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Habari za Dar es Salaam No.49   "Darwin's Nightmare" ― ダーウィンの悪夢 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 今年の3月の「通信」No.47で触れたフランス映画「ダーウィンの悪夢」について、再度触れたい。一部内容は重複するので、最初にお許しを願っておきます。

📷 「ダーウィンの悪夢」というドキュメンタリー映画(2004年製作)は、フランス、オーストリア、ベルギー製作となっている。監督はフーベルト・ザウパーはオーストリア生まれで、現在はフランス在住。この映画で16もの賞をもらい、日本でも山形映画祭などで上映され、審査員特別賞をもらっている。さらにアカデミー賞のドキュメンタリー映画部門にもノミネートされた。幸いにも受賞を逃した。日本でもアカデミー賞の発表の日(3月5日)に合わせたのかどうか、NHKのBS-1で放映された。私自身の感想・評価は「通信」No.47で書いた通りで、相手にしていなかったのだが、インターネットで調べた限りでは、かなり日本でも評判が高いことに気づき、これはいけないと思い出したのだ。

 映画の内容を簡単に紹介すると、タンザニア、ウガンダ、ケニアという東アフリカ三カ国に広がる国際湖、アフリカ最大のビクトリア湖に、ナイルパーチという外来の大型魚が導入され、固有種が絶滅したり、ホテイアオイが異常繁殖したりと湖の生態系が大幅に破壊され、一方ナイルパーチの加工産業が栄え、ヨーロッパや日本へも輸出されている。その生み出された雇用の陰で、売春、ストリートチルドレン、エイズ、戦争の犬たちの暗躍など姿が描かれ、一種「暗部」を浮き彫りにする映画である。

 「ダーウィンの悪夢」ではナイルパーチが悪役になっている。外来種であるナイルパーチは1950年代、つまりイギリスの植民地時代の水産局の役人によって、漁獲高を高めるために導入されたらしい。いつ、どこから、誰が?というのは正確には特定できていないようだが、1980年代からビクトリア湖の北半、つまりケニア、ウガンダ沿岸から爆発的に増え、固有種であったビクトリア湖のシクリッド(カワスズメ科の魚)を食い尽くす勢いで南下した。その様子はティス・ゴールドシュミット「ダーウィンの箱庭」(日本語版草思社刊1999)に詳しい。20世紀に行われた生態系の大変更、虐殺と謳われた。2005年11月にナイロビで行われた湖沼会議でもそういう趣旨の報告が多かったように聞く。ただ、絶滅したと言われていたシクリッドは主に沖合回遊型の種であったようで、その種の再発見もあるようだし、あるいは今まで報告されていなかった岸辺の岩礁に棲んでいる新種の発見もあるようで、「数百種が絶滅した」と断言するのは難しい情勢になってきているようだ。

 映画で主要舞台の一つであったタンザニア水産研究所のムワンザ支所は、定期的に(年に4回ほど)調査トロール漁を行っており、その漁獲内容の分析記録がある。この記録は未発表のもので、特別に見せていただいたものだからそのまま公表は出来ないものだが、そのデータでは2003年から2005年にかけて、漁獲に占めるナイルパーチの比重が減り、他の魚種が増えている。1998年には91%ほどを占めていたナイルパーチは2005年には69%程度まで落ち、代わって増えてきているのは絶滅を危惧されていたシクリッドである。これはもちろん季節変動はあるので、断定的には言えないのだが、シクリッドがなんらかの生存のための適応戦略を発達させたと理解できなくもない。ともあれ、ナイルパーチの漁獲高は減少気味で、個体も小型化していることは間違いない。また今年2月にナイルパーチの漁の取材をした漁村では、ダガー漁も盛んだったが、昼間浜辺で天日に干されているダガーを良く見ると、9割方フルと呼ばれる小型のシクリッドだった。

📷 ナイルパーチ    科学的なデータの議論はおいて、何がいけないと私が思ったかというと、日本の一部の映画好きの人たちに、「良心的な映画」として捉えられている気配だったからだ。Googleで「ダーウィンの悪夢」の日本語を引くとその様子が分かる(さすがにアフリカ通には評価されていないようだが)。日本人の中で比較的早くこの映画に注目し、紹介し、一定影響を与えたと思われるのが「うるわしのブルターニュ」というブログである。ブルターニュ在住の日本人女性のブログで、その無断引用はいけないのかもしれないが、公開され、たびたび引用されているものだから、私も引用させてもらう。そのブログにはこの映画を次のように紹介している。

