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Habari za Dar es Salaam No.87   Asia Africa Business Forum Ⅴ ― 第5回アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラム(AABFⅤ) ―

根本 利通(ねもととしみち)

 6月14日~17日の間、ウガンダのカンパラで開かれた第5回アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラム(AABFⅤ)に参加してきた。2007年2月にダルエスサラームで開かれたAABFⅣ(『ダルエスサラーム通信』No.59参照)に次ぐ開催である。主催は日本政府で、やはり前回と同じく、15年を経過した日本のTICAD(アフリカの開発のための東京国際会議)運動の延長上にある。今回はアジアからの参加国は6カ国、アフリカからは27カ国、参加人数は正確にはわからないが、ざっと330人くらいだったらしい(主催者発表)。

📷  前回は地元のダルエスサラームで開かれたから、ちょっと覗いてみようかという程度の関心で参加した。今回は隣国のウガンダという近さもあったが、メインのテーマが「アフリカにおける観光促進」ということだったので、興味を持ったのだ。会議そのものは面白くなくても、アフリカ諸国、特にブルンジ、ルワンダ、ザンビアなどの近隣諸国の旅行社と顔見知りになれたら、というのが参加した動機である。

 会場はカンパラの郊外のスピークリゾート。昨年(2008年)の英連邦諸国会議の際に会場になった、というかそのために拡張されたリゾート兼会議場である。カンパラの空の玄関であるエンテベ空港から車でで45分ほど。ただしこれは昼間だったからで、夕方の渋滞時に来た人は1時間以上かかったようだ。ビクトリア湖畔にあるが、風光明媚というほどではない。

 主催は日本政府外務省。共催としてUNDP(国連開発計画)、UNIDO(国連工業開発機関)、UNWTO(世界観光機関)、世界銀行などである。主催者を代表して挨拶した日本政府代表は橋本聖子外務副大臣、あのスケートの橋本聖子さんである。マルゼンスキーの馬主の娘さんというのは、かなり古い世代のマニアックな人の思い出だろう。彼女だけが開会の辞と閉会の辞を日本語で話した。日本語で挨拶するのは見識かもしれないが、他の参会者が全て英語もしくはフランス語だったので、目立って見えた。

 橋本副大臣の挨拶は、日本政府の立場表明である。2008年に横浜で開かれたTICADⅣで採択された横浜行動プランでは、2012年までに日本のアフリカに対するODAを倍増し、また民間の投資も倍増する計画である。今回の会議もその一環で、アフリカに対する観光促進、特に2010年の南アでのサッカーのワールドカップ開催を好機として、世界中の目ををアフリカに向けようとする。それが貧困の削減につながり、アフリカが持つ自然・文化的な遺産保護しながらの発展を目指したいとする。それが今回の会議の命題である「アフリカにおける持続可能な観光開発のためのビジネス・リンケージ強化」ということだ。

 1日半のパネルセッションは、4部に別れていて、第1部「アフリカにおける観光業概観」、第2部「官民連携」、第3部「市場と生産の開発」、第4部「貧困者に優しい持続的観光開発」となっていた。この間の報告者、パネリストは31人で、それ以外に各部会に議長というまとめ役がいたから、結局35人が演壇に上がったことになる。所属の内訳は国連関係11人、アフリカ諸国18人、、日本代表5人(政府4、民間1)、アジア(インド)1人だった。アフリカ諸国代表は、多くは観光大臣、副大臣、次官、観光局総裁などの役人で、民間の旅行社経営は2人だった。国籍は地元のウガンダ以外に、ケニア、タンザニア、ブルンジ、エチオピア、エジプト、ザンビア、南ア、ナイジェリア、コートジボワール、ガーナだった。また国連関係の報告者の多くもアフリカ人だったから、出身の国籍はもっと増えそうだ。UNWTOの報告者には韓国人がいた。

 会議中、14日の晩は前夜祭(カクテルパーティー)、15日の晩は主催者招待夕食会、16日の昼食は民間参加者によるパワーランチ、16日午後には官部門参加者による視察(ビクトリア湖上の島にあるチンパンジー・サンクチュアリ)、16日の晩はウガンダ政府主催のエンターテイメント付きの夕食会、、16日午後~17日午前は民間による商談会、17日午後は民間部門参加者による視察(エンテベ)、17日の晩はウガンダ政府によるカクテルパーティーという日程であった。

