白川
Tupo No.3 旧奴隷市場跡を訪れて
幾山 未有(いくやま みゆう)
最近、日本でもテレビなどで取り上げられることも多い、ザンジバル。タンザニアで最も有名な観光地の一つです。テレビなどでは、明るく華やかな観光地の部分を主に紹介されていますが、一方で、奴隷貿易で栄えたという歴史もある場所です。ザンジバル・ストーンタウンにある旧奴隷市場跡には数回行っていますが、行くたびに昔の過ちに胸を痛めるとともに、今のタンザニアはありがたいと感じます。今回は、そのザンジバルを中心に行われていた奴隷貿易について、紹介したいと思います。
■奴隷売買 19世紀、ザンジバルでは、奴隷の売買が全盛期を迎え、オマーンのスルタンの支配のもと、アラブの商人たちを中心に東アフリカ最大の奴隷市場が開かれていました。 奴隷売買というと、現地の人はみな被害者かと思われがちですが、実際は少し違いました。イランやアラブの商人だけではなく、その地域の首長や商人が協力していることもありました。当時、象牙や奴隷売買などで富を得た最も有力な商人だったティップティプは、アラブ系スワヒリ商人の父とオマーン人の母を持ち、ザンジバルで生まれました。また内陸部タボラの首長ミランボも彼に協力していました。スワヒリ人・アフリカ人である彼らは、それぞれ、タンガニーカ湖の西側と東側の支配を進め、当時の象牙や奴隷などの貿易によって巨大な富を得たと言います。当時、アフリカ人が奴隷として売られた陰には、こうした現地の人たちの関与もありました。その他色々な理由で連れて来られた奴隷たちが、ザンジバルの奴隷市場に集められ売られていく、そのような時代がありました。
■内陸から奴隷市場へ 奴隷たちは、現在のタンザニアだけでなく、コンゴやケニアなどの国々から、陸路をひたすら歩かされ、バガモヨ、モンバサ、キルワといった海岸の奴隷市場へと連れて来られました。移動は、鎖でつながれながら、鞭で叩かれ、食べるものもろくに与えられず、非常に過酷だったといいます。それは数か月にも及ぶ過酷な旅で、多くの人が亡くなりました。そのような過酷な旅をすることで、強い奴隷だけが残り、ザンジバルの奴隷市場へと運ばれていきました。ザンジバルへの船を待ちながら、どんな思いでこの広いインド洋を見ていたのでしょうか。
■旧奴隷市場跡(ザンジバル・ストーンタウン)
<奴隷収容室> 奴隷の収容室であったとされる場所です。奴隷収容室は、ストーンタウンに全部で15か所あったそうです。そのうち2か所が現在も残っており、大聖堂の手前にあります。ここは地下に位置していて、薄暗くひんやりとしています。一つの収容室(写真)には約75名、もう一つには約50名を収容していました。写真では伝わりづらいかもしれませんが、30名でも息苦しくなるような広さで、大人では立ち上がれないほど天井も低く、75名もの人が収容されていたかと思うと息が詰まります。
<メモリアルモニュメント>
<大聖堂> 奴隷市場があった場所には、現在、アングリカン大聖堂が建っています。奴隷市場が廃止された後、奴隷制度に反対していたキリスト教の主教が、忌々しい奴隷市場を取り壊し、教会を建てました。奴隷市場には当時、真ん中に大きな木があり、そこに鎖で奴隷たちをつなぎ、競りが行われていました。競りでは、強さをアピールするため、奴隷たちは鞭で叩かれ、血を流したこともあったそうです。その流した血を忘れないために、その木があったその場所を祭壇とし、そこには実際にその木の木片と血を表す赤色が埋め込まれています。そして大聖堂完成間近に亡くなったその主教もその中に埋葬されました。奴隷制度の廃止により救われた奴隷たちは、ここで洗礼を受け、クリスチャンとなったといいます。
現在、奴隷制やその思想、あるいは人種や国の間での差別などは、その当時に比べれば、かなり減っていると思います。でも、表立って見えなかったり、あるいは形を変えたりして、現在も残っているようにも思います。人間は欲や偏見がある生き物で、そういった考えが無くなることは難しいのかもしれません。それでも少なくとも自分や自分の身の周りでは、お互いに尊重すべき人間として生きていきたい、そう思わせてくれる場所でした。
(編集注)バガモヨやザンジバルに残されている奴隷貿易の遺跡は、近年になって 大幅な解釈の見直しが進行中です。簡単にいうと「ヨーロッパ人キリスト教徒による アラブ人イスラーム教徒による残酷な奴隷貿易の鎮圧」という歴史観の見直しです。 バガモヨの港に残されていた「奴隷をつないでいた柱の跡」というのも倉庫の礎石 であることがわかりました。またザンジバルの旧奴隷市場跡の大聖堂に残されている 「奴隷収容室」も薬品の収容庫であったのではないかという説が有力になりつつあ ります。これは歴史・考古学者の調査を待つとして、一般に流布されている解釈を うのみにせず、自分で考えることが必要だと思われます。
(2016年12月15日)
*Tupo とは、スワヒリ語で私たちは(一緒に)いる、という意味です。 タンザニアという国とその人々に寄り添って、タンザニアの今をお伝えしていきたいと思っています。