• 白川

Habari za Dar es Salaam No.30   "Miwaka 40 ya Idhaa ya Kiswahili,Radio Japan" ― ラジオ・ジャパン・スワヒリ語放送40周

根本 利通(ねもととしみち)

📷 日本ではやっと残暑が終わり、爽やかな秋になっているころ、ダルエスサラームの快適な時季は終わり、じりじりと暑くなっていく。その9月26日(日)に、NHKの外国語放送であるRadio Japanのスワヒリ語放送40周年イベントがダルエスサラームで開かれた。

 ダルエスサラームで国会が開かれていたころの会場であるカリムジー・ホールという街中で3時間にわたって行われた。日本語の挨拶講座から始まり、日本へ留学していたタンザニア人の方に、「日本語の難しさ、覚えてよかったこと」「日本でビックリしたこと」を尋ねる。 その後、日本の最新技術として放送で紹介された品物の現物(ゆっくりしゃべるラジオと涼しいジャケット)を見せ、さらに熱心な聴取者3人を呼んでの座談会。📷 元ラジオ・ジャパンのアナウンサーとして日本に4年間滞在した人の三人娘が作っているトリオ・ユニークシスターズによる日本語とスワヒリ語の歌の披露、最後に日本のことに関するクイズと盛りだくさんだった。

   司会は日本から帰ってきて間もない、ラジオ・タンザニアのアナウンサーのベン氏ととスワヒリ語研究者の木村映子さんの二人で、軽妙なスワヒリ語の掛け合いと、合間に日本語を交え、巧みな会話は聴衆を沸かせていた。

 スワヒリ語というのは優れておしゃべりの言葉であるから、熱心な聴取者という参加者の人たちもタンザニアの地方都市から出てきているのだが、皆雄弁で堂々としゃべる。📷  日本で暮らしたタンザニア人が思い出として「東京で暮らしていると、朝切符を買い、改札口を通り、自動販売機でコーラを買い、昼にサンドィッチなんかも自動販売機で買って夕方家に戻ると、今日は一言も人とおしゃべりをしなかったことに気が付いて驚く」と言っていたのが印象に残った。タンザニアならダルエスサラームのような大都市でも、道を歩くと誰か知り合いに会ったりして、挨拶を交わす文化が一般的であるのと比較するとだいぶ違うわけだ。

 技術革新については、日本にいたときから余り興味がない人間だったが、「運転手が要らない車」と聞いても、タンザニアには人は余っている(失業者は多い)から、出来れば「ガソリンが要らない車」だよなぁ…と思い、タンザニア人の発想になっている自分に気が付く。

📷    それにしても1964年というのは東京オリンピックの年だったから、高度成長の始まったころからスワヒリ語放送を始めたNHKの見識には敬服する。それに比べて日本語を伝えようとする努力はだいぶ遅れたような気がする。タンザニアに滞在して20年、日本語を教えてくれというタンザニア人は多く、少しは対応したが個人のレベルでは到底こなせない。 日本に留学して日本語を、こと会話に関する限り流暢にこなすタンザニア人も増えてきていることだし、小さな文化センターのようなもので、日本語教室が出来ないものかと夢想してみる。日本の経済が停滞期で、かつ文化に興味のない指導者がいる現状では、夢想のままで終わりそうだから、隗より始めよだろうかと自問したイベントであった。  

(2004年10月1日)

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