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Habari za Dar es Salaam No.47   "Mazingira ya Ziwa Victoria" ― ビクトリア湖の環境問題 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 昨年の12月から今年の1~2月にかけて、キゴマとムワンザを行ったり来たりした。正確にはタンガニーカ湖とビクトリア湖周辺を動いていた。正月に遊びに行ったウガンダのジンジャもビクトリア湖畔の町だった。これは「ビクトリア湖の環境問題」というテーマのテレビ番組のコーディネーターの仕事で、調査、ロケハン、ロケと回ったのだ。キゴマやタンガニーカ湖はマハレに行く際に何度も通ったし、ウジジにも滞在したことがあるから土地勘はある。ただビクトリア湖は、ブコバ、ムソマは行ったことがなく、ムワンザも2回通過しただけだから、ほとんど知らないに等しかった。それが仕事絡みとはいえ、何度も見ることができ、面白かった。

📷 きっかけはフランス人が作った「ダーウィンの悪夢」というドキュメンタリー映画(2004年製作)である。何でも16もの賞をもらい、日本でも山形映画祭などで上映されたらしい(アカデミー賞のドキュメンタリー映画部門にもノミネートされているらしい)。私は全く知らなかったのだが、テレビ番組のコーディネートを引き受けるにあたり、DVDを見た。フランス語版なので分からない部分は多かったのだが、映画の舞台はムワンザで、話されている言葉は英語とスワヒリ語なので、だいたいの内容はつかめた。ナイルパーチという外来の大型魚が導入され、その加工産業が栄え、ヨーロッパや日本へも輸出されている。その生み出された雇用の陰で、売春、ストリートチルドレン、エイズ、戦争の犬たちの暗躍など姿が描かれ、一種「暗部」を浮き彫りにする映画である。

 見終わっての感想は、何でこんな映画が賞をもらうんだろうか、ということである。ヨーロッパ人好みと言うのか、ヨーロッパ人が期待するアフリカの問題を描いていると言うのか、かなり一方的に偏見差別をばらまきそうな映画である。つまり、アフリカでは悲惨な現実があり苦しんでいる人がいるのだから、白人(ヨーロッパ人)よ何か考えよう、とでも言いたいのだろうか?主要な登場人物は3名で、アフリカ人2名(夜警と画家)は案内人として繰り返し登場しメッセージをしゃべる。ジンジャであった水産研究所の所長さんは「映画は映画だ。製作者にはそれなりの理由があったのだろう。お金?おそらく製作者はアフリカにそれなりに長く住み、それなりの経験をし、嫌な思いもし、言いたいこともあったのだろう」と言っていた。何人か意見を訊いたタンザニア人もウガンダ人も短絡的に「差別映画だ」と断言しないのが面白い。

 さて、ムワンザはタンザニア第二の都市。ムワンザ州のみならず、カゲラ州、マラ州というタンザニアのレイク(湖)地方の中心地として、ケニア、ウガンダとの貿易も盛んである。人口は50万人を超え、近年周辺農村地区からの流入が著しい。従来基幹産業は綿花栽培であったが、1990年代後半からナイルパーチ加工工業が急成長し、また従来からあったが政府に公認された後、金の採掘も急成長し、経済的には一時ブームになった。元々スクマ人の土地で人口密度は高く、農地が切り拓かれて森林は少なかったのだが、さらに伐採が進み緑が減った。また金鉱山で大手の外資系企業はともかく、その周辺の地区には小規模企業、山師たちが入り込み、昔ながらの砂金採りの要領で水銀を使った精錬作業をしてその汚水が湖に流れ込む。ムワンザ市の膨大な人口の生活排水、工場の処理されてない排水も湖に流れ込み、世界第二、アフリカ最大のビクトリア湖の汚染が急激に強まったとされる。

 1994年に東アフリカ三国でビクトリア湖環境管理計画(LVEMP)というプロジェクトが作られた。ビクトリア湖の環境保全を目的とした組織である。水質検査、水産資源の調査を行い、排水規制、漁獲方法の制限、湖の富栄養化に伴うホテイアオイの大発生対策(人力刈り取り)、湖畔の便所の建設などを行った。一定の成果は挙げたものの、2004年いったん休止状態になり、今後の見通しは見えていない。三国の各担当省(農業、水産、森林、水、鉱物など)の役人の寄り合い所帯であったせいだろうか。

📷 ナイルパーチ漁  「ダーウィンの悪夢」ではナイルパーチが悪役になっている。外来種であるナイルパーチは1950年代、つまりイギリスの植民地時代の水産局の役人によって、漁獲高を高めるために導入されたらしい。いつ、どこから、誰が?というのは正確には特定できていないようだが、1980年代からビクトリア湖の北半、つまりケニア、ウガンダ沿岸から爆発的に増え、固有種であったビクトリア湖のシクリッド(カワスズメ科の魚)を食い尽くす勢いで南下した。その様子はティス・ゴールドシュミット「ダーウィンの箱庭」(日本語版草思社刊1999)に詳しい。20世紀に行われた生態系の大変更、虐殺と謳われた。2005年11月にナイロビで行われた湖沼会議でもそういう趣旨の報告が多かったように聞く。ただ、絶滅したと言われていたシクリッドは主に沖合回遊型の種であったようで、その種の再発見もあるようだし、あるいは今まで報告されていなかった岸辺の岩礁に棲んでいる新種の発見もあるようで、「数百種が絶滅した」と断言するのは難しい情勢になってきているようだ。