  『人は生まれる場所を自分で選択できない。私はたまたま日本に生まれた。そして今はフランスにいる。もしタンザニアのヴィクトリア湖のほとりに生まれていたとしたら、もうとっくに命は尽きていただろう。』  『昨晩、急にさそわれて見たドキュメンタリー映画DARWIN’S NIGHTMAREで知ったタンザニアの現実はまさに地獄としか形容できないものだった。まったく予備知識もなく、ついていっただけだったが、見終わってからずっと頭から離れない。題名のように悪夢ならば目がさめれば終わりだが、人々の飢えには終わりがない。食べ物がなくて、毎日たくさんの人が亡くなってゆくのだが、その貧困の主な原因となっているのは、他の国から持ち込まれた巨大魚なのである。』

 タンザニアのことを知らない日本人がこの文章を読んだら、ムワンザという町は飢餓、貧困、売春、エイズが横行する地獄なのかと思うかもしれない。普通の(どんな?)日本人が到底住めないような場所に、タンザニアの人びとは蠢いていて、救いを求めているというイメージが湧くのだろうか? この筆者の住むうるわしきブルターニュとは全く違う世界があるのか…?

 ムワンザ市は現在人口50万人を超え、ダルエスサラームに次ぐタンザニア第二の都市。昔からタンザニアの最大民族のスクマ人の中心都市として綿花の集積地、軽工業、近年は金・ナイルパーチの輸出、ビクトリア湖を結ぶウガンダ、ケニアとの貿易、 またルワンダ、ブルンジ、コンゴへの物流の要として発展してきている。その発展のお陰で、急激な人口増加、森林伐採、工場の煤煙、農業用水の汲み上げ、生活排水の流入などで恵みの湖、ビクトリア湖も悲鳴を上げ、またナイルパーチの増大で湖内部の生態系の破壊、ホテイアオイの繁茂といった複合の環境汚染が深刻化している。その問題を解決するためにLVEMP(ビクトリア湖環境管理計画)というタンザニア、ウガンダ、ケニアを巻き込んだ組織が作られ、環境保全活動、漁民への啓蒙教育活動に努力しているが、まだ環境破壊のスピードに対応できていないように思われる。三カ国の政府機関の主導で、草の根からの民間活動はまだ乏しいと、少なくともタンザニア側からは見える。

📷 ナイルパーチの骨場  さて、「ダーウィンの悪夢」で悪役を振られたナイルパーチだが、漁村に揚げられると、仲買人の計量を経て買い付けられ、漁民には現金が払われ、魚は冷凍車に放り込まれる。冷凍車が一杯になると加工工場に運ばれる。加工工場では検査の上、買い上げられ、EUの衛生基準に適応したかなり厳しい基準で清潔さが保たれた職場で、分業、流れ作業で、解体、切り身にし、箱詰め、ゴミの処理までスピーディーに進む。ほとんどの箱は切り身だけだが、日本輸出用だけ「皮付き」という要望もあるようだ。 これらの加工工場のオーナーは、インド系のタンザニア人が多く、ケニア人(やはりインド系)、タンザニア生まれのギリシア人だと聞いた。

 加工工場から、ゴミが出ると待ち構えたトラックがアラ、骨を満載して、地元の人が「骨場」と呼ぶゴミ捨て場に運ぶ。ムワンザ市の郊外で、ムワンザ市の市域が広がった際に、その市域外に少し移された。現在ムワンザ市とその東ムソマへ向う道路沿いのマグ郡の村との境の村側にある。その村の村長さんに訊いたら「近い内にここもムワンザ市に編入されるだろう」と言う。6つある加工工場の位置次第だが、近い工場からは20分ほどの距離である。

 「骨場」に近づくと、煙が上がっていて、鳥が多数舞っているのが遠目に見える。近づいていくと生臭い臭いが流れ、ウッとなる。敏感な人はタオルで鼻を覆う。トラックが骨場に到着し、アラ、骨を投棄すると、待ち構えた100人以上の人びとがわっと群がり、それぞれの持ち場の部位を選んで運ぶ。そこに争いはない。頭部、まだ身の付いている部位、骨だけなどに分けられる。映画で女たちが組んだ枠に掛けて干していた頭部は、その後粉にされ、鶏の飼料になる。アラは写真のように使い古された油で、薪を使って揚げられ開きとなる部分もある。また、身のついた部分は米粉を燃やして燻製にされる。トラックは加工工場からゴミが出る度にやってくるから、日に7~8回は来ると言う。朝から夜まで煙が絶えないのだ。

