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Habari za Dar es Salaam No.4   SUの行方 ― 消え行く公社 ―

根本 利通(ねもととしみち)

  ダルエスサラームは涼しく快適な時季が続いている。雨が降ると肌寒く、鍋を食べたりする。日本の夏休みに入り、旅行者(観光客、ビジネスマン、研究者)の姿が増えてきた。

 私のようにダルエスサラームに定住しているとなかなか分からないのだが、久しぶりに、5年とか10年という単位でダルエスサラームを再訪した人が感じるのが“ダルエスサラームの変化”だという。ダルエスサラームは60年代~80年代にかけて大きな変化はなく、十年一昔のようなゆったりとした変化が安心感を誘っていたが、90年代に入り経済の自由化が少しずつ加速化し、町の姿も変貌しつつある。

 その変化の一つに、ダルエスサラームの道路がよくなったことが挙げられる。80年代には町の目抜き通り(サモラ・アヴェニュー)でも大きな穴が開いていて、雨季には水溜りだったのが、今は少なくとも幹線道路はよくなった(日本の無償援助が大きい)。またそれに連れ車の数も飛躍的に増えた。80年代半ばは、未だ乗用車はプジョー、4輪駆動車はランドローバーが幅を利かせていたが、今は圧倒的に日本車である。経済の自由化に伴い、日本からの中古車が津波のように押し寄せてきた。

📷 タンザニアの車のプレートナンバーは、もともとは登録された州のナンバーが付いている。ザンジバルはZNZだが、タンザニア本土は20の州毎のナンバーである。ダルエスサラームはDA、アルーシャならAR、ムワンザならMZ、モロゴロならMGという風に2文字の略号で始まり、3文字目にABCの順番で増やしていく。アルーシャ州ならARAから始まり、1,000台を超すとARBになる。

  ダルエスサラームはさすがに車が多いから、DAナンバーは過去のことでもう殆ど見ない。その後のダルエスサラーム登録はTZナンバーになった。私がダルエスサラームに定住しだしたのは1984年だが、その当時の新車登録はTZの80,000番台だった。88年後半だったと思うが、TZが99,999まで行ったので、次はTZAになった。これが9,999まで行くと次はTZBになるというシステムで、現在はTZSの7,000番台が走っている。13年間で約16万台の車がダルエスサラームで登録されたことになる。

  TZナンバーは普通車輌で、一般者は黄色地、商業車は白地のプレートを付けている。特殊なプレートも多い。CDナンバーと称する外交官ナンバー。これには緑地の各国大使館ナンバーと青地の国連ナンバーがある。JWナンバーという軍の車は黒地のプレート。大統領などはナンバーのない特殊なプレート。プレートの地色は黄色だが、裁判官はJ、大臣はそれぞれの省名、州知事は州名が入っている。更に政府の車はST、公社系がSUというナンバーを付けている。

SUというのはShirika la Ummaの略で、1967年のアルーシャ宣言以降80年代まで、ウジャマー社会主義華やかなりし頃、大量に生産された国営企業・公社のことを指す。最盛期には300を超えるSUが存在した。ちゃんと統計を調べたわけではないが、大学とか住宅公団といったものはもちろん、航空・鉄道・バス・海運・電話・電気・水道・銀行・保険・ビール・タバコ・小麦・サイザル麻・カシューナッツ・紅茶・コーヒー・漁業という基幹産業から、小さいものまで全て公社化されていた。

  80年代半ばは、前述のように道路も穴ぼこだらけだし、車の数も少なく、外貨準備も常に底を見せていたから、ガソリンもいつなくなるか分からず、日曜日の午後は運転そのものも禁止されていた。その中で大手を振って走るSTとSUは目立っていた。これらの車は高額の関税を免除されているのだ。明らかに私用と思われる夫人たちの買い物や子供たちの学校の送迎にそういったプレートナンバーの車が並び、顰蹙を買って一時自粛、またしばらく経ってから元の木阿弥というシーンもお馴染みだった。

📷   そのSUが消えつつある。90年代に入って加速した経済の自由化は、「構造調整」という世銀・IMFの指導下に置かれ、公社は統合・廃止または民営化への道を歩むことになった。