📷  会議では、 英語、時々フランス語の演説で、同時通訳のついているフランス語の演説は聴かなかったし、英語も西アフリカ圏の英語と、インド人の英語、韓国人の英語は違うなぁと余分な関心で聞いていたから、しっかり論議についていっていたわけではない。途中で眠気にも誘われていたし‥。

 アフリカ諸国の高級官僚の演説の多くは、民間の投資、特に4つ星、5つ星のホテルの建設とか、旅行サービス部門への投資を訴え、雇用の拡大から貧困の削減へと訴えるものが多かったように思う。それは一つの道筋であることは否定しないが、タンザニアで見ている限り、南アなどの外資のホテルが、タンザニアのいい立地を押さえ、そこで働くタンザニア人従業員は「訓練が足らない」とばかり、主要なマネージャークラスには登用されず、タンザニア人は安い賃金で働き、同じホテルへの定着性が低いという現実を見ていると、外資の導入はほとんど外国への利潤の還元なのではないかと思われてならない。そしてその統制・運用を誤ると、権力の腐敗・汚職、貧富の差の拡大につながりかねない。

 国を代表する立場ではない人の報告ではナイジェリア人で香港の大学の教官をしている人の「持続的な観光開発に向けて」が面白かったようだ。具体的な事例に即したプレゼンテーションだった。インドの財団の代表のそれはNGO活動の紹介かと思ったが、そうではなかった。UNWTO所属の韓国人女性のスピーチも会場で受けていた。その方は62歳だということだが「私が小さいころは、韓国は貧しかった。村では裸足で歩いていた。韓国の人たちは歯を食いしばって教育に投資し、今ではサムソンなど世界に冠たるブランドを生み出した」とやり、やんやの拍手を受けていた。外資、援助に頼らず、自力更生が必要だと訴えるとしたら、それは同感だが。全般的に地域の現状に根ざして草の根的に、持続的発展を目指すような、あるいは性急な観光開発は、地域の文化や自然環境を破壊する恐れがあるという議論は控えめだったように思われる。

 日本人のスピーチは経産省、観光庁、JICA、外務省アフリカ二課からの4名が官公庁代表であった。経産省の方はケニア大使館駐在時代の思い出を述べ、アフリカ観光に重要なのは、安全、衛生、医療、道路などを挙げ、JETRO、JICAのやっている「一村一品」運動を紹介した。観光庁の方は、日本への観光客の誘致の話をして、この会議の中では異色だった。でも観光というのは一方通行ではなく、より多くの先進国からの観光客をアフリカに誘導するだけではなく、アフリカ人の観光客が世界に出て行くという相互交通が最終目標になるだろう。JICAウガンダ事務所の挙げた数々の数字は、日本のアフリカに対するODAの大きさを示し、それなりのインパクトを与えていたように感じた。

 日本からの民間代表であるP社のスピーチはそれなりに面白かった。年間6,000人をエジプトへ、3,000人を南部アフリカに送っているというアフリカにかなりコミットしている会社の代表である(東、中央、西アフリカへは?)。日本人の海外旅行の発展を過去40年間にわたって説明し、2000年代に入りやや停滞気味、「近い短い安い」という傾向があることを述べた。アフリカへの渡航は25万人、内10万人がエジプトで、次いでモロッコ、南ア、ケニア、チュニジアの順だという。250万人が旅するヨーロッパと違って、なぜアフリカが25万人にとどまっているのか、その原因を①宣伝不足、②遠さ(直行便がない)、③費用の高さ(ヨーロッパ旅行が$1,000~5,000なのに比べ、同じような質の旅行がアフリカは$4,000~7,000かかる)と述べた。もっとアフリカ諸国が共同して、PR特にテレビや雑誌のマスメディアに露出すること、そのためにはアフリカ各国が費用を負担して、取材陣を招くことを訴えた。また一方で日本の旅行業界の体質の問題点(遅い支払い、キャンセル料に対応できない日本の旅行業法、「お客様は神様」の発想、時間厳守の要求)などを挙げていた。