 この骨場で働く人たちは数百人はいる。子どもたちを含めると千人以上の人たちがここで生活している。元漁師、元農民が多いが、退職した公務員、軍人というのもいた。若者たちの中には最初からここで仕事をしているものも多い。手っ取り早い就職口、インフォーマルセクターなのだ。よく見ていると「食い詰めた」ような人間ばかりではない。村の入り口で、私たちの取材に対応した人間は身なりも立派で腹も出ている。彼らは実はこの地区に住んでいるわけではなく、トラックのオーナーとしてゴミを捨てに来たり、あるいは出来上がった飼料や、燻製の魚を買い付けて、近郊、地方に売りさばくビジネスマンだったりした。彼らは英語を流暢に話し、「ダーウィンの悪夢」という映画も知っている者もいた。また地区外から毎日通勤してきて働いている者もいた。農繁期は農業をし、農閑期に現金収入を求めて来る者もいる。地区内に住んでいる者でも、商才のあるものは、住民相手に小売商をしたり、携帯電話のカードを売ったりしていた。 また、燻製を作る長年の作業は胸に悪いと止めて、店子に部屋を貸す大家になっている者もいた。総じて不健康な職場環境であり、長年続けられるものではないと思うが、他に行き場がないのではなく、選んで来ている者も多いように感じた。

 漁村の漁師は毎朝自分たちが獲ったナイルパーチをおかずとして食べることが出来る。骨場の人たちは油で揚げたアラを一つ150シリング(15円)程度で買って食べる。頭の上を飛ぶ飛行機に載ってヨーロッパや日本に行く切り身は食べられない。ムワンザ市民がナイルパーチをどの程度食べるかという統計はない。ただキルンバ中央魚市場(日本のODAで改築された)では、冷凍車から1尾まるまる買うタンザニア人もいる。漁村で1kg1,100シリングが、この市場で1,500シリングだからさほど暴利ではないだろう。まぁ、買う人は家庭用ではなく、食堂用、あるいは二次仲買だろうとは思う。加工工場で、小型とか品質ではねられたナイルパーチがまるごとド~ンと運ばれ、待ち構えた女たち30人ぐらいが一斉に解体に入る。切り身を作ったり、大体は開いて燻製にして売る。市場で一つ300~400シリング。また、村では小型のナイルパーチをまるごと揚げている女の姿も時々見かける。ナイルパーチ漁は8割近く延縄漁で、網のサイズが決められていて、小さい魚は獲ってはいけないのだが、一本釣りなどでは、あるいは非合法の漁法では、小型の魚も獲れる。従って、ナイルパーチが普通のタンザニア人の口に入らないことはない。食堂のメニューにもある。ただそれほど人気とは思えない。人気は断然ティラピアという魚の方で、高いけど売れる。ムワンザ空港のすぐ外で、ティラピアを氷詰めにしたバケツ(だいたい17~20尾入っているが、ダルエスサラームに帰るムワンザ出身の人たちにバンバン売れている。決して安くないのに、飛行機にはそのバケツが30や40は簡単に預けられる。

 さて、映画で最もショッキングだっただろうと思われる「骨場」の実態から、ムワンザの魚事情まで、話が逸れてしまった。本題に戻ろう。「ダーウィンの悪夢」がなぜ問題なのか?

