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Habari za Dar es Salaam No.77   "Black Gold" ― 紹介 映画『おいしいコーヒーの真実』 ―

根本 利通(ねもととしみち)

📷  今回は、ドキュメンタリー映画『おいしいコーヒーの真実』を紹介したい。原題『Black Gold』(2006年、イギリス・アメリカ、78分)。監督:マーク・フランシス、ニック・フランシス、出演:タデッセ・メスケラほか。配給・宣伝:アップリンク。(余談だが、ブラジルに日本人が移住を始めたころにコーヒーは「緑の金」と言われたのではなかったか?)

 日本でもこの6月から8月にかけて公開されており、雑誌「Weeklyぴあ」調査による、5月31日公開の映画の満足度ランキングで、第2位にランクインしたそうだ。以下、その紹介記事。  2位の『おいしいコーヒーの真実』はコーヒー豆を栽培する農家の人々の過酷な現状と、状況を改善するべく奔走する活動家タデッセ・メスケラの姿を追うドキュメンタリー。劇場は朝から若い観客を中心に、立ち見が出るほどの盛況ぶり。 「1杯のコーヒーに様々な社会情勢が絡んでいることを知って勉強になった」「コーヒーはよく飲むのに、初めて知ることばかりだった」など、観客たちは本作で明かされるコーヒー豆の現状について驚きを見せた。また「構成が分かりやすいので子供にも見せたい」「もっと詳しいことも知りたい」などの意見も多く聞かれるなど、非常に身近なテーマを扱いながら、思わず考えさせられる本作。

 映画の舞台はコーヒーノキのアラビカ種の原産地であるエチオピアの西南部のオロミア州。エチオピアはアフリカ最大、世界でも7番目のコーヒーの生産国(2004年)であり、日本の輸入先でも5番目(2007年)である。モカ・コーヒーの産地で、コーヒーセレモニーなど、コーヒーに根ざした文化もある。小農民の自家栽培による生産が中心である。この映画の主人公であるタデッセ・メセケラは貧しい家庭に生まれ、苦学して大学を卒業後、州の農業局の役人となるが、日本の農協で受けた研修後、1999年オロミア州コーヒー農協連合会の設立にかかわり、その後世話役として、渉外担当として海外(欧米)に対して、中間業者を出来るだけ排除して、農民の取り分を増やすために世界中を飛び回る姿を描く。いわゆるフェアトレードを追求していく姿である。 

📷 合間合間にニューヨーク、シアトル(スターバックスの本拠地)、イタリア(トリエステ)、ロンドンなどのカフェ、コーヒー焙煎業者、先物取引市場、バリスタ選手権、コーヒー物産展などが登場し、優雅な嗜好品としてコーヒーを消費する世界が描かれる。かと思うと反転して、伝統的な日陰樹の中でのコーヒー栽培を続けるオロミア州の小農民が子どもたちを学校に行かせられなかったり、栄養失調に罹った子どもの治療が満足に出来ないほど悲惨な状況が描かれる。農民たちは必死になって畑を守ろうとしているが、その子どもたち(若者たち)はコーヒーを捨てようとしている。つまり世界的なコーヒーの低価格、不安定さから来る低収入のため、コーヒーの樹を切り倒して転作、それも麻薬栽培すら考えざるを得ない悩みも描かれている。USAIDと書かれた袋の「援助品」がジブチ港に陸揚げされ、村へ運ばれるシーンを見ると空しさを感じる。2003年カンクン(メキシコ)で開かれたWTOでは先進国は農業補助金を廃止しようとはせず、途上国との交渉は決裂する。すぐれて世界的な嗜好品となり、先物取引による投機の対象となった巨大なコーヒー市場を巡るグローバリゼーションと底辺の生産者の姿を対比的に浮き彫りにする。

 たとえば、この映画の中で、イギリス国内のコーヒーチェーン店でのコーヒー1杯330円の内、コーヒー農家の取り分は3~9円(1~3%)、輸出業者、地元の貿易会社の取り分が7%、イギリスの輸入業者、焙煎業者、小売業者、カフェの取り分は90%となってる。キリマンジャロ州ルカニ村の調査を行っている辻村英之さんによれば、1998~9年東京の喫茶店のコーヒー1杯の平均価格が419円の時、タンザニアのコーヒー農家の取り分は0.4%(1.7円)、タンザニアの流通業者、輸出業者は0.5%(2.1円)、日本の輸入業者・焙煎業者・小売業者は8.2%(34.4円)、日本の喫茶店は90.9%(381円)という数字である。さらに2001年のコーヒー危機の後、タンザニアのコーヒー農家の取り分はさらに下がって0.1%まで落ちたとのことである。

 キリマンジャロ州のルカニ村でも、伝統的なコーヒーに頼れずに、トウモロコシなどへの転作、さらに若者たちの都会への流出、離農という現象が続いている。一時は「村に残る若者=男はだめなやつ」という風潮が続いた。社会主義時代の公社化による中間官僚層の取り分の増大もあるが、やはり世界的なコーヒー生産者価格の低落傾向に、「コーヒー生産は報われない」という認識が若者層に浸透してしまったのだとも言える。ルカニ村のコーヒー生産も伝統的なアグロフォレストリーで、日陰樹としてバナナの樹が多用されている。バナナはキリマンジャロの住人であるチャガ人の主食であり、ウシ、ブタ、ニワトリを飼い、キリマンジャロ山の豊かな雪解け水、地下に浸透した水を利用した複合的な農業は豊かである。ルカニ村を歩くとその豊かさに目を奪われる。が、農業の専門家からすると、ルカニ村のコーヒー畑は手入れが不足しているように見える。それはなぜか?あるいは伝統的な混栽では、商業的な競争に耐えないのか?

