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Upepo wa Tanzania 第6回 UKIMWI(HIVエイズ) 

池田智穂(いけだ ちほ)


 HIVエイズという病気について、皆さんはどういうイメージを持っているだろうか。 3月末、HIVエイズを題材にした撮影の通訳でモシに行った。 タンザニアのHIV感染率は2003年の調査では7.8%となっている。今回の撮影の中で モシのHIV感染率について14%という数字をよく耳にした。(ダルエスサラームは10%ともに聞き取り)

 その撮影の中で、一人の女性に焦点をあて、彼女の生活ぶりやインタビューを撮影した。 彼女は40代の女性で2児の母、夫より感染し夫は既に亡くなっていた。現在は、二人の 子どもと彼女の母親、それに孫(一番上の子どもが未婚のまま生んだ)と一緒に村に住んでいる。彼女に会う前、私のHIV感染者に対するメージというのは、「元気がない。表情も暗い」というものだった。以前、HIV感染者だという診断書を持って、物乞いして来た人がそのような感じだったからだ。インタビューをするに際して、「嫌がるのではないかな。何も話してくれないんじゃないかな。」なんて思っていた。しかし、彼女に会った瞬間そのイメージや考えは、一掃された。彼女があまりに明るく活発で、「本当にHIV感染者なの?」っと思わせるような人だったからだ。

 彼女はKIWAKKUKI【Kikundi cha Wanawake Kilimanjaro kupambana na Ukimwi(HIVエイズと闘うキリマンジャロの女性グループ)】の売店でボランティアとして働いている。KIWAKKUKIの待合室は、VCTを受けに来ている人や、紙芝居などを使ってエイズ教育をするボランティアの人など、いつも人がいっぱいだ。日によってはエイズ教育のビデオを上映する日もある。彼女の売店もその一角にある。彼女の隣にもボランティアでものを売る人がいて、HIVを象徴するレッドリボンのピンや、カンガ、キテンゲなどを売っていた。そこで売っているカンガには「PIMA UFAIDIKE(VCT検査をして自分のことを知ろう!<意訳>)」と書かれていた。

 彼女は自分がHIV感染者だということを周囲にカミングアウトしている数少ない一人だ。HIVが国の重大な社会問題になっている今も、HIV感染者に対する偏見はまだ多くある。特に村のような小さなコミュニティーの中では村や親類から疎外されることもあるらしい。そんな中で、周りの人々にHIV感染者だと公表するのは、どれだけ勇気のいることだろう。しかし、彼女がカミングアウトをしたおかげで、その他の誰にも言えず悩んでいる人たちはどんなにか、心強く感じたことだろう。彼女は、HIV感染者の家を訪れてカウンセリングなども行なっている。彼女いわく「私が、同じHIV感染者だから心を開きやすいのよ」という。ダルエスサラームのNGOでも、HIV感染者の集まりに参加させてもらったことがあるが、同じ悩みを分かち合える仲間ができたことによって、HIVに対して前向きに考えられるようになり、人生が変わったという人が多かった。そこに来ていた人たちもまたHIV感染者だとは思えないほどエネルギーに溢れていた。

 また撮影の中で、両親ともエイズで亡くなりエイズ孤児となった兄弟の家も訪れた。兄は20歳、弟は13歳で、兄は成人学校、弟は小学校に通っている。二人の家は、モシの町の近郊にあり、トイレ、シャワーは共同で、平屋の一室というふうだった。日本で言えば6畳くらいだろうか。部屋には、二人で寝るベットとソファーと机が置いてあった。家賃(月Tsh8,000(約800円))は、既に結婚している一番上のお兄さんが払ってくれているそうだが、その他の援助は一切受けていない。KIWAKKUKIから食料が配給されることもあるようだが、毎回もらえるわけではなく、今まで一回しかもらったことがないそうだ。近所の人が力になってくれることも多く、偶にアルバイトをして生計を立てている。朝、ミルクなしのチャイを飲み、夕食まで何も食べないという。夜もおかずなしの白ごはんのみがほとんどだということだった。朝の6時半にチャイを一杯飲み、夕方まで何も食べないなんて、きっとお腹が減って、授業に集中できないじゃないかなと心配になった。

