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Habari za Dar es Salaam No.25   Nile Treaty ― ナイル条約 ―

根本 利通(ねもととしみち)

  今年の大雨季は3月中旬には始まり、順調に降り続いている。ダルエスサラーム、ザンジバルという海岸地域だけではなく、キリマンジャロやイリンガ、モロゴロといった重要な穀倉地帯でも降っているから、去年のような旱魃、断水にはならないように期待できる。ところが、今ダルエスサラームでは依然計画断水が続き、米の価格は新米が出る前の端境期でとても高いけれども。

 今年に入ってから、「ナイル条約」の話題が時々、タンザニアの新聞をにぎわすようになった。ナイル条約というのは、ナイル川の水利権をめぐる条約で、締結は1929年というからかなり古い。古いも何も、イギリスの植民地時代に結ばれた条約で、それが現在のタンザニア、ウガンダ、ケニア、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ、エチオピア、エリトリア、スーダン、エジプトという10カ国の利害を縛っている。

 ナイル条約は1929年、当時のエジプトとナイル川中上流域を植民地としていたイギリスとの間で、ナイル川の水利権を全面的にエジプトに与える内容で結ばれた。エジプトに年間480億立方メートルの取水権、スーダンに40億立方メートルの取水権を与え、エジプトの同意を得ない限り、ナイル川の水位を下げるような、灌漑計画あるいは水力発電用ダムの建設は認められないことになっていた。

 その後スーダンが独立し、エジプトにアスワン・ハイ・ダムを作る計画が生まれ、エジプトだけでなくスーダンの村もナセル湖に沈むことになり、再交渉が行われた。1959年のことである。この時はエジプトに年間555億立方メートル、スーダンに185億立方メートルの取水権が与えられた(年間の推計利用可能水量は830億立方メートル)。この時、エチオピアを除いて、いわゆる白ナイルの上流の国々は未だどの国も独立を達成していない。

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【地図は、Nile Basin Initiative のホームページより引用】。

 タンガニーカが独立した時(1961年)、ニエレレ首相(当時)が国連に「植民地時代に結ばれた条約には拘束されない」と声明した経緯がある。しかし、その後具体的な動きは乏しかった。エジプトとスーダンにとってはナイル川は殆ど唯一の生命線であり、その権益を手放すとは思えなかった。1979年にエジプトがイスラエルと単独和平を結んだ時、返還されたシナイ半島にナイルの水を回して灌漑する計画があった。それに反対するエチオピアが青ナイルの水を制限しようとした時、エジプトは戦争の構えを取ったらしい。さらに当時のエジプトの外相であったガリは1980年代後半「この地域で次に起こる戦争はナイル川の水を巡ってであろう」と言ったというから、国連事務局長に就任する資格があったかどうかは疑わしい。

  1999年に上流の国々によって、ナイル川流域イニシャティヴ(Nile Basin Inthiative)という機構が作られた。本部はウガンダのエンテベにある。ナイル川そしてその大水源であるビクトリア湖の水源利用の公平な利用、古い条約の見直しのための会議がもたれてきた。全部で11回の閣僚会議が開かれ、昨年12月にはアディスアババでの実務者会議で、新たな利用計画案が作られることに合意されていた。

 今年2月になってタンザニアが「ナイル条約は無視する」という声明を出し、シニャンガ州のカハマにビクトリア湖から水を引く計画を発表した。当面42万人、20年後には94万人の生活用水と期待されている総額8,510万ドルのプロジェクトである。。これに対し、エジプトは沈黙を守った。この計画の声明を受け、同じようにビクトリア湖からの取水を狙っているケニア(ソンドゥ・ミリウ・ダムを思い出して欲しい)、ウガンダの東アフリカ3カ国が団結し、東アフリカ共同体入りを狙っているルワンダ、ブルンジを巻き込んでブロック化し、エジプト、スーダンと対抗しようという動きがあった。3月9日からウガンダのエンテベで実務者会議が行われ、エジプトは上流の諸国が、水の分水界の管理、灌漑、水の保存管理にもっと投資するよう提案したようだが、東アフリカ3カ国は全く無視する姿勢を取った。狙いはナイル条約の見直しに絞られた。

 こういった情勢の下、3月15日からナイロビで、ナイル川流域閣僚会議が開かれた。エジプトは絶対に妥協しない、生命線の優先権を放棄しないだろうという周囲の観測の下に、緊迫感のある会議だった。

  しかし事前の予想とは異なり、穏健に収まったらしい。少なくともタンザニアでの新聞報道で読む限り、エジプトの大幅な譲歩があり、進展があったようだ。エジプトの水資源灌漑相は「エジプトとスーダンはナイルの水資源の4%しか利用しておらず、上流の国々がビクトリア湖とナイル川の水を利用するのに何の支障もない」と述べたとされている。ナイルの上流諸国の人口増加率は高く、人口が2億人を超えたのに対し、エジプトとスーダンを合わせた人口が1億人弱というのも、条件にはあったのかもしれない。それに伴い新たな水利用の枠組みが6月末までに作られることになった。

  果たしてどうなるのか?ヨーロッパによる植民地支配の残した傷跡が、今なお新たな紛争、戦争を生んでいるが、この地域の人々によって、戦争ではなく叡智で問題の解決が図られることを期待したい。


(2004年5月1日)

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