• 白川

Habari za Dar es Salaam No.8   Dala Dala ― ダラダラの乱 ―

根本 利通(ねもととしみち)

今年のラマダンは11月6日から始まった。ラマダンは30日間だから、12月6日からラマダン明けのお祭り(Idd el Fitr)となる可能性が高い。30日間ということになっているし、科学的に月齢だって分かるからはっきり事前に決まるはずと思うのだが、必ずしもそうではなく、新月が望見されるかどうかで、その晩(あるときは翌日の払暁)にイスラムの権威(タンザニアではBAKITA)が発表して決まる。つまりタンザニアのどこかで新月が望見されたという報告が入り、BAKITAがその報告を真正なものと認めて初めて有効になる。

従って現在のような小雨季だと、海岸部のダルエスサラームやザンジバル、タンガといったムスリムの多い地域は雨が多いから、なかなか新月が見えず、夜9時、10時、11時のラジオ放送を聴いても、明日が祝日という発表がなく、諦めて寝て翌日起きたら休日だったなんてことがかつてあった。その時は朝5時の放送で「タボラで新月が見えたと確認された」ということだったから、クリスチャンたちは「もう断食に飽きたのさ」と陰口をたたいていた。

  実際当日にならないと休日かどうか分からないというのは不便なもので、例えば今年は12月9日(月)が独立記念日なので、6日から祝日になれば4連休ということで、信心はなくても遊びには行きたい日本人には関心が高い。「こんな非合理なことをやっているからダメなんだ」とヨーロッパ人なら言いそうだが、やはり宗教・文化の多様性を尊重する立場からいったら、それもまた楽しいということになる。何せ断食をやっていないのだから、祝日丸儲けの感があるから…。

  我が社のオフィスのスタッフは、日本人2、クリスチャン2、ムスリム2である。また運転手は常勤、非常勤合わせて10名いるが、ムスリム5、クリスチャン5で、ムスリムは全員断食している。日本からの旅行者、出張者にとっては馴染みの薄いことだし、運転手が断食していようがいまいが夜まで車を使うから、運転手の配置にこちらは気を遣うことになる。サファリ中は断食を中止してもいいのだが、運転手によっては12時間でも水1滴も飲まずに運転するから、やはりこちらが気を遣わないといけない。昨年は5名の内2名のムスリムは断食しなかった。その時は「体調が悪い」と言っていたが、今年は皆している。本当に今年は体調がいいのか、経済状態がいいのか(断食用の食事のためには費用がいつもより必要なのだ)、あるいはアメリカへの反発でイスラムの機運が高まっているのか、それは分からないが‥

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  さてラマダンとは関係ないのだが、10月28日に「ダラダラの乱」があった。ダラダラというのはダルエスサラームの市内交通のバスを言う。ナイロビ(ケニア)ではマタトゥと言っているのとほぼ同じである。ダラダラの語源は1975年ころに遡る(もっと前かもしれない)。当時タンザニアは社会主義まっさかりで、主要産業は国営化され、運輸業も港湾、鉄道、飛行機はもちろん、バスも公営化されていた。ダルエスサラームからアル-シャ、ムベヤ行きなどの長距離バスはKAMATA(国営バス会社)、ダルエスサラーム市内のバスはUDA(ダルエスサラーム交通)という会社のバスしかなかった。UDAは1975年私が初めてダルエスサラームに来た当時、イギリス製の古いバスとハンガリー製の2両つながった新しいバスを使っていた。バス路線も結構しっかりしていて、行き先も明示され、初めての旅行者にも使いやすかったと思う。当時バス運賃は1シリング50セント(当時の正規両替レートは$1=Tsh8前後)で、おつりの50セントをくれない車掌とよくけんかしたことを思い出す。セントの存在価値があった時代である。

  当時既にUDA以外にダラダラというのが存在した。UDA以外に認可された私営バスをダラダラと呼んでいた。数は少なかったが、UDAとは違ったそれぞれの車体のカラーで走っていたので、目立っていた。ただ私はその頃ダラダラに乗った記憶がない。ダラダラの語源は、私が聞いた限りではアメリカ・ドルから来ている。当時タンザニア・シリングは東アフリカ通貨機構の管理下にあり、ケニア・シリングやウガンダ・シリングと等価ということになっていた。$1=Sh7で、$1=\360の固定相場時代に東アフリカに来た日本人の文を読むと、1シリング=50円という書き方をしている。私が来た75年はもうスミソニアン合意の後で、$1=\308の時代だったし、タンザニア・シリングの実勢の下落は始まっていて、ケニア・シリングと等価で交換は出来なくなっていたので、私の感覚では1シリング=40~35円と言う感じだったろうか。

 それは余談だが、ダラダラというのは1ドルほどの運賃を取る高いバスという感じだったと思う。つまりUDAの運賃がが1シリング50セントであったのに対し、ダラダラは5シリングも取っていたのだ。1ダラーも取る高いバスという感じか、あるいは当時既に外貨不足から輸入品が民衆にとっては高嶺の花となりつつあったから、ダラーでないと手に入らないものという揶揄なのか、そこらへんはちゃんと調査したわけではない。貧乏旅行者であった私はダラダラは避けて乗らなかったのだと思う。ただ既にその時、UDAのスペアパーツの不足からくるバス台数の不足が目立ってきて、社会主義の原則が崩れだしていたのだろう。