 水産研究所で紹介された近郊の漁村を2つ訪ねてみた。その内ダガー漁ではなく、ナイルパーチ漁が主体のカエンゼ村のことを紹介しよう。村は900世帯、3,450人ほどの規模であり、ほとんどが漁業に頼った生活をしている。もちろん、米、トウモロコシ、キャッサバを作る畑はあるが、それは自家消費用だ。漁業の内訳としては、ナイルパーチが80%、ダガーが20%で、ティラピアなどついでに獲れた魚は自家消費に回されるという。ナイルパーチとダガーが漁法が違うので船も異なり、ナイルパーチ用が350隻余り、ダガー用は60隻ほどだという。

 カエンゼ村のナイルパーチ漁の75%は夜間に行われる刺し網量、残りの25%は昼間行う延縄漁だという。多くの漁師は夕方エンジン付きボートで出漁して行き、沖合いに刺し網を設置し、その後船の中で仮眠する。1隻の船に漁師は普通3人。午前2~3時ころから網を引き上げ始める。私たちが同行した船は55の網を4時間かけて引き上げた。

 明け方村に戻り、待ち構えた加工工場の代理人たちの立会いの下、計量、即売となる。余り小さいものや崩れているものは購入を拒否される。計量を見ていると一つの船当たり、15kgから25kgの水揚げである。買い取り価格は1kgTsh1,100(=約110円)。同行した船は18kgだったので、Tsh20,000の収入だった。その船と網は漁師の自前だが、エンジンは盗まれたとかで月Tsh60,000で借りているという。毎日漁に出たとして、1日Tsh2,000のレンタル料はになる。ガソリン代が5リットルTsh7,500かかると言っていたから、助手への支払い、食費、エンジンや網の修理代を考えるとかつかつだろう。毎日20kg以上の漁獲がないと蓄えは出来ないという。その前日の漁獲は9kgだったというから、それでは完全に赤字である。一時より間違いなく漁獲量は落ちている。それは乱獲のせいだろうが、大型の個体も減っていて、その朝カエンゼ村で上がった最大の個体は9kgだった。カエンゼ村の浜辺にダガーが干してある。よく見るとダガーよりも、フルと呼ばれる小型のシクリッドが圧倒的に多い。夜間のダガー漁で網に一緒にかかるのだが、ダガー漁は沖合で行われるから、シクリッドの回帰現象の証左なのかもしれない。

📷 ムワンザ市内の川  ムワンザの町は岩山(コピエ)が多く、小さな丘が連なっているが、その丘の上まで違法(?)住宅が建っていて、水道、下水はどうなっているのか、ほとんど未整備だろうと想像させる。生活排水はそのまま湖に流れるのだろう。市内を流れるミロンゴ川にも、さまざまなゴミが浮かび、汚水のまま湖に流れ込んでいた。

 ムワンザの町の丘の上まで森林が切られ、不法住宅が建てられたのは1980年代のことだという。今ムワンザ市森林課の奨励で、はげ山となっている地域に植林が奨励され、2005年は64万本の苗木が植えられたと言う。種類としては在来種ではなく、成長が早く薪としてあるいは木材として使えるユーカリ、偽ネムなどが多いようだ。ただ50万ムワンザ市民の需要を満たすのは容易ではなく、炭、薪として市内に運び込まれてくるのは、湖上の島々からもあるが、多くは西のゲイタ県、ビハラムロ県などの森林保護区の方からのようだ。植林よりも伐採のスピードが勝っているのではないかという不安が強い。

 また綿織物工場、ナイルパーチの加工工場が湖畔に並び、煤煙を出している。処理されない工場排水の問題は、今はだいぶ改善されているとは言うが、煤煙がもたらす結果、湖の水質は確実に悪化していると思われる。ビクトリア湖の水がムワンザ市民の唯一の水源であるだけに問題は深刻だ。

📷 金の小規模採掘    ムワンザ州の中で、ムワンザから100kmほど離れたゲイタ県には、有名なゲイタ金鉱山がある。アングロアメリカンとタンザニア政府の共同所有という話だ。そこには白人が30人以上住み込み、厳重な警戒で遠目からみてもよく分からない。金の精錬も自社でやっていて、ダムを造成しているという。所有地の山の上は緑が剥がされた採掘地の跡が点在する。そのゲイタ金山の周辺の、貧弱な金鉱脈を目指して、小規模企業というか山師たちが集まる。私が訪れたのはングソ村にあるチパカ鉱山と言う会社の採掘地。社員も少数いるようだが、ほとんどは自前の山師グループで、チパカ鉱山の保有地で採掘する代わりに、採れた金の3割は上納するという契約らしい。

 ほとんど人力での採掘。丘の上の方では露天掘りがどんどん深くなって、100m以上の地下まで降りていっている。金を含有する土を掘り出し、それに熱を加えて柔らかくし砕石、その後何度も水を流して沈殿する土をズダ袋にため、その重い土に水銀を加え、水銀に金を付着させるのだと言う。その水銀を混ぜてやる最終工程は、多くの若者が素手でやっていた。水俣病が怖い光景である。また、小さな川の周辺でやっており、乾季の今は水は途中で止まって湖には流れ込んでいないように思えるが、地下に浸透して伏流水になっているだろうし、大雨季の時には直接湖に流れ込むのではないかと思われる。

 ビクトリア湖を巡る環境悪化の問題は一筋縄ではいかないと感じた。アフリカ最大の面積を誇る淡水湖にしても限界に近づいているのではないか。地元ムワンザのテレビ「スターテレビ」も3年前に「湖の死」と題した連続番組を作成し、警告を発している。「環境保全と開発」の命題に、どういう処方箋を見つけるのだろうか。

(2006年3月1日)

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