📷 フェアトレードは公正な貿易ということで、さまざまな定義はあるものの、簡単に言うと「発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入するlことを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す取り組み」ということだ。コーヒーの取引に関して言えば、ニューヨークの、取引市場で決められた標準価格に、プレミアムという割増金をつけて払うのが一般のようだ。この映画の中でもイタリア、イギリスの焙煎業者が、ニューヨーク市場の取引を避け、高品質のコーヒーを高い価格で購入しようとするシーンも出てくる。 

 フェアトレードという表現に対して、ある日本の商社員は「じゃぁ、俺たちがやっているのは、アンフェアトレードなのか?」と皮肉ったのが、私には新鮮だった。古来商業というのは不足している所に必要な品物を供給することから成り立ったもので、「適正な利潤」というのをどう判断するのだろう?大航海時代、ヴァスコ・ダ・ガマたちが胡椒を求めて冒険の航海に旅立ち、航海が成功すれば数十倍の利益をもたらしたわけだが、それはフェアではなかったのだろうか? 

 2001年から辻村さんたちが続けてきた、キリマンジャロ州ルカニ村のコーヒー豆のフェアトレード・プロジェクトは、様々な試行錯誤の後、やっと軌道に乗りかけている。今まで、日本各地の小さな喫茶店のチェーンで「1杯のコーヒーからの支援」を続けてきて、ルカニ村の診療所、図書館の建設の一部を支援し、さらに村立の中学校の校舎の建設費の一部支援は現在進行中である。今年ATJによって購入されたルカニ村およびその周辺の単協から出荷された120袋の豆は、8月Friend Ship Coffee「キリマンジャロールカニ・アラビカ」として販売が始まった(販売元・キョーワズコーヒー)。京都の大丸の地下などに並び出しているはずである。

 ほんの少数の人間が始めたプロジェクトが、タンザニアと日本とを結びつける小さな流れとなって行けばすばらしいことだろう。ただ送り出す側のルカニ村の農民たちが「フェアトレードとは少しいい条件で買ってくれる商人」というレベルの認識であれば、それは仲介者側の自己満足に陥る危険性は常にある。農民にとって見れば、継続的に高く買ってくれるバイヤーがいいのであり、経済原則を外れたところでフェアトレードは成り立たないだろう。 

📷    企業のCSRという観念が、近年次第に浸透してきている。タンザニアにおける日本企業としては、住友化学のライセンス生産によるオリセット蚊帳が有名である。マラリアで死ぬ子どもたちの命を救うという大義があるし、大切な事業だろうと思う。ただ、日本の企業によるCSRというのは、その企業のイメージアップ戦略ではないかという疑念が常に付きまとう。それは私の下司の勘ぐりだと言われればそれまでだが‥。

 同じように日本の企業によるフェアトレードも一種の疑念が付きまとう。つまりヨーロッパ・キリスト教世界のような奉仕の概念は、日本(あるいは中国、朝鮮を含めた東洋)では根ざしたものではないだろうと思うのである。欧米社会ではボランティアも十分企業として成り立つのではないか?この映画の中でも、スーパーの「フェアトレードコーナー」にあまたの商品が並んでいた。が、日本でフェアトレードの概念が、販売のための+の付加価値として有効になるのには時間がかかるのではないだろうか?一部の市民運動の人たちには迎え入れられても、一般の消費者にはどうか?安全を犠牲にしても安さを選ぶか、安全を重視するか?でも生産者の生活まで視野に入る消費者は多くないに違いない。フェアトレードの概念が欧米に比べて立ち遅れていたとしても、欧米型の概念が定着することがいいのか悪いのかという疑問も付きまとう。

 歯切れの悪い表現になってしまったが、 それは私の中でフェアトレードの意義、問題点が整理されていないからだと思う。『おいしいコーヒーの真実』とは何か?私たちは何を感じ、そしてどう切り拓いていくのか?というには多様な答え、途があるように思う。

 東アフリカのことを扱ったドキュメンタリー映画として、昨年一部で評判になった『ダーウィンの悪夢』と比較してみると、違いは明らかになるだろう。簡単に言うとそれは製作者側の目線の問題である。『ダーウィンの悪夢』はもし舞台となったタンザニアのムワンザ地方の人が描くとしたら、あぁいう描き方には決してならなかっただろうと言える。この『おいしいコーヒーの真実』もイギリス人の兄弟による製作で、旧宗主国(先進国)の人間による発展途上国の食品生産のグローバル化を描くという点では同じだが、タデッセの行動を追ったということでスタンスは違うだろう。『ダーウィンの悪夢』に対する私の批判を「単なるアフリカ通の揚げ足取り」と揶揄した人もいたが、そういう人は自分は安全な所にいて「グローバリゼーション」を書斎か研究室で語っていればいい。第三者として論じるのは気楽な作業だが、私はそういう道をとりたくない。 

 参考文献:辻村英之『コーヒーと南北問題』(日本経済評論社2004年)         『それでもコーヒーを楽しむための100の知恵』(朝日新聞出版、2008年)         『農業と経済』7月号(昭和堂2008年)         『季刊at』11号(太田出版、2008年)

(2008年9月1日)

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