• 白川

Habari za Dar es Salaam No.45   "Uchaguzi Mkuu 2005(6)" ― 2005年 総選挙(6) 開票結果―

根本 利通(ねもととしみち)

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

 速報とは言えなくなってしまったが、12月14日に行われた総選挙の結果をまとめてみたい。複数政党制になって3回目の総選挙である。

 大統領選挙はCCM候補のキクウェテ前外相の圧勝だった。なんと得票率は80%を超えた。これはムカパ大統領の72%(2000年)、62%(1995年)を大きく超えた。また次点も私の予想ではボエ(CHADEMA)だったが、前回と同じくリプンバ(CUF)が入り、ボエは3位に終わった。ムレマ(TLP)は大きく離された4位に終わった。

 選管発表は以下の通りである。(ただし、数字は新聞報道による選管発表で、選管の公式数字は出てない)   ・登録有権者数:       16,399,169   ・投票者数:           11,853,673(投票率72.28%)   ・無効投票数:           507,484   ・有効投票数:         11,346,189   ・キクウェテ(CCM):       9,102,951(得票率80.23%)   ・リプンバ(CUF):         1,317,220(得票率11.61%)   ・ボエ(CHADEMA):       671,780(得票率5.92%)   ・ムレマ(TLP):          84,131(得票率0.74%)   ・その他の6野党候補の合計:170,107(得票率1.50%)  

📷 キクウェテ新大統領は55歳。コースト州のバガモヨ県チャリンゼの生まれ。父親は1960年代にサメ県の知事を務めた。キクウェテ自身、小学校、中学校、高校時代を通じて、TANU(タンガニーカ・アフリカ人民族同盟=CCMの前身)の青年部のメンバーだった。ダルエスサラーム大学文社会学部で経済を専攻するが、ダルエスサラーム大学学生連合(DUSO)副委員長を務めるなど、政治青年だった。1975年大学卒業後ただちにTANUの職員となり、TANU、CCMのポストを歴任。1982年には青年部代表としてCCMの全国執行委員(NEC)メンバーに選ばれる。また軍籍も持ち、政治士官を歴任し最終的肩書きは陸軍中佐。CCM青年部のリーダーとして早くから頭角を現し、1989年には指名議員として、水エネルギー鉱物資源副大臣に任命される。39歳であった。1990年にはバガモヨ選出の国会議員。1994年ムウィニ政権で大蔵大臣。1995年の総選挙の際には、44歳でCCMの大統領候補指名に立候補し、ムカパ前大統領に次いで第二位の票を得た。ムカパ政権では10年間外相を務め、タンザニアの顔と目された。CCM内の候補指名でも圧勝し、極めて順当な勝利である。タンザニア本土では全選挙区でトップを占めた。

 リプンバCUF候補は三回連続の立候補。前回に続いて次点に終わった。前回の得票数が133万票ほどだから、票数は減っていないが、得票率は前回の16.3%より落とした。CUF地盤のペンバ島はもとより、ウングジャ島、出身地のタボラ州、ダルエスサラーム州、コースト州などのイスラームの強い州では健闘した。

 ボエ候補は44歳と最も若く、ヘリコプターで選挙運動するなど新風を吹き込んだが、地盤のキリマンジャロ州でもキクウェッテに大きく遅れを取るなど思ったほど伸びなかった。今回次点になれば、政局に重要な地位を占めると思われたが、今後どう動くか、注目される。

 ムレマ候補は、リプンバ候補と同様3回連続の立候補で、新味はなく、1995年の選挙で28%の得票を集め次点となった面影はない。有力4候補の最下位というより、弱小候補のトップと言うほどまで落ち込んだ。地盤のキリマンジャロ州でもキクウェッテ、ボエに大きく離され、もう再浮上の目はない。ムレマの存在が野党の統一を妨げている感もあり、引退が期待されている。

 同時に行われた国会議員選挙もCCMの圧勝だった。232選挙区で206議席を占めた。これは前回の議席を上回る。野党は26議席であるが、その内19議席はCUFが強固な地盤であるペンバ島とストーンタウンで得た19議席(ザンジバル国会選挙と全く同じ結果)で、タンザニア本土ではわずか7議席にとどまった。これは前回の議席を下回った。

