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  • 執筆者の写真白川

Kusikia si kuona No.31  『コンドアの岩絵遺跡群-Kondoa Rock Art Paintings』

相澤 俊昭(あいざわ としあき)


  1月中旬にドドマ州にあるコンドア岩絵遺跡群を見に行って来た。コンドアの岩絵は、2006年にユネスコの世界遺産に登録された、タンザニアの中では最も新しい世界遺産である。キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群、ザンジバルのストーンタウンに次いで3番目の文化遺産である。一方、自然遺産の方はというとセレンゲティ、ンゴロンゴロ、キリマンジャロ山、セルーなどがある。この辺りの国立公園、保護区は、野生動物の王国で有名だし、アフリカ大陸で一番高い山としてよく知られている。実際に行ったことがなくてもTV番組や雑誌で紹介されているので、一度ぐらいは名前を聞いたことがある人がたくさんいると思う。では、コンドアの岩絵はどうかというと、タンザニアのほぼ中央に位置し、アクセスも不便だし、知名度もまだまだ低い。おそらくほとんど知られていないだろうと思う。今回は、そのコンドアに行って来たので、道中の様子も交えながら紹介してみたいと思う。

<博物館の受付>
<この辺りから出土した石器などが展示されている>  ダルエスサラームからコンドアまで約560キロほどある。同行してもらった運転手のKさんに聞くとダルエスサラームからコンドアまでは車で10-11時間ぐらい掛かるそうだ。余裕を持って、朝6時に自宅を出発した。タンザニアの交通事情に触れると、地方へ行く時は朝早めに出発するのが鉄則である。理由は朝早く出発してダルエスサラーム市内の交通渋滞を回避するというのもあるが、地方の幹線道路沿いでは警察官によるスピード違反の取り締まりが至る所で行われているので、移動にとても時間が掛かるからである。それにタンザニアの地方道路は日本の道路ように街灯がない。夜、車で真っ暗闇な道を走るのは非常に危険で怖い思いをする。実際に地方の道路では車の交通事故が頻繁に起きている。余裕を持って朝早く出発し、日暮れ前には目的地に到着するのがタンザニアの常識だ。

 早く出発したお陰で、ダルエスサラーム市内の渋滞を回避し、順調に車を走らせる。途中、モロゴロで休憩を挟んで、遅めの朝食兼ランチを食べた。その後、ドドマまで車を走らせるのだが、Kさんの運転の腕がいいのだろう。検問で一度も捕まることなく、ドドマに着くことが出来た。到着したのは確か、14時ぐらいだったと思う。ドドマ一帯はタンザニアの中でも降水量が少ない半乾燥地帯でバオバブなど雨が少ない土地でも育つ植生が目立った。特に今年は雨季に降るはずの雨がほとんど降らなかったので、道路沿いの畑などでは農作物があまり育っていない様子だった。農業で生計を立てている人や家畜を育てている人たちは大丈夫なのだろうかと少し心配になった。実際、今年は農作物が不作で、ダルエスサラームでも野菜やウガリの粉の値段が上がって来ているという。さらに地方の農村では、わざわざ町の市場から野菜を購入しているという話も聞くので、ちょっと深刻な現状が起きているようだ。このような話しを聞くと、ダルエスサラームのような都市はともかく、農作物を育てている地方に恵みの雨が早く降ることを祈ってしまう。

<岩絵に続く山道>
<サンドリバー>  ドドマで車の給油と休憩を挟み、早々に今日の目的地のコンドアへと向かった。 ここからかつて名うての悪路で有名だったドドマ〜アルーシャ道路が始まるのだが、未舗装部分はあと20キロほどを残すばかりで、年内には舗装道路の工事が終わりそうな雰囲気だった。この道路が完成すれば、北部から南部への移動がかなり楽になるだろう。コンドアに着いたのが17時過ぎだったと思う。ここから岩絵のあるコロという村までは30分ほどである。この晩は町外れのゲストハウスに宿を取った。

