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Habari za Dar es Salaam No.26   East African Community ― 東アフリカ共同体 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 2004年3月2日、東アフリカ共同体(EAC)本部の置かれているタンザニアのアルーシャで、関税同盟の調印式が行われた。ウガンダのムセブニ、ケニアのキバキ、タンザニアのムカパ各大統領が列席しサインした。 やっとという感じである。

 現在のEACは第二次EACというべきもので、第一次EACは1967年、ケニヤッタ(ケニア)、ニエレレ(タンザニア)、オボテ(ウガンダ)の各大統領によって創設された。東アフリカ三国の建国の父たちにより、「共通の歴史、文化、習慣を持ち、将来の運命も共有するもの」という認識の下に、更には広くアフリカ合衆国志向の夢があった頃の産物である。  もちろん現実的には、三国ともイギリスの植民地、保護領、委任統治領であったので、1948年以来東アフリカ高等弁務府の統治下にあり、東アフリカ・シリングという共通の貨幣を持っていた経緯から、自然な流れであったとは言える。

 ザンジバルを含めた4ヶ国の独立に備え、1961年高等弁務府が東アフリカ共同役務機構(EACSO)に改組された。第一次EACは等価の貨幣(各国のシリング)を決済通貨として使いながら、航空、鉄道、港湾、郵便・通信、大学その他を共同の組織で運営し、域内関税を廃止するというものだった。1967年にはアルーシャを本部とする東アフリカ共同体(EAC)が創設され、EECのような共同市場を志向した。

 しかし、植民地時代からの投資がケニア(ナイロビ)中心に注がれたことから、域内の軽工業品はケニア産が圧倒的で、域内貿易は圧倒的にケニアの出超で、ケニアにとって有利な共同体という不満が強まった。その後「ウジャマー=アフリカ社会主義」を標榜するタンザニアとケニアの発展への道筋の食い違いが鮮明になり、またクーデターでオボテを追ったウガンダのアミン政権とタンザニアとの対立もあり、1977年の東アフリカ航空解体をきっかけとして、EACは空中分解、ケニア・タンザニア国境の封鎖、タンザニア・ウガンダ間のカゲラ戦争と、1970年代末から80年代初めは、冬の時代となり、1984年正式に解体した。

📷   それを何とか復活させようとする地道な努力は、1993年の東アフリカ協力(East African Cooperation)から始まる。1996年には東アフリカ協力機構がアルーシャに設けられ、ビクトリア湖の環境保全、電信電話網整備、道路網整備、大学間協力など、緩やかな協力が始まった。

 ただ共同市場を目指す動きには、依然としてケニア製造業を利するだけという警戒心があった。具体的にいうと、食用油、洗濯用石鹸、セメント、プラスティック製品、文房具、菓子、サンダル、衣料品などでケニア製品が優勢なのは30年前から変化はしていない。この間に、タンザニアは既にSADC(南部アフリカ開発共同体)の加盟国となり、またケニア、ウガンダはCOMESA(東部南部アフリカ共同市場)の加盟国となっていることもあり、なかなか進まなかった。

 しかし、歴史的、地理的紐帯は強く、EAC復活への地道な努力は続けられ、1999年11月に再び共同市場を目指す首脳間の合意が結ばれた。そして2001年1月第二次EACが発足したが、肝心の関税同盟は未決着だった。それが今年の署名で実現し、三カ国1億人近い市場が生まれたのである。

 今回の署名内容は、実際には運用されないと分からない部分もあるが、新聞報道に依れば、以下の内容である。これは6月からの三国の議会で批准されれば、9月から発効することになる。  ・共通域外関税として、25%(完成品)、10%(中間製品)、0%(原材料)を課す。  ・非関税障壁は取り除く。  ・域内関税は、ウガンダ、タンザニアの輸出品はゼロ関税。  ・ケニアのウガンダ、タンザニアへの輸出は5年間かけて、関税ゼロにする。

 焦点の域内関税に関しては、ケニアと他の二国間は、5年間の猶予期間を置いて、ゼロに持ち込むということになっている。統計によると三国間の貿易の不均衡は以下の通りである。  ・ケニアから二国への輸出は、1990年の2400万ドルから2002年は5億8300万ドルに伸び、ケニアの輸出に占める割合も8%から27%に伸びた。これは第二次EACの恩恵を蒙っている。  ・2002年のケニアーウガンダ間の貿易は、ケニア側の2億9520ドルの出超である。  ・2002年のケニアータンザニア間の貿易は、ケニア側の9840万ドルの出超である。

 上記のようなケニアの優位の押さえるための措置は次の通りである。  ・ウガンダータンザニア間の関税はゼロにする。  ・ウガンダ、タンザニアからケニアへの輸出は、関税ゼロとする。  ・ケニアからウガンダへの輸出品の内、426品目(輸出の7%)には最高10%の関税を課し、5年間かけて段階的に率を減らしゼロにする。  ・ケニアからタンザニアへの輸出品の内、857品目(輸出の13.8%)には2%~25%の関税を課し、5年間かけてゼロにする。

📷 製造業の相対的に弱いウガンダ、タンザニアには5年間の猶予を与えるから、その間の保護関税で何とかして、5年後には完全均衡の取れた関税同盟にしようという趣旨かと思われる。果たしてうまくいくか?現実的にはケニア製品だけでなく、東南アジア(香港、シンガポール、マレーシア、タイなど)からの軽工業品が、ケニアからかなりの勢いで流入している。それに対する関税が現行の率でちゃんと徴収されず、つまり密輸入の比率が高く、タンザニア製造業の発展を大きく阻害している。それは国境地帯で蔓延しているが、数年前まではザンジバル・ルートが有名だったが、最近は三国が囲むビクトリア湖周辺のルート、つまりケニアからムソマ、ムワンザへのルートである。密輸品が白昼横行しているのは、輸入業者とタンザニア国税(TRA)当局の上層部が結託しているからだという。そうなるとタンザニアの製造業に投資しようとする国外・国内資本には魅力的な市場ではないし、それが取り締まれない限り、タンザニア製造業の発展はないと思われる。

 既にEACにはルワンダ、ブルンジの2カ国が新規加盟申請を出している。両国とも元はドイツ領東アフリカの構成部分であったわけで、第一次世界大戦の結果、ベルギー領となり、コンゴ(旧ザイール)と一括した形でフランス語圏に組み入れられたが、地理的には東アフリカといっていい。 両国とも頻繁な内戦の結果、コンゴ、ウガンダ、タンザニアといった隣国に大量の難民が流出し、そして帰還することの繰り返しで、幸か不幸か東アフリカ三国との人間的往来は強まった。依然として政治的に不安定な二国であるが、東アフリカの構成部分として機能していくことは間違いないだろう。

 SADCとの関連が注目される。タンザニアは現在はEACとSADC双方に加盟している。ウガンダ、ケニアはSADC加盟国ではない。 現在はともかく、2010年にSADCが関税同盟を発足させる予定であり、その際にタンザニアはどちらかを選ばないといけないのではないかと思われる。これはビール、航空その他で見られるタンザニア内での南アとケニア資本の衝突にも影響するだろう。東アフリカ三国が歴史的紐帯を前提に、ヨーロッパ人が1885年に課した人工的な国境を乗り越えられるか試されるだろう。


(2004年6月1日)

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