 国会議員選挙の結果は以下の通りである。 政党立候補者当選者2000年1995年得票数得票率CCM(革命党) 232 206 202 1867,000,98670.0%CUF(市民統一戦線) 209 19 17 241,370,52513.7%CHADEMA(民主開発党) 144  5  4  3 821,952 8.2%TLP(労働党) 114  1  4  0 322,593 3.2%UDP(統一民主党)  39  1  3  3 156,887 1.6%NCCR(建設改革国民会議)  68  0  1 16 228,878 2.3%その他の12政党 406  0  0  0 104,409 1.0%合計 1,212 232 231 23210,006,230

📷   今回の選挙を2000年、1995年の選挙と比べると、野党の不振が明らかになる。野党議席は1995年が46、200年は29、今回は26議席にとどまった。CCMの得票率は59%(1995年)、65%(2000年)と来て、今回は70%を超えた。野党が40%以上を獲得した、つまり接戦だった州の数は、12州(1995年)、7州(2000年)と来て、今回は4州にとどまった。北南ペンバ州以外には、キゴマ州、マラ州である。ただし、マラ州には2選挙区がCCMの無投票当選だから、そのままの数字では受け取れない(ちなみに無投票当選は前回の25から8選挙区に減少した)。ダルエスサラーム州やキリマンジャロ州といった従来の野党の地盤でもCCMの得票率は65%ほどに達した。

 野党側から見ると、得票率が20%以上あり存在感を示したのは、CUFは北南ペンバ以外に、北ウングジャ、都市西(ザンジバル)、ダルエスサラーム、コースト、リンディの計7州、CHADAMAがキリマンジャロ、アルーシャ、キゴマ、マラの4州であった。他の政党は、キリマンジャロのTLP、シニャンガのUDPも支持を減らした。

 ムカパ政権の内閣の大臣で、選挙に出たものは全て通った。これはムカパ政権の功績で支持が高かったというわけではなく、現職大臣への地元の期待と、キクウェッテ人気に負うものが高いと思われる。キクウェッテの写真と黄色と緑の党のカラーのポスター、Tシャツが氾濫した。見た目キクウェッテが格好いいというのは実は大きな要素ではなかったかと思われる。特に女性層の人気。その人気に乗って野党実力者を破って当選したCCM議員をキクウェッテ・チルドレンと呼んでいいかどうか。キクウェッテは大きなスキャンダルを起こさない限り、5年後の再選も間違いないと思われる。

 野党の大物も落選した。ブコバ市選挙区のルワカタレ(CUF)、キゴマ市選挙区のカボウルウ(CHADEMA)である。CUFは前回本土で2議席を確保したが、今回再び議席はザンジバルだけになってしまった。依然得票率では野党最大であるだけに、全国展開できないのは痛い。最大野党として期待を担いながら、伸び切れないのはザンジバルでCCMと熾烈に対立し暴力事件が繰り返される。それは警察による弾圧の被害者という側面が強いが、ダルエスサラームでも抗議のデモが繰り返され、その参加者が失業者の若者たちが多いのが日常的で、「政治的代替勢力」というより、「不満を持った若者の代弁者」という感じで、一般市民にすれば「まだCCMに任せておいた方が安心」という意識だろうと思われる。 

 その後、国会議長選挙でも古手のムセクワ前議長は落選。サムエル・シッタ(63)が新議長に選ばれた。副議長には女性のアンナ・マキンダが選ばれた。年末の29日には、新しい首相にエドワード・ロワッサ(52)が選ばれた。ロワッサとアンナ・マキンダはCCM青年部の出身である。特にロワッサはキクウェッテの盟友として知られ、10年前の大統領候補指名選挙には揃って出馬した。今回ロワッサは指名を求めず、キクウェッテの支援役に徹した。 早くから首相候補に挙げられていたが、二人の親しさは余りにも有名なので、却って実現が危ぶまれていた。今回のように大統領、首相とも事前の予想通りというのはめずらしい。キクウェッテは圧勝に自信を持ったのだろうか?ロワッサはアルーシャ州モンドゥリ県の出身。故ソコイネ首相と同じマサイ人である。

(2006年1月1日)

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