田利貞・上原重男・川中健二編『マハレのチンパンジー』(京都大学学術出版会、2002年)  ・Koichiro Zamma Ed.『Wanyama wa Mahale』(Mahale Wildlife Conservation Society、2015年)  ・中村美知夫『サル学の系譜』(中公叢書、2015年)  ・根本利通『タンザニアに生きる』(昭和堂、2011年)

(2016年1月1日)

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