 タンザニアでは、HIV教育に対して、とても力を入れているという印象を受ける。例えば、コンドームの看板をよく見かけるし、ラジオをつけるとよく、HIVのことについての番組がやっている。モシの学校ではHIV教育も行なわれている所も多く、HIV教育用の教科書もたくさん出ていた。16歳から18歳くらいの若者に「VCT検査を将来しようと思うか?」という質問をした際も、ほとんどが「恋人ができたら」、「結婚相手と」という答えだった。また、KIWAKKUKIのVCT検査に来る人は、「カップル」で来る率が多いということだ。VCT検査は現在、多くのところで無料で行なうことができる。しかし、その反面、HIV治療に関しては、HIV教育のような『予防』に比べて消極的だと感じる。政府の病院では治療薬ARV(抗レトロウイルス薬)が無料で配給されているものの、患者全員に行き渡る量はなく、また病院までの交通費がなく、なかなか病院まで来ることができないという患者も多い。またHIV患者に対しては「栄養のある食事を!」(HIV患者に限ったことではないが)といわれているが、栄養のある食事どころか、3食きちんと食べられないという患者もいるのが現実である。

 エイズはタンザニアだけでなく、今や世界全体で「完全な治療法がない病気」として恐れられ、問題となっている病気である。アフリカ諸国でこそ、感染率の高さが顕著に騒がれている気がするが、日本でもその感染率は統計では計り知れないのではないだろうか。日本では何年か前にHIVをテーマにしたドラマが放映されていたのが記憶にあるが、HIVエイズという病気について、まだまだ自分とは関係のない病気と思っている人も多いような気がする。私もその一人だ。しかし、日本でも感染者の率は年々上がってきていると聞く。HIVの対策について日本はタンザニアから学ぶ点も大いにあるのではないかと思う。

 今回の撮影で、HIVエイズがもたらす大きな損害を知るとともに、それに前向きに立ち向かう人々のエネルギーに圧倒された。HIVエイズはとても恐ろしい病気だけれども、それに一緒に立ち向かう仲間や支えになってくれる家族がいれば、乗り越えていける病気だと実感した。今回インタビューした女性の家族も、「普通の病気と変わらない」と言っていつも彼女を励ましていると言っていた。もちろん、HIV感染者の多くが今回私が出会ったような人たちというわけではなく、HIV感染者に対する偏見の中で、誰にも言えずに悩んでいる人や苦しんでいる人のほうが、まだまだ多いのかもしれない。ただ、HIVエイズという病気に対して積極的に立ち向かう人々がいるという事実は、これからのタンザニアのエイズ問題に対してプラスに働きかける要素となっている。

 この撮影の2週間後、もう一度KIWAKKUKIを訪れたのだが、インタビューをした女性は、「一番上の子をセコンダリにもう一度通わせたいから、彼女がいない間、孫を見てくれる人を探しているのよ。」と言っていた。母強しと思った。

  * KIWAKKUKI(Kikundi cha Wanawake Kilimanjaro kupambana na Ukimwi) 1990年、創設。1995年NGO登録。現在5000人以上のメンバーがいる。エイズ教育、VCT検査、訪問看護、エイズ孤児の支援などを行なっている。 * AIDS(Acquired Immunodeficiency Syndrome)=エイズ(後天性免疫不全症候群) * HIV(Human Immunodeficiency Virus)=ヒト免疫不全ウィルス * VCT(Voluntary counseling and testing)=自発的カウンセリング及び検査   (2006年4月)

  *Upepo wa Tanzania(タンザニアの風)では、あるスワヒリ語をキーワードに、池田智穂がタンザニアの日常について紹介していきます。

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