<ガイドのパスカルさん>
<ゾウとアンテロープと人が描かれている>  翌朝、岩絵のあるコロという村へ移動する。車で30分ほどの距離である。村に着き、通りがかりの人に岩絵の入場料を支払う博物館の場所を教えてもらう。博物館の受付で岩絵の入場料を支払う。2017年1月時点で、入場料はタンザニアに居住している外国人(レジデント料金)で13,0000シリング。一般の観光客(ノンレジデント料金)は27,000シリングだ。それにガイド代として10,000シリング取られた。おそらく案内してくれるガイドへの謝礼みたいなものだろう。今回はパスカルさんというガイドが案内してくれた。まず、受付の建物に併設されている博物館の中を簡単に案内してもらう。展示してあるのはこの周辺から出土した石器や岩絵の写真などである。岩絵のパンフレットかガイドブックが欲しかったので、あるかと尋ねると、在庫切れだと言う。ダルエスサラームへ注文しているそうだが、なかなか届かないと嘆いていた。

<ハンティングの様子を描いた岩絵>  博物館から岩絵までは、徒歩だとたっぷり1時間半から2時間ほど掛かるそうだ。今でこそ、車が通れる道があるので(後で実際に、その道を車で通ったのだが、雨季は4WDでも無理だと分かった)歩いて岩絵まで行く人はほとんどいないそうだ。もし村から歩いて行くのであれば、岩絵を見学する時間を含め、丸一日は見ておいたほうがいいかもしれない。私が行ったときは幸いにも雨が降っておらず、4WD(ランクルで行った)だったら岩絵のすぐ近くまで行けるだろうと言われたので、取り敢えず、行けるところまで車で行ってみることにした。村中心から外れへと続く砂利道を進み、途中、看板があるところを右に曲がり、林の中の藪道へと入る。さらに進むと大きな干上がった川が目の前に現れた。この干上がった川を見た時、以前聞いたタランギーレ国立公園の中を流れるタランギーレ川はコンドアから来ているという話を思い出した。もしかすると、この川がそうなのかと思い、ガイドに尋ねるとそうだと言う。ちょっとした発見に心が躍った。地図で見ると分かるが、この岩絵がある周辺のすぐ北側にはタランギーレ国立公園がある。昔、この辺に暮らしていた狩猟採集民も動物を追って、そちらの方に行ったのだろうか。

<3人組の人を描いた絵だそうだ>  さらに岩だらけのゴツゴツした曲りくねった山道を進む。悪路に強い、車高の高いランクルだったからいいが、町乗り用のSUVでは、到底、辿り着けなさそうな道だった。さらにしばらく進むと少し広い場所に着いた。ここに車を停めて、岩絵までは山道を歩いて行くと言う。ガイドの先導で、軽いトレッキングをしているような感じで登っていく。途中、見晴らしのいい場所に出ると、遠くに山々が見え、反対側のタランギーレ方面には大平原が広がっている。ここから少し先に行ったところに岩絵があるという。まず、B2遺跡を案内してもらう。とても大きな岩で、大家族が身を潜めるには十分な広さだった。その岩肌に人やゾウ、キリン、サイなどの動物が描かれている。動物の特徴をよく捉えて描かれており、キリンについては網目模様まで細かく描かれていることに驚いた。その後、B1、B3遺跡へ案内して貰ったが、描かれているものは人や動物が中心で、当時の狩りの様子や太陽や呪術師と言われる絵もあった。

<網目模様までちゃんと描かれたキリン>  岩絵の中にはどうやったら、そんなに高い場所に描くことが出来たのか思うのもあった。ガイドの昔の人はとても背が高かったという説明にはちょっと納得がいかなかった。岩絵は全体的に赤い色で描かれているのだが、色の元となる原料はこの辺りに生える木の樹液から取って、それに動物の脂を混ぜて作ったらしい。またこの岩絵を描いたのはイランギやサンダウェやハッザベと呼ばれる人達というのが有力な説らしい。では、いつ頃、描かれたのか?正確なところはよく分かっていならしいが、ガイドは2,000年前頃と言っていた。果たして本当のところはどうなのか?こんなミオンボ林の奥深くの山の上になぜ人が住んでいたのか、外敵から身を守るためという考えるのが普通なのかもしれないが、それが動物だったのか、人なのか、いろいろと疑問の残る訪問となってしまった。今後、調査・研究が進むことを祈る。

(2017年2月15日)

*『Kusikia si kuona』とは日本語で百聞は一見にしかずという意味です。タンザニアで私が実際に見て、感じたことをこのページで紹介していきたいと思います。

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