📷 1日半のパネルを終えて、2日目の昼前に、「覚書」の議長案が出た。これは原案でそれに対して活発な意見が出て(時間は限られていたが)、完成版はまだ作成中らしい。以下、原案の項目だけを列挙する。   (1)2010年南アワールドカップへ観光客の誘致に努力を集中する。    (2)流行や潜在的旅行者の分析に基づいた狙いを絞った市場戦略が必要である。   (3)UNWTOなどの関連機関と協力し、JICAはアフリカを観光目的地として発展させるための支援を行う。「一村一品運動」も含まれる。   (4)日本及びアジア諸国の民間セクターは横浜行動プランで提示された様々な経済基金を積極的に活用する。   (5)外国からのアフリカ観光産業への直接投資を真剣に促進する。JBIC,ADBその他の地域開発銀行の資金を積極的に活用する。   (6)日本及びアジア諸国からの観光客を誘致するため、アフリカ内の5つの地域の共同の努力が望まれる。   (7)アジアとアフリカを結ぶ直行の航空路線、チャーター便の開設が、ワールドカップ前に望まれる。   (8)2010年ワールドカップ前の更なる観光調査団の派遣が望まれる。   (9)アジアのメディア、テレビ及び大雑誌によるアフリカの世界遺産などの取材を推進する。   (10)観光の持続的発展のために、旅の安全情報に注意が払われる必要がある。

 この会議において何が問題だったか?小さなことはたくさんあったに違いない。でも会議日程がどんどん遅れていったのには参った。例えば初日、ムセベニ(ウガンダ)大統領の到着が1時間遅れ、そして遅れてきた大統領がたっぷり1時間しゃべったから、10時に終わる予定の開会式が終了したのが12時過ぎてしまったのを皮切りに、会議はどんどん遅れた。各パネリストの持ち時間は7分ということになっていたが、アフリカの人たちが、特に西アフリカからやってきた大臣などに、7分しかしゃべらせないなんていうのは、土台最初から無理な話だ。会議が遅れていようと、議長がいくら警告しようと、平然と30分くらいしゃべる。自分の国の主張、宣伝をしゃべる大臣を議長は止められないし、その議長だって簡潔にまとめることはしない。所詮無理な日程だったのだ。従って、予定していた演者のプレゼンテーションを終えるのに必死で、その後の質疑応答の時間がほとんど取れず、会議というより「言いっ放し」の場になってしまった。

 しかし何よりも最大の問題だったのは、日本から来た日本の旅行代理店が、商談会には全く参加しなかった、文字通りゼロだったことだろう。アフリカ20数カ国から参加した旅行社は、日本の旅行業界と知り合う好機と思ってそれなりの時間と費用を遣って参加したのだろうと思う。政府の役人は出張できているから構わないかもしれないが、身銭をはたいて(?あるいは、政府の補助金が出ていたか?)やってきた民間の旅行社にとって、商談する相手がいないのは悪い冗談だったろう。2日目の午後と3日目の午前の半日2回開かれた商談会の会場は閑散としていた。私を含めウガンダ、ケニアで営業している日本人の旅行社関係者が全員で4人いたが、「JAPAN」というボードを置いた机に座り、アフリカ諸国の旅行社の相手をさせられる羽目になった。セイシェルのように観光立国の観光局は、立派な日本語のパンフを作成してきていたが、渡す相手がいなくて、当惑されただろう。私たちのような日本人に「友人に配ってくれ」と大量にパンフを渡していた。

 これは日本の旅行業界のアフリカに対する興味のなさを示しているのだろう。現在の世界的な経済危機、また新型インフルの影響で日本の旅行業界は不振らしい。旅行業界を取り仕切るJATAという協会に外務省は派遣を依頼したが、皆首を縦に振らなかったという。体力のある業界最大手のJ社のみが代表を派遣してくれたが、その人も商談会に参加せず、ウガンダの観光地の視察に行ってしまった。P社の人はプレゼンテーションを済ませると帰国したらしい。これは商談を望まないということなのだろうか?J社の方から伺ったのは、「航空運賃も含め50万円も自己負担で、会社の決済を取るのが難しい」ということだ。旅行業界が保守的で冒険をしない体質になりつつあるのかもしれない。ただ、「アフリカが遠くて危険な観光旅行には不適な土地」という先入観念、現状を打破するためにこの会議を開催したのであれば、主催者も資金の配分をもう少し考えた方がよかったのではないかと思ったりもした。

 南アの副大臣、ザンビアの次官は共に女性だったが、2010年の南アワールドカップでの宣伝、観光客の到来に大きな期待を表明していた。スタジアムの建設の遅れは措くとしても、ホテルの室数も足りないようだし、何よりも南アの都市の治安の悪さは有名だ。これは会議で話されたことではなく、私の周辺で語られていることなのだが、「ホテルからスタジアムの間に強盗に襲われるだろう」という。「いや、警官が完全護衛でホテルとスタジアムの間の送迎をするから大丈夫さ」。「そうするとそこに警官が集められるから、警備対象ではない場所が手薄になって、やり放題だろうな」ともいう。私は南アの都市の状況を知らないから、噂を信じてはいけないと思いつつ、でもやはり行くのはよそう、と思ってしまう。南アのワールドカップが、世界の人の目をアフリカに向ける機会となり、「やはりアフリカは怖い」というネガティブな意識を煽ることがないように祈るしかない。日本から来た旅行代理店の代表は、「うちはワールドカップはやりません」と断言していたそうだ。

