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Habari za Dar es Salaam No.94   "Uchaguzi Kuu 2010" ― 2010年総選挙始動 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 5年に一度の総選挙の年がやってきた。選挙自体は10月だが、もう前哨戦というか、運動は始まっている。連合政府とザンジバル自治政府の大統領、国会議員の総選挙である。

 2009年10月25日にその前哨戦である地方選挙が行われた。地方選挙というのは、いわば市町村議員選挙で、全国(ただし、ザンジバルを除く本土側21州のみ)の11,197の村および2,606の地方公共団体で実施された。地方公共団体というのは地方では数カ村をまとめた郡、ダルエスサラームのような都市部で言うと、区のような単位の行政地区の議員である。村の議員は279,925人、地方公共団体の議員は15,636人選ばれると事前には発表になっていた。ただ、関心は総選挙に比べて低く、推計1,612万人の有権者の内、選挙人登録したのは850万人で52.7%に過ぎなかった。そのうち何人が投票したのかは発表されていない。野党が候補を立てずにCCMの無投票当選となった地区が多く、またキルワ、リンディの地方では投票箱が当日までに届いていなかったという。キクウェッテをはじめとしたCCM幹部はCCMの圧勝を祝い、来年の総選挙も圧勝間違いなしと豪語していたが。

📷  ただ、今年の選挙は今のところ、盛り上がらなさそうに見える。連合政府の大統領のキクウェッテが再選出馬することは間違いないし、前回80%を超える圧倒的人気で当選したキクウェッテに対し、与党のCCM(革命党)から有力な対抗馬が手を挙げるとは思えない。多少の批判は出るだろうが、キクウェッテがCCMの候補になることは間違いないだろう。ただ、やや陰りがあるのは、ニエレレ没後10周年(2009年10月14日)前後に盛んにセミナーや新聞紙上で議論されていた「政治指導者の倫理性」という弱点だろうか。政府・党の幹部層に腐敗を疑われる人たちが多く、確かに巨大な資産を握っているのではないかと噂される人たちも多い。リッチモンド・スキャンダルはその氷山の一角でしかないという。その幹部層への指導力が問われるかもしれない。キクウェッテ自身は第二期政権(2010年~15年)での閣僚若返りを言っているが、若返ればいいというものではないのは明白だろう。

 与党CCM内での弱点は、やはり上記の汚職問題で、リッチモンド・スキャンダルで訴追された3人の元大臣たちが、選挙で公認されるかということ。特にロワッサ元首相は、自他とも認めるキクウェッテ大統領の盟友だったし、前回の選挙運動の資金の大きな部分をまかなったと噂されるから、そのロワッサを外せるかどうか?3人の元大臣以外にも年配の幹部たちが、「若返り政策」の結果、公認を得られない可能性も取りざたされている。その外された幹部用の受け皿と噂される政党が登録された。その名もCCJ(Chama cha Jamii=社会党?)というようで、意図的にかCCMと紛らわしい。CCMの候補者は、予備選を行う選挙区が多く、6月までは決まらないが、そこでCCMの候補者から外されたが、地元での支持に自信がある候補者はCCJから立つのだという。CCM内で疑心暗鬼、駆け引きが始まっているようだ。

 対する野党であるが、やはり統一が取れておらず、有力な対抗馬、挑戦者がいない。依然CUF(市民統一戦線)が比較的野党第一党だろうが、ザンジバルのペンバ島を強固な地盤とし、ダルエスサラームや海岸部のイスラーム色の強い地域に偏っている。総裁のリプンパが大統領選挙に立候補するものと思われるが、1995年以来4回連続の立候補で新鮮味はない。1995年の大統領選挙では与党CCM(当時はムカパが候補者)に危機感を持たせたTLP(タンザニア労働党)のムレマ総裁も、前回(2005年)は第4位で、泡沫候補に近い存在に落ち込み、今回は出身地キリマンジャロ州の国会議員に立候補すると言っている。その場合でも、与党CCMに戻らないと当選はおぼつかないのではないかと噂されている。前回、ヘリコプターを使った派手な選挙戦で少しだけ新風を吹き込んだCHADEMA(民主開発党)のボエ候補も、再度大統領選挙に出馬すると見られているが、「ボエは政治家ではなくビジネスマンだ」と身内から批判が出る始末で、あまり期待出来そうもない。

