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Habari za Dar es Salaam No.46   "Uganda" ― ウガンダ紀行 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 昨年の正月にモザンビークに行って、久しぶりの隣国で刺激を受けたことから、今年の正月にはウガンダに行ってみた。ウガンダに行くのは実は初めて。タンザニアに一番最初に来た1975年以来、30年経過し、東アフリカ三国と言われるのに行く機会がなかった。当時既にイディ・アミンの恐怖政治が始まっていて、タンザニアとの関係が非常に悪化していたこと、その後のカゲラ戦争から続く一連の内戦で、なかなか行く気になれなかったことは事実だ。1990年代半ばから、「ウガンダも落ち着いて、旅するにはいい所だよ」といろいろな人から聞いていて、何度か企画しては流れたウガンダ紀行がやっと実現した。もっともわずか3泊4日のサファリという情けない日数ではあったが。

 従って「ウガンダ紀行」と銘打ってみたものの、実際にはカンパラとジンジャ1日ずつだけである。ジンジャは「白ナイルの源流を訪ねて」である。 

📷 ナイルの源流  ジンジャはカンパラから約80kmの舗装道路を走って1時間ほど。途中一部森林保護区を抜けるが、だいたいは人口稠密な農村で、サトウキビと紅茶の畑が広がる。ところどころに出現する町は、ケニアによくあるような赤土の中にある少し荒涼とした感じがする。ジンジャはウガンダ第二の都市で、大工業都市でもあるが、「ナイルの源流」が最大の売り物である。ナイルの源流なんて「アフリカ探検時代」の過去の遺物のようにも思えるが、21世紀の人工衛星からどこまでも見通せる時代とは違い、陸上を延々と歩いていく時代にはやはり「ロマン」をかきたてるものであったことは想像に難くない。結局1862年スピークが「発見した」ことになる。スピークが発見したとされる場所は記念公園になっているが、そこから眺めた光景が写真である。

 対岸には店もあり、ボートでビクトリア湖とナイル川の境まで行くことができる。ここが源流という地点では、下から沸き水が出て、泡が渦巻いている。またナイル川0マイル標もある。ここからエジプトの河口まで3ヶ月の旅というが、ほとんどはスーダンとエジプトの砂漠で蒸発してしまうのだろうなと流れる水を眺める。小舟がたくさん浮かんでいて、ティラピアを手釣りしていた。

 ジンジャには東アフリカ三国を統轄する、ビクトリア湖漁業機構(LVFO)の本部があり、そこを訪問したが、まだ年末年始休暇の最中だった。ただ同じ敷地内にウガンダの水産資源研究所があり、そこはたくさんの水槽にさまざまな魚類を展示してあり、ビクトリア湖漁業の現在の問題を記した研究書も見せてもらった。内陸国ウガンダにとって、ビクトリア湖の漁業は重要な位置を占めているのだろう。

📷 カスビの墓の内部    カンパラは元々はブガンダ王国の首都で、ウガンダの最大民族であるブガンダの王(カバカ)ムテサ2世は独立後初代の大統領になったが、オボテ首相のクーデターでイギリスに亡命、客死した。ムセヴェニ政権になって名目的な王国の再建(ブガンダだけではなくブニョロ、アンコーレ、トロの4王国)が行われ、カバカの息子が帰国し、政治権力はない新カバカとなった。カンパラ郊外のカスビの丘には、歴代(といっても4代だけだが)カバカの墓所があり、世界遺産に指定されている。本当に墓所だけで、他に見るべきものはないので、世界遺産といわれても途惑うだろう。

 カンパラは丘に作られた町で、上り下りが激しい。すぐ近くの丘に登ると町が見渡せる。その丘の頂上を巨大なモスクとイスラームの大学が占拠していた。他の丘の上には教会があるようだ。その後行ったビクトリア湖畔のムワンザで、街中を見渡せる所はと訊いたら、そこにはミッションの大きな病院が占拠していた。植民者の発想は似ているのだろうか。

 マケレレ大学内も歩いてみた。東アフリカ最初の大学だけあって、広い敷地内でゆったりと雰囲気のある建物が並んでいる。アミン時代の暗黒をどうくぐりぬけたのか…。そう思ってみていると改装・補修が不十分に思えてくる。アフリカハゲコウの余りにも多いことは自然の豊かさとは違うように思えるのだが。

📷 カンパラの繁華街  カンパラは本当に繁忙な街だ。都市計画が植民地時代のままなのだろうか、まだ交差点ではなくラウンドアバウトという周回する古いシステムが残り、朝夕は交通警官が立つものの収拾がつかないような大変な混雑になる。その渋滞の間をボダボダというバイクタクシーが駆け抜ける。荷台に座席を作ったお客一人だけのタクシーで、幹線道路のバス停には数十台のバイクタクシーが客待ちをしている。バス路線から外れた道に行く客には非常に便利で無駄がないと思ったが、大雨季のときは大変だろうなとも思う。自転車タクシーも少数見かけた。

 ウガンダも選挙の季節で、2月末の総選挙に向けてポスターがやたら貼り巡らされていた。1986年から政権を握っているムセヴェニ大統領が、憲法を改正して3選出馬し、それを批判する野党候補、独立候補がオボテ元大統領未亡人を含め5人挑戦しているようだ。ムセヴェニと同じ民族基盤のビセジェ候補がかなり有力で、ムセヴェニ政権に飽きた民衆の期待を集めているようだ。ただメイドの強姦事件で裁判の被告でもあるビセジェ候補には強い批判もあるようだ。「ムセヴェニは嘘つきだ。もう飽きた」と言う人もいた。政権をとって20年、ムセヴェニは傍目から見ると個人的な蓄財もなく、財政再建によくやっているように見えるが、期待していた民衆には20年は長過ぎたということだろうか。アフリカの国々では、指導者の引け際が難しい。

 もう一つ、旅行中にスワヒリ語を耳にすることがとても少なかったことが気になった。スワヒリ語で話しかけても返ってこない。例えばナイロビなどでは、外国人に対しては英語、同じ民族同士ではギクユ語とかルオ語を使っていても、アフリカ人同士の職場の共通語としては簡単なスワヒリ語を使っているのをよく見聞きする。でもカンパラでは耳にしない。おそらくガンダ語と思われる言葉を使っている。カンパラではスワヒリ語を知っているメリットが余りないようだ。東アフリカ三国と言っても、スワヒリ語にはかなり落差があるのを実感した次第である。

    ウガンダ情報は、下記にもあります。 ウガンダ  またカンパラには日系旅行社New Jack Tours & Travelがあります。ニュージャックツアーズ

(2006年2月1日)

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