 映画の中で描かれている事実は、総じて事実である。首を傾げるような場面はいくつもあるし、案内役の役割を果たしている水産研究所の夜警のセリフは、かなり意図的である。それは措いておくとしても、さまざまな事実をどう選択し、どう羅列するかは、製作側の意図である。ドキュメンタリー映画とはいえ、監督の主張、作品であることを忘れてはいけない。例えば、ロシア製の輸送機、ロシア人(ウクライナ人)のクルー、彼らとホテルの酒場で飲む娼婦たち、後日談として仲間の死を語る女、エイズで若者が死ぬ埋葬用の穴が掘られている村、クルーたちがかつてアンゴラやコンゴに武器を運んでいた記憶… 。そういった事実を淡々と並べる手法。それは映像効果を狙った監督の作品なのであって、それを純真に「これがタンザニアの現実だ」と思い込む方がおかしい。少なくともジャーナリストなら「ほんまかいな?」と自ら検証する姿勢が必要だろう。この映画にも出演したムワンザ在住のタンザニア人ジャーナリストと話す機会があった。彼はナイルパーチ産業の調査を受け持ち、資料を提供し、クルーがタンザニアの警察に捕まった時も救出に活躍したという。「映画は監督の作品で、監督が選んだ事実を使うのは自由だ。だが、ナイルパーチ産業が30万人の雇用を創出したことは事実で、環境汚染の問題はまた別の問題だ」と言っていた。

 アフリカの情報は過去も現在も依然として乏しい。ヨーロッパ人にとっては、アフリカは過去もそして現在も「自分の庭」である。その感覚はかつてアフリカを奴隷貿易の対象とし、その後植民地支配をした原罪を感じているのか、あるいはキリスト教を伝え、文明開化させた功績を感じているのか、日本人が朝鮮、中国、東南アジアの人たちに感じている感覚(それを最近は自虐的という言辞を投げつける輩が跋扈しているようだが)とは違うようだ。 いわば家父長主義とでもいうのか、ヨーロッパがアフリカに対して行った善悪を含めて、ヨーロッパがアフリカの面倒を見る責任があるような感覚。これがこの映画の底流に流れていていると感じる。「ヨーロッパ人」という言い方は乱暴であり、個々人の差は非常に大きいと言うのは認めたうえで、これは「人種主義」なのだと思う。

📷 ビスマルクロック  アフリカ人は被害者で、いつも援助を求めないといけない可哀相な客体なのか?自分たちの問題を解決する主体性は期待されないのか? 私がこの問題について議論したタンザニア人、ウガンダ人の知識人たちは「人種差別だ」という断定はしなかった。ヨーロッパから発信された、ヨーロッパ人の目のフィルターを通したアフリカ像を鵜呑みにしてはいけないと思う。これを「グローバリズム」とか「開発」や「自立」の問題にすり替えてはいけないと思う。それ以前の事実の解釈の問題なのだ。

 私は昨年12月から今年2月まで続いた取材で、関係各省庁を回り、撮影許可の手続きを繰り返した。政府の撮影許可は簡単に取れたが、現場、特に「ダーウィンの悪夢」で描かれた加工工場や水産研究所の許可は難航を極めた。皆担当者は会うと、「ダーウィンの悪夢」とは違う視点で事実を伝えたいという私の申請に理解を示し、にこやかに対応してくれたが、回答は何度もNoで返って来た。担当者に問い詰めると、「上司が」と言う。上司に会うと、その人も理解を示してくれるが、「もっと上が」と言う。どうも担当大臣、大統領レベルの政治問題化しているようだ。現にムワンザの水産研究所の夜警は解雇されていたし、その夜警を撮影クルーに紹介したスタッフも解雇されたと聞いた。皆責任を追求されることを恐れ、関わりを避ける雰囲気が感じられた。

 それを「責任逃れの官僚主義」としたり、「表現・報道の自由のない後進国の問題」と解しては誤る。タンザニアに官僚主義ははびこっているし、報道の自由があると強弁はしないが、独裁国家であったことは一度もないし、外国人からの批判には寛容な国だ。また、「タンザニアの恥部を暴いた」と狭量でもない。やはり、「ダーウィンの悪夢」の事実の描き方が、余りにも不当、不公平とタンザニア人の目に見えたのだろうと思う。

 この映画の舞台となったムワンザの、しかもその水産研究所の隣にある水産学校に水産加工という職種で、日本の協力隊員がしばらくの間派遣されていた。ダガーという小魚を利用してさつま揚げ風の新食品を開発した女性もいた。そういった隊員OB、OGがもっと地元の意見を伝えて欲しいものだと思っている。

 私のこの取材は、実はテレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」のコーディネーターとしての仕事をいただいたから、出来たものである。関係者に感謝すると共に、昨日(4月30日)放映された番組が、「ダーウィンの悪夢」の呪縛を払拭した充実した内容であったことを期待したい。

(2006年5月1日)

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