優良企業というか、利益を生み出せるビールやタバコはいち早く民営化され、タバコは日本タバコ(JT)の子会社になっている。ビールは南ア系に買収され、ケニア系との激しいシェア争いに優勢になり、吸収合併する形勢になっている。

  公共企業の色彩の濃い、電話郵便も分割され、電話(TTCL)にはドイツ電話が大株主で入っている。電力会社(TANESCO)も南アが経営に参加している。銀行は外資系(南ア、イギリスんど)が参入し、従来の国営銀行(NBC)はサービスという概念がなかったから、ドンドン大企業の顧客が離れる。かろうじて優勢なのは地方の支店網だが、経済活動は圧倒的にダルエスサラーム、次いでアルーシャ、ムワンザ程度だから、外資系は2、3支店を持ったら商売は成り立つ。保険会社も同じ。国営の保険会社(NIC)はとにかく払わないので有名だったが(私の車も事故ってから4年経つが、払われたのは30%のみ)、外資系や民間の保険会社が出現して、掛け金が集まらず青息吐息である。

タンザニア観光公社(TTC)もとっくに解体してしまった。セレンゲティ、ンゴロンゴロといった優良資産は、今フランス系の投資会社の経営下にある。それ以外のロッジや都市(タンガやモロゴロ)のホテルは閉鎖されたか、レンタルされたかである。タンザニアのトップホテルとして君臨していたダルエスサラームのキリマンジャロ・ホテルも、「このホテルだけはタンザニア人のマネージメントでプライドを見せたい」などと意地を張っている間に、老朽化が進み、レンタルも話がまとまらず、電話・電気を料金未払いで止められ、殆どゴーストホテルと化してしまった。

  国営バス会社(KAMATA)はつぶれ、ダルエスサラーム市交通局(UDA)はわずか数台のバスで終焉寸前である。といった感じで、優良企業は外資に株を売り、サイザル麻のように展望が見えない公社は所有していた農園、工場を分割して競売に付し、公社は消滅した。紅茶も完全に民営化した。

  不良企業であるATC(タンザニア航空)やタンザニア鉄道公社(TRC)は、民営化しようにもなかなか買い手がつかない。そうこうするうちにATCは所有する3機の内の1機の翼が燃えたとかで、5月からはジェット機1、プロペラ機1だけになってしまい、国内幹線のダルエスサラーム/キリマンジャロ便は週2便しかない悲惨な状態になっている。そしてTRCは6月24日にドドマの手前の上り坂で、二重連であるべき機関車が1両で22両の客車の牽引に失敗し、ブレーキが効かない状態になって逆送、20両が転覆し284名の死者を出すという惨事を引き起こした。TRCと言えば、1998年整備期限が切れて保険も掛けられない汽船でビクトリア湖のムワンザ/ブコバ間を運航し、それも定員の倍以上の乗客を乗せ沈没し、800名以上(正確な人数は闇の中)の死者を出した教訓が生かされずに、また惨事を演出してしまった。

  SUの生き残りは、こういった買い手のつかない不良企業と、ダルエスサラーム大学のような純公共非営利機関だけになっている。郵便もまだSUだ。大学もソコイネ農業大学は乳製品などを売り出しているから、これも民営化(私立化)する可能性がないわけではない。かつての栄光の特権階級だったSUがいつまで残るのか、残るのは売れ残りだけなのか?

  日本での国鉄、NTT、郵便といった一連の民営化の流れと同一視するのは無理がある気がする。公社であるからこそ、ODAなどの援助が受けられたわけで、民営化されると経済ベースでの自力更生となり、その自力がないから外資に売られることになる。ダルエスサラームやめぼしい観光地の一等地に、南アやイタリアを始めとした外資が土地買収に乗り出しているのと同じく、国の基幹産業が外国人の手に握られる趨勢で、ウジャマーを標榜してきたこの国の人々がこのまま黙っているわけはないと思う昨今である。現に公社時代の退職者の年金を外資が切り捨てようとするのに対し、退職者・現職者を含めたストが散発し出している。

(2002年8月1日)

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