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Habari za Dar es Salaam No.17   SADC Summit 2003 ― SADCサミット・タンザニア ―

根本 利通(ねもととしみち)

  8月の終わりごろからダルエスサラームでは少しずつ温度が上昇してきたように感じる。涼しく快適な季節がそろそろ終わりそうだ。ヨーロッパや日本の夏休みの終わりが近づき、観光シーズンも終わりを告げる。

8月25~26日に第23回SADCのサミット2003がダルエスサラームで開かれた。SADCというのはSouthern African Development Community(南部アフリカ開発共同体)という地域組織である。1979年に設立された前身のSADCC(南部アフリカ開発調整会議)というのが、当時白人少数派によるアパルトヘイト政権が支配していた南アに対する「前線諸国」により、経済の南ア従属から脱皮しようとして作られた経緯から、常にタンザニアを含む南部アフリカ諸国を中心としてきた。かつてのPTA(特恵関税地域) やCOMESA(東南部アフリカ共同市場)とは違う傾向、範囲を持っている。今回参加した13ヶ国はタンザニア以南の南部アフリカで、ケニア、ウガンダは入っていない。

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ダルエスサラームという国際会議場のない都市で(タンザニアで最大の国際会議場はアルーシャにある)、ダイヤモンド・ジュビリー・ホールというインド系の所有で開かれた首脳会議は、19日からその前段の次官級会議が始まり、1週間続いた。14ヶ国の国旗が翻り、普段は余り見慣れぬ大統領・国王の写真が路上に掲示され、各高級ホテルは予約で満室になり、いつにない国際色がダルエスサラームに溢れた。元首クラスの到着日、出発日には交通規制が敷かれ、交通渋滞を巻き起こした。さてこうしたお祭り騒ぎの中でSADCサミットは何を議論したのだろう‥?

まず次官級会議で議題に上ったのは、エイズ、南部アフリカ鉄道網の整備、経済自由化に伴う増加した国境相互間貿易の整備、水力発電の利用、タンザニア、ナミビアにおける天然ガス開発、ジェンダー(女性の政治的進出)などである。特にこの地域のエイズ人口は全世界の37%に当たるとされ、その結果の貧困、開発の停滞は深刻さを増していると捉えられている。

 23~24日は外相会議が行われた。23日になって当初14カ国の参加予定がセイシェルの不参加(おそらく脱退)により13ヶ国になったことが発表された。従って参加国は、アンゴラ、ナミビア、南ア、レソト、スワジランド、ボツワナ、モザンビーク、ジンバブウェ、ザンビア、モーリシャス、マラウィ、コンゴ(民)とタンザニアであった。

  サミットではアンゴラのドスサントス大統領から議長職を受け継いだタンザニアのムカパ大統領が、まず英連邦、EU、アメリカによるジンバブウェに対する経済制裁を普通の人を苦しめているだけと解除するように訴え、ジンバブウェ政府による土地再配分政策支持を表明した。SADC地域の統一と統合の発展、貿易、交通、情報、通信技術、エネルギー、水資源利用などの重要議題を掲げた。 RISDP(地域指標戦略開発計画)、SIPO(機関のための戦略指標計画)を採択した。またSADCの基本的社会的権利憲章と相互防衛協定が調印されたという報道もあるが、詳細は未詳である。

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首脳会議に合わせて25日夜6時から10時にかけて、日本人音楽家によるコンサートが開かれた。ダルエスサラームのムナジモジャ公園という中心街と下町の境目にある普段は独立記念日などの集会をやるだだっ広い公園に、特設ステージを作って行われた。主催はタンザニア政府天然資源観光省や外務国際協力省などだが、NPO高麗という日本のNPOが実質主催者として取り仕切った。 「Japanese Top Musician」として新聞に紹介された「いだき・しん(本名 斎藤忠光)」という音楽家は寡聞にして知らなかった。4月頃から下見に来ているという噂を聞き、2年前にエチオピアのアディスアババで開いたというコンサートのDVDも見せてもらったのだが、どうもピンと来ない。「どういう音楽?」と訊かれても、うまく答えられない。「シンセサイザーを使った変わった音楽」としか答えられない。

 当日6時からとなっていたが、タンザニアの慣例で1時間くらいは開演が遅れるだろうと読んで、7時過ぎに会場に行って驚いた。ムナジモジャ公園の外の道路まで多くの人間が広がって、会場に人を押し分けて入ろうとしてもなかなか入れない。結局会場に入れずに2時間ほど外から眺める羽目になった。ちょっと見た目には2万人以上の人が集まっていたと思う。まぁ入場料無料だからね。タンザニアの劇団、楽団、バンドが3組前座を務め、ステージの後ろに作られた大きなスクリーンに踊る姿が映されると、どっと歓声が上がり、結構盛り上がっている。

待つこと久しくして、9時近くして主演のいだきしん氏が登場した。神主を思わせるような白装束。最初はギターで、調律しているのかと思ううちに演奏に入った。そしてシンセサイザー‥。後ろのスクリーンにはキリマンジャロやセレンゲティといったタンザニアの観光名所が映し出される。いだき氏の演奏を、大型のクレーンカメラが追う。何でもケニアから来た業者だという。カメラマンは白人。 20分ほどして演奏に変化がないことに飽きたタンザニア人の観衆がぞろぞろ帰りだす。私もつられて帰ってきたのだが、何でも演奏は2時間ほど続いたということだった。

 このコンサートで話題だったのは、日本から300人の観衆が来たということ。そのためにこの時期のエミレーツ航空は座席が取れなくなったと言う。どういう人たち が300人も、このコンサートに遠路はるばるやってきたのかは知らない。タンザニアの新聞には観光局の局長の談話として「長年の営業の努力が実った」とあったが、果たしてそうなのか? 300人もの日本人は確かに存在したし、市内の高級ホテルに分宿していたようだが、その一つのNホテルには100人ほど泊まっており、朝夕のレストランは日本人に占拠され、タンザニア始まって以来の光景だったのだろうか?話題だったのは、その人たちが外出を禁止されていたとかで、3泊コンサート以外はホテル内に留まったため、ホテルの従業員の写真を撮っている人が多かったこと(アフリカに来た証拠写真だろうか?) そしてダルエスサラームから往復8時間かかるミクミ国立公園に日帰りで行き、夜11時に戻ってきたことである。真偽の程は知らないが、伝聞ではあるがある程度は根拠ある話である。こういう滞在をする人たちにとっては観光とか、タンザニアと日本との交流とかは全く興味のないことなのかも知れないが‥、後々に悪影響を残さないといいと思っている。     

(2003年9月1日)

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