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  • 執筆者の写真白川

Kusikia si kuona No.25  『静かに眠る遺跡–キルワ・キシワニ』

相澤 俊昭(あいざわ としあき)


  年始の休みを利用して、車でタンザニア南部を一周してきた。その途中、キルワに寄った。ダルエスサラームから南へ、330km程車を走らせるとリンディ州のキルワに着く。現在でこそ舗装された道路がキルワまで通っているが、この道はかつて有数の悪路だったそうだ。一緒に行ったドライバーのBさんいわく、舗装される前は丸一日、雨が降ると車がスタックしてしまい1泊2日、もしくはそれ以上かかることもあり、考えられないような道路状況だったらしい。いまではルフィジ川に大きな橋が架かり、舗装された幹線道路がキルワまで続いていて、6時間もあれば到着する。かなり快適な車の旅を満喫することが出来る。

<船着き場から見えるキルワ・キシワニ> キルワはインド洋に面し、マブジ川など3つの河川がインド洋に流れ込む河口域にある。この島々を囲む海はマングローブの密林に囲まれたラグーンと、インド洋に面した外洋に分かれている。ここにキルワ・キシワニ島とソンゴ・ムナラ島という島がある。世界遺産に登録されている遺跡群があるところだ。地図上で見ると、ちょうど南北に2つの島が並んでいるような感じだ。今回は時間の都合でキルワ・キシワニ島だけに行ってみた。

<このようなボートに乗って対岸へ渡る> 現在のキルワは小さな漁村だが、キルワ王国として繁栄した歴史がある。その起源は10世紀頃まで遡ることが出来る。ジンバブエで産出された金や、それ以外にも鼈甲、布、奴隷なども貿易を行っていたそうだ。中世には数あるスワヒリ都市国家の中でも最も勢力のある王国だったそうだ。その当時の栄華をしのばせる多数の遺跡群が世界遺産に登録されており、タンザニアの文化遺産の観光資源として注目されている。

<マクタニ宮殿> キルワ・マソコにある天然資源観光省の文化課事務所で手続きをすると、島で遺跡を案内するガイドを手配してくれる。入島料を支払い、対岸のキシワニ島までは船着場のエンジン付きボートを借りて行くことになる。ダウ船も本土との往来に使われ、まだ現役で活躍している。当時のように、ダウ船でキシワニ島へ渡るのもいい。エンジン付きボートでゆっくり進むと、大体20分ぐらいでキルワ・キシワニに着く。キルワ・マソコの船着場からは、16世紀前半にキルワを支配していたポルトガルによって建てられた、ゲレザ砦が見える。

<小モスクの外観> キシワニ島の主な遺跡群はゲレザ、モスク、スルタンの宮殿と住居、墓地、フスニがある。大モスクが最も古い遺跡で、そのほとんどがキルワ王国が最も栄えた14世紀から15世紀にかけて建てられたそうだ。現在の村がある島の北西側に遺跡が集中している。モスクや宮殿には生活用水を確保するために井戸が掘られ、地下には水を通すためのトンネルが掘られ、お互いに繋がっていたそうだ。これには驚かされた。

<小モスクの天井。エメラルドグリーンの陶器が見える> ゲレザ砦から少し奥へ進むと、大モスクがある。何回か増築が繰り返され現在の姿になったそうだ。当時のイスラーム様式の建築で造られ、その高い建築美から観光客から人気があるそうだ。スルタンが住んでいたマクタニ宮殿は島の少し奥まったところにある。敷地はとても広く、宮殿を囲むように、見張り台を備えた高い壁で囲まれている。外から侵入してくる、敵をかなり意識して造られているようだ。商人とスルタンが接見する部屋、食堂などもある。ただ、天井や壁がほとんど崩れており、あまり保存状態が良いとは言えない。

<大モスクの外観>
<大モスクの中の様子> 他にも比較的保存状態の良い小モスク、マリンディ・モスク、宮殿跡の大フスニ、小フスニなどがある。ガイド曰く、まだまだ藪や地中に埋もれた遺跡があるとのことだ。浸食や天井や壁の崩壊が進んでいるところもあり、補修工事が行われている。タンザニアと言えば、動物やキリマンジャロなど自然を売りにした観光資源が有名だが、キルワの様に文化遺産もある。是非、訪れて見ては如何でしょうか。

(2016年2月15日)

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