 結局、野党が取れそうなのは国会議員のペンバ島と他には有力政治家がいる(つまり個人の力量に頼った)の一部の地方ぐらいである。国会議員選挙でもCCMが圧勝すると見られている。それはキクウェッテ政権とCCMの政策が支持されているというよりも他に代替の選択肢がないからだろう。民衆の多くは確実に厳しくなっていく生活に不満は多いのだが、半分は諦め、半分(以上?)は政治に期待しないという姿勢だろうか?どこかの国のように「政権交代」というスローガンで実現していまうほど、野党が成熟していないことは間違いないし、まだ政権与党の賞味期限が切れていないのかもしれない。

📷  ほとんど無風と予想されるタンザニア連合政府と本土の選挙とは異なり、毎回熾烈な対立となって、死傷者や海外への難民をすら過去に生み出したことがあるのがザンジバルの大統領と国会議員選挙である。ザンジバル革命(1964年)の前から、独立の主導権争いで、複数の政党が争い、得票数の少ない方の政党連合が、選挙区の割り振り方でうまく議員数では多数派となり、独立時の与党となり、1ヶ月後のザンジバル革命でそれが暴力的にひっくり返される。その後、革命側の一種独裁強権政治が続いたが、1995年の複数政党による選挙が復活したのに伴い、ザンジバルの「政治の季節」が再度訪れる。政権側(CCM)と野党側(CUF)が真っ向からぶつかり、状況証拠的には野党が勝っていたと思われた選挙もあったが、1995年、2000年、2005年と3回とも政権与党側が接戦を制した。その間、選挙期間中、あるいは選挙結果を巡る不服従運動とそれに対する弾圧の過程で、多くの人が暴力行為を受け、怪我し、命を失い、政治難民として海外流出したりした。

 今回の選挙もまた同じことが繰り返されるのかと思うと、その政治の主張の当否はともかく、ややうんざりするというのが正直なところだ。前々回(2000年)前回(2005年)はCCMはアマニ・カルメ(初代大統領の息子)を立て、CUFはセイフ・ハマド書記長(元ザンジバル政府首相)を立ててぶつかった。カルメ大統領は三選禁止の憲法規定から出馬できない。CCM側は自薦他薦の候補は10人以上いるようだ。現在の首相、元首相だけでなく、カルメ大統領の弟や、ムウィニ第2代タンザニア大統領(ザンジバル大統領としては第3代)の息子の名前も上がっている。カルメの息子の次はムウィニの息子だとしたら、王朝の交替、南北朝か…としゃれにもならない。対するハマドは若くしてザンジバル首相になったペンバの星であったが、3回も接戦の末敗れると、新鮮味は感じず、ただ執念を感じてしまうが、どうだろうか?

 2009年11月5日、ザンジバルの大統領官邸で、カルメ大統領とハマド書記長との会談が行われた。これは翌日の新聞のトップ記事とはならず、三面記事に過ぎなかったが、大ニュースだった。記事の中に「稀な事件」と書いてあったのが象徴的だった。この10年間、二人は表面立って会ったことはないのではないか?その二人が「お互いの政治的相違を超え、ザンジバルの統一平和を目指す」という声明が出た。詳しい内容は発表されていない。まだ水面下での交渉が続いているのだろう。

 その後開かれたCUFの集会では「ハマドに裏切られた。今まで流された血はなんだったのか?」と支持者から罵倒され、CUF議長や、ハマドの演説は何度も中断されたという。一方、CCMの集会では支持が目立つと報道されている。3回の総選挙の後、毎回暴力事件となり、EUとか連合政府の大統領(最初はムカパ、次いでとキクウxッテ)により、3回の「和解協定」が全て水泡に帰した。2010年の選挙人登録作業が、ザンジバル政府が導入した「ザンジバル人身分証明書」の適用の可否を巡り、ペンバ島で大きく揉めて、地方政府役人がCUF支持者の登録を拒否していて、CUFの中には既に選挙ボイコットの主張が出てきているさなかである。「ザンジバルのことはザンジバル人に片付けさせろ」という本土側政治家のややうんざりした発言もあり、4回同じことを繰り返す愚を避けようとしたのではないかと期待したい。