📷  でも一過性の宣伝というのは、「ないよりはまし」という程度ではないのか。例えば日本で「NHKの大河ドラマ」の舞台になると、その年は観光地として脚光を浴び、知名度が上がるけど、数年も経てば忘れ去られてしまうような。会議の名目である「持続可能な観光開発」とは距離があるように思えてならない。長期的にはアフリカの人びとが、アフリカ内の観光地に出かけられるようにならなければ、持続的発展は無理だろう。それは所得や生活水準の向上とも関連するが、アフリカの人びとが大自然、野生動物、自分たちの文化、環境に価値を見出し、自負をもてないといけない。外国人、それも欧米人や日本のような先進国のアジア人に評価され、外資が導入されても、それは精精起爆剤程度の役割に過ぎないのではないか。ザンビアの次官が、その地域の共同体の中から旅人を生み出す重要性に触れていたように思う。

 会議の期間、夜ちょっと抜け出して、ウガンダに仕事に来ている知り合いの日本人と夕食を共にした。宿泊のリゾートからカンパラまでは10kmちょっとくらいと思うのだが、夕方の渋滞がひどく、1時間ほどかかる。ダルエスサラームもひどいし、ナイロビは更に上を行く重態ぶりだが、カンパラの渋滞もなかなかのものだ。元々植民地都市の設計では、精精30万都市くらいしか意図していなかったのに、今はそれぞれの首都の人口は300万人以上に膨れ上がり、そして皆貧しい時代はともかく、中産階級が育って自家用車を購入するようになると、日本の中古車が圧倒的に出回り、植民地時代からあったプジョーなどは姿を消してしまった。そういう状況下では、ほんの一握りの区画に集中している街の心臓部への朝夕の自動車通勤は大渋滞を引き起こす。

 ダルエスサラームの我が家からオフィスまでは7kmで、渋滞さえなければ15分以内で着く。朝は06:30くらいに出るようにしているから、7時前にはオフィスに着けるのだが、夕方は本当に困る。17時ころから渋滞が始まりだし、19時ころまではいつオフィスを出ても1時間近く、場合によっては1時間以上家までかかることになる。渋滞が終わるのを待とうとすると、20時近くまでオフィスにいないといけない。日本で満員電車で通勤している人たちのことを思うと、「まだまし」なのかもしれないが、そういうのも嫌でタンザニアに来た身としてはやりきれない思いがする。「開発」というのがもっと複線で「豊かさ」の指標ももっと多様でいいはずだ。今、日本のODAでダルエスサラームの交通渋滞の解消が目指され、日本のコンサルタントが基本計画を出したようだが、正直あまり期待できない。ダルエスサラーム市内に交差する陸橋を5ヶ所造るらしいが。市街電車なんて提案は入っていないだろうと思う。また一極集中した官庁街、ビジネス街の機能分散も急務だろう。冗談のように言われているドドマへの首都移転も、本当の意味での既成事実化を目指すのか、あるいは白紙還元してダルエスサラームの大改造をするのか‥。「開発」「発展」の概念の多様化が必要なのではないか。

 会議は「アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラム」であったが、アジアからは日本のプレゼンスのみ目立ち、アジア諸国はおまけのようだった。韓国人、中国人、インド人はいたし、発表した人もいたけど国を代表したのはインドの元観光大臣だけだった。マレーシアとかシンガポールとかタイ、インドネシアといったアフリカで存在感を増しつつある東南アジア諸国は姿を見なかったように思う。6ヶ国というから、どこかにはいたのかもしれないが‥。アフリカで大国として振舞う中国はともかく、他の東南アジアの国ぐにの人から見たらあまり面白い会議ではないだろうと思う。まぁ、日本の資金と人材を投入して(UNDPもUNIDOもほとんど日本人が仕切っていた)やった会議だから、日本の国威発揚の場と考えればいいのかもしれないが、国際外交とはそういう意識なのだろうか。一個人としては日本の姿をもっと後ろに隠してもいいから、アフリカにおける観光の具体的な推進、特に持続的な地道な発展につながるような議論の場とできなかったのだろうかというのが感想である。

(2009年7月1日)

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