  私がタンザニアに住みだした1984年には状況はさらに激しく変化していた。UDAのバスの台数の激減とダラダラの激増である。ダラダラはUDAに営業認可料を払わないといけなかったから、UDAのバス運賃とダラダラの運賃はまだ少しは差があったように思うが、安いUDAのバスを待つなんてお話にならないほど、UDAのバスは少なくなっていた。私の住んでいた大学構内から、町中へ出るにはウブンゴ(Ubungo)もしくはムウェンゲ(Mwenge)にバスで出て乗り換えるのだが、ウブンゴから大学構内を抜けてムウェンゲを結ぶいわばマイナーな路線にはダラダラは認可されておらず(需要の多い主要幹線だけダラダラは認められていた)、UDAしか走っていないのだが、片道20~30分間かかる区間をバス2台が走っていて、ややもすると1台が運転手の休憩といって止まると、1時間以上来ないことがあり、バスを逃すと歩かざるを得ないこともままあった。ダルエスサラーム市内から大学までは読めない待ち時間を勘案すると40分~3時間という所要時間であった。つまり約束を守るためにはかなり早く出ないといけないということで、タンザニア人が時間を守れない理由にバスが使われる習慣が出来上がった。( それ以前の話は今回は触れない)

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  さて現在のダラダラであるが、昨年からルート毎に色分けされ、分かりやすくなった。最初は目的地別の色分けかと思ったが、同じムウェンゲ行きでも紫と赤の色があるのに気が付いて、調べてみると色はルート(通過する幹線道路)別というのが分かってきた。従って主要幹線にまたがるルートは2色表示である。 現在ダルエスサラームには7色(赤、紫、緑、水、橙、茶、黄緑)が存在している。

 ダラダラの台数は今はかなり多い。UDAがほとんど絶滅寸前で(まだかろうじて存在していて稀にミニバスを見かける)、民間のそれも企業というより小金持ちがミニバス1台だけでも認可を取れるようになって始めたから、台数は急増した。日本へ留学した大学院生が学位と共に帰国してハイエースなどのマイクロバスを持ってきて、錦を飾った手前親戚一同の生活費稼ぎのためにダラダラの副業をしているなんてのがままある。UDA時代にあった大型バス(60人乗り)はすっかり姿を消し、ミニバス(26人乗り)、マイクロバス(13人乗り)ばかりがバス停に止まっている。私が使っていた頃は、長い間待ってやっと来たバスに乗り込むために皆が先を争い、老人や子供連れの女などはなかなか乗れない弱肉強食が展開されていたが、今は少なくとも昼間は150シリングの運賃を100シリングにして客引きをしても、なかなかバスが満杯にならないで、ダラダラが行列を作って待つという光景も日常化していた。

 そういう時になぜダラダラの乱が起こったのか?

それは数日前にダラダラの衝突事故で、立っていた乗客が7名ほど亡くなったのを契機にしているようだ。ダラダラの運転手は車のオーナーから1日30,000シリングとか(車の大きさによって異なる)請負制度で働くのが普通である。つまりディーゼル代や車掌の手当は運転手持ちで、水揚げがあろうとなかろうとオーナーに1日30,000シリング支払うという契約である。ということは往復を多くして水揚げを多くすればするほど運転手は手取りが増える。逆にゆっくり昼休みを取って往復回数が減ると、下手すると赤字になりかねない。だから朝夕の渋滞時には、交通ルール無視すれすれで飛ばす。運転しているとダラダラの後ろについていると非常に怖い。上品な運転をしていると儲からないからで、従ってダラダラ絡みの事故は毎日起こる。

 そこで遅ればせながら交通警察は取り締まりに乗り出し、定員数を守らせようとした次第。つまり座席数分しか乗客を乗せず、ドアも閉めて走れという規制を展開したのである。この日朝のラッシュ時に、いつも通り満杯のお客を乗せたダラダラは次々に捉まり、それを恐れたミニバスは走らず、あるいは抗議でサボタージュをし、構造上立った乗客がもともとほとんどいないマイクロバスのみが走ることになった。大人150シリングの運賃のところ学生は50シリングなので、前々から学生の乗車拒否・制限はあったが、この日は 学生は乗せてもらえず、業を煮やした学生がダラダラに投石したりして、郊外のバスターミナルは騒然となった。私は早い目に出勤するから知らなかったが、その日のあることを知って早朝に家を出た少数のスタッフ以外は、皆のきなみ出勤が遅れた。バス代300シリングとか500シリング取られたスタッフもいた。自家用車で来るマネージャーも混乱を避けて脇道を迂回してきたとかで、遅れた。その日の夕方も帰宅のため、皆早い目に帰った。

 2日後に状態はやや正常に返ったように見えた。ダラダラは座席数と1バス5名という制限付きで学生を立たせて走っている。交通警官も取締りに飽きたようだ。ただ表面上は定員を守らせようとするから、朝夕の通勤ラッシュ時はやはり、バス停に人があふれ返り、走ってくるダラダラに男たちが飛び乗ろうと弱肉強食の世界が復活している。政策決定者たちにほとんど自家用車が行き渡った今、このまま庶民は受け入れるのだろうか?その後、ダラダラの運賃が250シリングか200シリングに値上げする(現在150シリング)という噂が出ている。          

(2002年12月1日)

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