 具体的には何も出ていないが、大方の推測では「連立(Mseto)政権」の樹立である。ケニアで行われたような大統領に対し、権限をもった首相を野党側に渡すという形である。これは1995年の総選挙の直後、極めて疑わしい状況の中でザンジバル大統領に就任したサルミン・アミールに対し、緊張の中ザンジバルに飛んだニエレレ元大統領が提案し、サルミンが拒否したと言われている。また2005年の総選挙のあとにも浮上して、CUF側が拒否したと言われる。

📷 今回選挙の趨勢に影響が出ないかなと第三者が思う、「ザンジバル大停電」のことに触れておこう。2009年12月10日からウングジャ(ザンジバル)島は停電となった。本土からの送電線のトランスが切れて、停電になったのだ。ザンジバルは植民地時代からの送電線に頼っているから、観光開発が進み、電力重要が大幅に伸びている現在、所詮足りるわけはなく負荷が増えるとショートする。確か一昨年も1ヶ月弱、同じことがあったはず。「懲りない人たち」なのか、クリスマス前の12月23日には復旧すると豪語。しかし、南アから部品が届き、ヨーロッパ(ノルウェー?)のメカニックが21日に試運転したら、15分で吹っ飛んだという。メカニックはクリスマス休暇に帰り、暗黒のクリスマス・新年を迎えることとなった。

 寒いヨーロッパを逃れてやってくる観光客の最も多いシーズンを、ザンジバルは電気なしで迎えた。日本から来た人は私に「漆黒の中世の町の雰囲気を味わうことができましたよ」と言ってくれた。その人は歴史学者だから、そういう楽しみがあってもいい。しかし、最も暑い時期、昼間は高級ホテルでもジェネレーターを止めるから、エアコンが使えない。ザンジバルの伝統的な建築を使ったホテルは高層階なので水はポンプアップするのだが、停電中は溜めたタンクから弱い水圧でちょろちょろと、あるいは全く流れない。観光客にとっては割に合わない休日となった。ホテルはジェネレーターを回すが、高級ホテルならともかく、中級ホテルでは赤字になる。工場や店なんかは閉めた方が得だと閉める所も出てきた。水不足からコレラが流行ったりする。

 ザンジバルは2月にはSauti za Busara(知恵の声)という東アフリカ随一の国際音楽祭が開かれる。それを目当てに観光客がまた押し寄せるのだが、今年は電気がないことになった。音楽祭は2月11日~16日なのだが、ザンジバル政府の公式声明では電気の復旧は2月20日以降と発表されている。音楽祭の主催者は大型ジェネレーターを発注したから、音楽祭は予定通り催行されるとしているが、ジェネレーターの騒音はどうなるのか?と心配してしまう。とにかく、観光収入に多くを頼るザンジバルは大打撃なのだ。

 普通、2ヶ月も電気を供給できなかったら、それは為政者の責任だろう。これは天災ではなくて、人災であることは明白なのだから。12月に停電になると、オマーンが大型ジェネレーターの寄贈を申し出て、ザンジバル政府は断ったという情報がある。真偽は確かめる術はないのだが、選挙の年を控えてさもありなんとうなずく人は多かった。またCCMとCUFが熾烈な対決を向かえる時に、革命で倒された側(オマーン)の援助を受けることは、敵(CUF)に塩を送ることになると、政権与党側(CCM)は考えたのだろうか…。でもこれだけ大停電が続けば、為政者の責任は問われるだろうなというのが普通の感想だろう。

 さて、その影響が出たのか、出なかったのか、1月29日の晩に大きなニュースが飛び込んできた。ザンジバル議会が、次の政府は「連立政府」を設立するために、法改正をするという。副大統領職を設け、選挙に勝った側が大統領、負けた側が副大統領に就任し、議会の議席配分で閣僚数も配分するという。まだ正式の新聞報道はないので詳細は不明だが、実現すればかなり画期的なことで、選挙後の平和がもたらされたら喜ばしいことだ。選挙人登録問題に進展があるのか、公正な登録がない限り、自由で民主的な選挙とはいえないだろうし、国を真っ二つに分ける勢力が、選挙後は連立政権を樹立することが決まっているというのも、政権選択を考えてみればおかしなもの、民主主義とは何か?を考えさせる気もする。果たしてどうなるのか?人の命が失われないことを祈るばかりである。

(2010年2月1日)

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