白川
Habari za Dar es Salaam No.32 "Charles Zawose" ― 追悼 チャールス・ザウォセ ―
根本 利通(ねもととしみち)
チャールスは一般にはムゼーの息子と紹介されているが、実際にはムゼーの兄の子で、早くして父を失ったチャールスは、ムゼーの子供として育った。ムゼーがチウテ、ムクワマという日本でCD録音をしたトリオを続けて失った1992年以降、音楽活動を再開した際にパートナーとして選んだのが若きチャールスであった。
今年は6月ころから体調を崩し、6月の「あいのり」の撮影、8月にやったオルタナティブ・ツアーでの公演でも、主役を演じず脇役に徹するなどやや元気がないのが気になったが、10月になってスウェーデンに予定通り行くとあいさつに来た時は元気そうで、安心して送り出したのだったが…
スウェーデンでは体調を崩し、1回公演しただけで入院、3日後に退院したが、やはり本調子ではなく、タンザニアに向かう途中空港で倒れ、入院その日に亡くなったと言う。
「遺体を送り返すから」という連絡を受け、葬儀の準備を気にしたのが、10月25日。ところがいつまでも遺体は搬送されず、11月に入ってから(おそらく10日以上経っていただろう)「搬送費用は負担できないから、駐スウェーデン大使館に任せた。搬送費用は600万シリングほどかかるから、それを送金すれば搬送する。なければスウェーデンで埋葬」と言う連絡が入り、大騒ぎになった。
その後は駐タンザニア・スウェーデン大使館に、招聘元のKompani Raande/Vo(責任者はLena Josefssonという女性)との契約書の内容、特に旅行保険は招聘元として掛けてあるはずで、その中から本国への遺体搬送費用は賄えるはず、もし保険を掛けていないとなったら、それは法的にどうなのかという責任の追求を行ったが反応は鈍かった。招聘元とも連絡がつかず(公演を続けているようだ)、スウェーデン人への不信が募っていく。
一方で、故ムゼーの教え子、チャールスの教え子の日本人に連絡を取り、事情を説明し香典という名目の寄付を募り始めた。遺体搬送がかなわぬまでも、せめて遺族の代表を送り、スウェーデンの埋葬に立ち合わせ、遺品を回収するためである。が、やはり遺体を故国に持ち帰りたいという遺族の願いを、タンザニアのマスコミを通して世間に訴え、スウェーデン大使館、タンザニア外務省を動かす運動もした。
今後のCHIBITEはどうなるかは予測はつかない。ただムゼーが嘱目していた長女タブは踊り、イリンバ、太鼓なんでもこなすマルチ・プレーヤーだし、太鼓のムサフィリやイリンバのアンドレア、踊りのエステリ、ペンド、チークなど有望な若手は多い。 何せ生まれた時から音の中で育ってきた子供たちである。
バガモヨへ「タンザニアの伝統音楽をやろう!」という、日本人の若者への呼びかけを始めようと思う。ザウォセの家に泊まって1週間、太鼓でもイリンバでも踊りでも、集中特訓、それがCHIBITEの若者を励ますことになればと思う次第である。→CHIBITEツアー
(2004年12月1日)